第拾肆章 王子に向ける聖女の想い

「婚約者とな?」


「はい、私も今朝、初めて聞かされました」


 稽古の休憩中、ゲルダとカイム王子は雑談をしていた。

 その話の流れでカイム王子に婚約者がいると告げられたのである。

 何でも相手は隣国の辺境伯家の姫君であるらしい。

 隣国との同盟強化の為の政略結婚だそうで、彼女が生まれた瞬間にカイム王子との婚姻を約束されていたそうな。


「めでたい話ではないか。隣国・ガイラント帝国は強大な軍事国家であり、豊富な鉄の産地であると聞くぞ。鉄砲や大砲などの兵器も整備が行き届いて世界最強の軍団との呼び声が高いそうな。まあ、兵器が強力な分、兵自体は弱兵であるらしいが、屈強なるバオム騎士団と比ぶればどこの国の兵士も弱くもなろうよ」


「ゲルダ先生の御指導の賜物です。しかしながら私としてはこの婚姻を喜ぶ事が出来ませぬ」


 相手はまだ十歳であるそうな。

 しかも傲慢な気質だそうで、バオム王国を“田舎”と蔑み、富を誇示する舞踏会も月に一回しか開催しない事も彼女の目には吝嗇けちに映るらしい。

 幼いながらも洗練された美貌を誇り、既に成人している男を幾人も虜にしているらしく、毎日のように贈り物が届くとの話だ。

 しかしバオム王国は誕生日や時節の贈り物はするものの、特にご機嫌を取るような真似をしてこない事も彼女としてはご不満である様子だとか。


「さよか」


「さよかって、他に言葉は無いのですか?」


「無いわえ。お主に婚約者がいて、それが我が侭だというだけの話ではないか。王家や貴族の結婚なんぞ相手を選べぬのは当たり前であろうよ。幼くとも美人であるだけありがたいと思え」


「ゲルダ先生に思う所は有りませぬのか、と訊ねているのですが」


 漸くゲルダはカイム王子の婚約に嫉妬の一つでもして欲しかったのかと悟る。

 嫉妬も何もゲルダにとってカイム王子は弟子の一人に過ぎない。

 確かにバオム騎士達と比べれば接する機会も多いし、幼い頃から指導している事もあって思い入れもあれば目も掛けてきたが、それで恋に発展するかは別物である。

 このところ一緒に食事をする事も増え、共に出掛ける事もあるが、それとてカイム王子に頼み込まれたからであって、自分から誘った事は無い。


「お主が何を期待しているのかは察しがつくわいな。だが生憎とワシに含むところは無いぞ。出会ってから四年になるがワシがお主に抱くのは弟子にとしての感情だけだ。むしろ身近になりすぎて息子や弟、時には孫と接しておるような気分だわい」


 それではダメかと問うゲルダに、当たり前ですとカイムは絶叫のように返した。

 出会いからずっと子供扱いされてきたが、弟とはあんまりではないか。

 あれだけ真剣に告白し贈り物もしているのだが、まるで靡いていなかったらしい。


「私には男としての魅力は無いのですか?」


「まあ、ワシが直々に鍛えてやっただけあって剣の腕だけなら既にレーヴェ殿を越え、ワシも袋竹刀を用いた打ち込み稽古なら五本中一本を取られるようになった。知恵も知識も下手な学者など相手にならぬであろう。その精悍さと柔和さが同居した顔立ちは幾人もの女子おなごを虜にしておると聞く。しかも王家の人間でまだまだ伸び代があるときた。これほどの男は金の鉦を鳴らして捜しても見つかるものではないわえ」


 意外な高評価に一瞬、虚を突かれたが、それなら何故と思うのだ。

 何度も袖にされているのに見苦しいと思われているかも知れないが、一度ならず我が半身であると確信を抱いた相手だ。諦められる訳がなかった。


「そうよな。では心して聞け。ワシがお主に靡かぬ理由の数々をな」


「か、数々…ですか」


「数々だ。まずはお主を弟子としてしか見られぬというのは本当の事よ。時が立てばいずれは…となるやも知れぬが、他の理由がお主を男と意識する事を許さぬのだ」


 ゲルダは腕組みをしてカイム王子を睥睨する。


「まずお主が王家であり、後年、王を継ぐ確率が高い事だな。ワシも前世で馬廻りとして城仕えをしていたが、まあ柵みが非道い。上役が“黒”と云えば白い雪も“黒”となる世界よ。反論など出来ようも無い。気に入られればまた違ったであろうが、生憎ワシはお上手・・・を云えるほど器用ではないでな。それに偉そうに踏ん反り返っておる上役と呑む酒がまた不味い。お主と結婚すれば王妃という立場となる。きっと貴族やお大尽との付き合いも出てこよう。ここ数年見てきたがバオム王国に限らず貴族は傲慢な人間が多い。胃が痛くなる付き合いは金輪際御免蒙るわえ」


 王子様と結婚してハッピーエンドで終わるのはお伽噺だけである。

 妃ともなれば嫌でも社交界に関わらなければならないだろう。

 また国のとして様々な式典にも出席せざるを得まい。

 隠居の気楽さを知り、転生後も過酷な環境ではあるが自由な『水の都』での生活に慣れた身の上としては雁字搦めの人生など真っ平である。


「ま、まあ、ゲルダ先生には何かと不自由を強いる事になるかと…」


「であろうが? 誰が好き好んで権謀術数渦巻く伏魔殿に入るものかよ。だったら『水の都』の瘴気をちまちま浄化しながら一剣を磨いている人生の方が良いに決まっておるわ。況してや拘束されているでも無し。ワシは転生してからの三百有余年、気が向けば世界中を気儘に旅をしておるぞ。その愉しみもまた失い難きものであるな」


 カイム王子もまたゲルダがバオム王国だけに収まる器では無いとは思っている。

 ゲルダから聞かされた数々の冒険譚には胸を踊らせたものだ。

 冒険者としても伝説的な存在であり、調べてみただけで凄まじい功績を残してた事が分かっている。フリーランスの回復役ヒーラーとして、ともすれば軽んじられる傾向にある回復役の地位向上に多大な貢献をしていたそうな。

 その美貌は云うまでもないが、剣を始めとした武芸百般の達人である事からパーティの前衛も十分に務める事が出来る事、事故で分断されてしまい仕方なくダンジョンの最奥で置き去りにされても一人で、しかも目的を達成しつつパーティより先に生還している事から、有力なパーティから引っ張り凧だったそうで『前衛要らず』『置き去りし甲斐の無い女』といった訳の分からない二つ名も持っているという。

 余談ではあるが現状、冒険者にとって最も危険な探索場所の一つに『水の都』が挙げられているというのであるから笑えない。

 しかし魔王が直々に生み出した魔物は強力である分、見返りも多いそうだ。

 高位の冒険者であっても魔物を一匹斃すだけでかなりの経験を積む事が出来る上に、魔物の遺体から剥ぎ取った希少部位は高額で取り引きされているという。


「次にお主に勇者の資質がある事も戴けない。お主にどのような役割があるのかは知らんが、どうやらワシはお主と対になる聖女であるらしいな。ワシに聖女を名乗る気が無い以上、お主と結ばれる事はあるまいて」


「し、しかし、ゲルダ先生は剣のみならず私の肉体に宿る勇者の力を遣い熟せるよう稽古をして下さっているではありませぬか。それは取りも直さず先生も私を勇者にしようとされている事になるでは」


「莫迦者。ワシが訓練を施しているのは、そのまま放置すればお主の肉体が勇者の力に耐え切れずに自滅してしまうと分かっているからだ。お主を救おうと思いこそすれ、勇者にしようなどと夢にも思っておらぬわ」


 カイム王子が勇者の力に飲み込まれて先祖帰りを起こした時は全身に木の根を思わせる触手が這い回り、ゲルダが開祖シュタムの霊を追い出して処置をしなければ彼の肉体はズタズタになっていただろう。

 実際に治療を施した際には筋繊維の半分以上が断裂し、内臓も相当のダメージを負っていたものだ。

 しかし修行の甲斐もあってか、今では触手を自在に遣い熟し、肉体へのダメージもほぼ無いと云っても良いだろう。

 だが、影響が丸っ切り無い訳ではなく、祖先である木の精霊の力を行使し続けた影響からまだ十二歳という年齢にも拘わらず既に身長は百八十センチメートルを優に超えてしまっている。まさに植物の成長するが如しである。

 ちなみにゲルダの身長は百三十五センチメートルと女性としても小柄であり、随分と体格に差が出てしまったものだ。


「過去の記録を紐解けば確かに数多の厄災を勇者と聖女によって払われておるようだがな。そもそもにして現時点で勇者が必要な事案は無いではないか。魔王もいるにはいるが未だにシュタムから受けた傷が癒えてはおらぬ様子だ。仮に復活したとしてもワシに怯え、ご機嫌伺いに時候の挨拶を送って来るようなヤツが再び悪行を為すとも思えぬわえ」


「ま、魔王が怯えているって何をしたのですか?」


「なぁに、“近々傷が癒え、再び地上を攻める”旨の連絡を態々送ってきおってな。どうやら『水の都』を滅ぼしたは良いが、『塵塚』の母者を始めとしてワシや怨霊が居座っているせいで魔界の者共がそこに移り住めない事を業腹に思っておる様子だ」


 『水の都』が魔王の瘴気で汚染されているのも人間を拒絶する意味だけではなく、魔界に棲まう者達が地上で活動する為の処置であるそうだが、ゲルダ達が我が物顔で暮らしているせいで移住は困難を極めているという。

 魔界側も“『水の都そこ』は魔界が勝ち取った領土である”と主張しているそうだが、セイラもゲルダも“ならば奪い返すまで”と譲らない。

 その為、幾度か討伐軍・・・を送り込まれてはいるものの、その度に軍を滅ぼし、有能な将校を斬り捨てている。

 これまでの戦いの中でゲルダは首供養を二回も行っているというのだから戦闘の凄まじさが知れるというものだ。


「首供養とは如何なるものなのですか?」


「手柄首、つまり将校の首を三十三個取った者が許される供養よ。要は武勲の誉れよな。もっとも仕える主はおらぬからのぅ。武功にはならぬ。無念の死を遂げた者達へのはなむけにと催したまでだ」


「なるほど、名のある武官が六十六名も討たれたとなれば然しもの魔王も怖けるというものですね」


「いや、そればかりではない。『水の都』との戦いは魔界にとって消耗戦にすらならなかった。当然よな。こちらの兵は怨霊ゆえに死ぬ事は最早無いのだからのぅ。誤解をされても困るから云っておくが、これは復讐ではないぞ。怨霊と云っても魔界を攻め滅ぼすつもりは毛頭無い。荒御魂あらみたま和御魂にぎみたまになるまで穏やかに過ごしていたいのに魔界の方が攻めてくるゆえに迎え撃つしか無かったのだ」


 魔界の時代を担う若者達を殲滅させられ、あたら有能な将校達を誅戮された事で、ついに魔界は和平を申し入れて来たという。


「勝者の権利として『水の都』を諦めさせたのよ。瘴気の浄化は魔王であっても不可能だったのは残念であったがな。だが少なくとも新たな瘴気を『水の都』に送り込む事はしないと約束をさせた。その後、諸々の調印をしている時にまたぞろ魔王が懲りもせずに阿呆な事を云い出したのだ」


「阿呆な事とは?」


「和平の証としてワシを花嫁にするとほざいたのよ」


「先生を花嫁に?! そ、それで先生は何とお答えに?!」


 焦って縋りつくカイム王子の額に竹篦を喰らわせてからゲルダは答える。


「落ち着け。もう百年以上も前の話よ。それでだ。それがあまりに愉快な申し出だったのでな。魔界へと趣いた」


「ま、魔界へ……それは魔王の求婚を…」


 真っ赤になった額を抑えながら問うカイム王子にゲルダは呆れを隠さない。


「受け入れるか、戯け。天界より何故か魔王にトドメを刺す事を禁じられておったからな。代わりに二度と巫山戯た事を云えぬように刻印を施したのよ」


「刻印ですか」


「うむ、ワシが大抵の呪いや病を祓える事は知っていよう。だが“逆もまた真なり”と云ってな。治し方を知っているという事はである。壊し方も・・・・知っておる・・・・・という事よ」


 獰猛に嗤うゲルダに冒険者時代につけられた二つ名の一つ、『悪役ヒール回復役ヒーラー』なるものを思い出してカイム王子は戦慄させられた。


「魔王に祈りを捧げてな。尿路結石にしてやったわ。泡を吹いてのたうっておったから当分は地上を侵略するどころではなかろうさ」


 尿路結石とはそのまま尿路に結石ができる症状の事であり、結石が尿管を詰まらせ腎臓から送られてくる尿によって圧力が高まる事で痛みが発生するそうな。

 その痛みたるや尋常ではなく、立つ気力を奪い、失神する事さえあるという。

 群発頭痛と並ぶ激痛でしばしば『痛みの王様』と呼称されている。


「お、恐ろしい事をなさいます……」


「これまでしてきた所業を思えば温いわえ。本当は群発頭痛も起こしてやろうと思ったのだが、魔界の宰相が土下座をして慈悲を求めたので勘弁してやった。ほんに魔界の公爵とも思えぬ腰の低さと善良な心の持ち主よ。魔王とは血が近い王族公爵なのだから彼奴が魔王と成り代われば魔界もより良くなるであろうにな」


 ふとゲルダがぽんと手を打った。


「これでお主がトドメを刺せば、『聖女の祈りで弱体化した魔王を勇者が斃した』物語にならんかのぅ?」


「弱体化というより既に無力化・・・していると思われますが」


 魔王とはいえ流石に地獄の苦しみを味わっている者に追い打ちをかけるのは忍びないと思うカイム王子であった。


「ま、たところ日頃の不摂生か、肝臓は肝硬変を起こしておるし、肺も煙草でボロボロよ。他の臓器も軽くない症状が出ておったわ。ありゃ相当苦しみながら死ぬ事になるぞ。いや、脳の萎縮も始まっとる。自分が誰なのか分からなくなるのが先やも知れぬわな。むしろ勇者に討たれる事こそ慈悲となろうて」


 魔王に毒や呪いが効いたという話は聞いた事はないが、病気は別物なのだろう。

 どうやら五百年前にシュタムから受けた傷が元で病気に弱くなっているらしい。

 開祖シュタムは魔王を斃し損ねたと評する歴史家もいるらしいが、ある意味においては残酷な仕打ちをしていたとも云える。


「もしお主が魔王と戦う事になったとしても安心せい。一方的な戦いにならぬよう片腕、片脚を落としておいてやるわい。ついでに魔法の詠唱も出来ぬよう口を破壊しておけば一騎討ちでも良い勝負が出来ようさ」


「物語では聖女の祈りで魔王の魔力を封じたり、防御結界を破るものでしょう。物理的に魔王を壊す・・聖女の物語なんて誰が喜ぶのですか」


「そんなもの後世の詩人が大衆に向けた都合の良い物語を勝手に創ってくれるわえ。要は勇者が魔王を・・・・・・斃した実績・・・・・があれば誰も文句は云わぬという事さ」


 カイム王子は釈然としないまま水で喉を潤す。

 ふとゲルダの言葉に引っ掛かりを覚えた。


「お待ちを。既に病に冒されている魔王の腕や足を破壊してやっと五分であると仰せなのですか?」


「莫迦を申せ。“強い者がこれ即ち偉い”という単純にして崇高な掟の中で生きる魔界の王がそんなものな訳あるまい。良い勝負と云ったが、それでも勝つ見込みは三割を切るわえ。お主と五分の勝負をさせるとすれば魔王の両目も潰さねばならぬわ。いや、耳や鼻も潰して漸く互角だな。それでも油断をすれば死ぬのはお主の方だと見ておる」


 鼻を鳴らしての言葉に絶句させられるが、他ならぬゲルダの分析だ。

 今の自分が戦いを挑んでも魔王には敵わないと認めるしかないだろう。

 先程まで魔王を小物と思ってしまっていたが、それはゲルダが魔王を相手取った場合であって、人間から見ればやはり恐ろしい存在である事に変わりは無いのだ。


「ワシの云い方が悪かったのは認めるが、だからといってお主まで魔王を侮って良い理由にはならぬ。そもそもお主は漸く基礎が固まってきたところだ。これから中伝の修行に入る者が相手を侮るなど百年早い。増長せぬように丁寧に指導してきたつもりであったが、どうやら甘かったらしい。午後の稽古の前に少し本気で打ち込み稽古をしてやろう。今の自分がどれだけ未熟であるか身を持って思い知るが良いわ」


 カイム王子は猛禽の如く鋭い黄金の瞳に射抜かれて言葉を失う。

 完膚無きまでに叩きのめされる数分後の自分を想像してカイム王子は絶望する。


「お、お手柔らかに……」


「魔王と戦う際も同じ台詞を云うつもりかえ?」


「あう……」


「その甘えた性根をお主に根付かせてしまった責任を取ってきっちりと叩き直してくれよう。喜ぶが良い。今までは基礎の基礎の技しか遣わなんだが、今日から直心影流じきしんかげりゅうの妙技の数々をお主の体に刻み付けてやるわえ。理論は後で教えてやるが、今は体で技を覚えるのだ。良いな?」


「は、ははぁっ! あ、有り難き幸せに御座いまする」


 後にカイム王子は語る。

 あの時の打ち込み稽古のお陰でこの世に怖い物が無くなったと。

 事実、カイム王子は後の人生でどのような強敵や難敵と出会おうとも決して恐怖する事も絶望する事も無かったという。

 また相手が如何なる身分であろうと如何に弱かろうと侮る事なく、敬意を持って戦ったそうである。

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