第参章 塵塚の人形は母となれたのか

 かつて仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろうはさる大名に馬廻りとして仕えていた。

 馬廻りとは大名の護衛を務めるほどの武芸者で構成された謂わば親衛隊である。

 平時には側近として事務の取り次ぎも任されていたのだから官僚としてもエリートであると云えるだろう。

 吾郎次郎はその中でも二百石取りであった。

 二百石の知行とは米二百石が取れる土地と農民を支配する権利である。

 二百石の年貢収益は原則年貢米の三ッ五分物成渡し(知行高の35%)であり領主の取分は七十石となる。

 この七十石(一石=十斗=180リットル)をもって養えるのは精々が六~七人であり、馬上資格を与えられていた仕明家では、吾郎次郎自身を含め、妻、長男、次男、に加えて用人、足軽を養うのが精一杯であったという。

 吾郎次郎は五十五歳まで馬廻り役を務めていたが、長年の深酒が祟って痛風を患うと長男に家督を譲り郊外に庵を結んで隠居した。

 隠居後の吾郎次郎は気儘そのもので、幼馴染みにして碁敵の街医者に監視されながらも酒を愉しみつつ、知人の寺子屋で子供達に読み書きなどを教えていたという。

 そんな隠居生活を愉しんでいた吾郎次郎であったが、痛風に効く薬を購いに城下町へ訪れた際、一つの騒ぎが起こった。

 様子を見れば暴れ馬が出たらしい。その内に収まるだろうと軽く考えていたが、暴れ馬の行く先で子供が泣いているのを見てしまう。

 このままでは子供が暴れ馬に踏み殺されると思い吾郎次郎は両手を広げて行く手を塞いだ。しかし馬の勢いは止まらず吾郎次郎は撥ね飛ばされてしまったのである。


(ああ、これでワシの一生は終わりか。出来れば合戦場か立ち合いで死にたかったが、この老い先短い爺の命で未来ある子供の命を救えたのなら悪くはないかな)


 最期に取り抑えられる馬と母親に抱きしめられている子供を見て吾郎次郎は満足げに微笑みながら目を閉じる。

 享年六十ニ歳であった。









 ふと目を覚ます。

 馬に蹴られて死んだと思っていたが、意外と傷は浅かったのか?

 だが体を起こそうとしたものの動くことは叶わない。

 辛うじて腕は動くが力そのものは入らなかった。

 やはり傷自体は深かったのかと起き上がる事を諦める。


「あ……う……」


 人を呼ぼうと思ったが声が出ない。

 いかんな。一命を取り留めたは良いが、傷は深刻らしいぞ。

 するとガチャリという音と共に扉が開いて部屋に光が入る。

 その時点で漸く自分が闇の中にいた事に気が付いた。

 安堵したもの束の間、部屋に入ってきた者を見て戦慄する。

 それは黒を基調とするヒラヒラとした服を着た人形・・だったのだ。

 一度だけ見た事がある西洋人を模したビスクドールの如き質感の肌もそうであるが、人形の右目付近が大きく欠けており、眼球の代わりに青白い鬼火が浮かんでいるのも不気味である。

 中に人が入っていればまだ良かったのだが、欠けた部分には何も無く、代わりに黒いナニか・・・が蠢いていた。


『オ…オ…私ノ赤チャン……目ガ…覚メタ?』


 これは付喪神つくもがみか?

 器物百年経てば魂宿るというが、西洋の物もそうであるのか。

 西洋人形が頭を小刻みに揺らして近づいてくる。

 悪夢でも見ているようだ。ありえない状況に加えて体が全く動かない。

 臍下丹田に気合を入れてみたが、それでも体は動いてくれなかった。


『カ、カワイイ…赤チャン……ワ、私ガ…マ、ママ』


 白い飾り布の付いた袖から出てきた腕もまた人形のそれであり、関節部は球体が埋め込まれている。その腕が伸ばされて自分を抱き上げようとしていた。


「お…おお……」


 おのれ、妖怪、と叫ぼうとしたが、意味のある言葉を紡ぐことは出来ないままだ。

 やがて人形の腕が慎重にゆっくりと持ち上げていく。


『ワ、私ノ赤チャン……私ノ…赤チャン…』


 見た目とは裏腹に柔らかく温かい腕に自分を抱く人形の表情は優しげである。

 自分を生んだ直後に亡くなってしまったが故に顔も知らないが、もし母者が生きておられればこのように微笑んでくれただろうか、と思ったがすぐに振り払う。

 いや、それよりも赤ちゃんとは自分の事か?

 こんな爺を捕まえて何を云い出すのだと呆れたものだったが、漸く自分の身に起こった異変に気付かされた。

 この小さな手は自分のか? 体が動かないのは、そしてこの少女を模した小柄な人形が自分を抱き上げる事が出来たのは自分が赤子になっていたからか?


『ワ、私ガママ……ア、貴方ノ名前ハ…ゲルダ……ママノ…オ友達ノ名前……ア、アゲル……キ、気ニ入ッテクレタ? イ、愛シイ…娘…』


 しかも女になってしまった事実に仕明吾郎次郎改め、後に聖女と呼ばれるゲルダは絶叫の代わりに元気な声で泣き出すのだった。










『懐かしい。そんな事もあったな』


「ふん、何故、転生直後に捨てられたのか、理由を知ったワシの遣る瀬無い気持ちが分かるか? 『塵塚ちりづか』の母者に拾われなんだらワシは生後三日で死んでおったわ。もう少し転生先を考えい」


 聖剣ドンナーシュヴェルトを通して雷神ヴェーク=ヴァールハイトに苦言を呈するゲルダに対して、返って来たのは笑い混じりの謝罪であった。

 神に人の気持ちを考えろと云ったところで、人に蟻の気持ちを考えろと云うに等しい行為だと理解している。だが、それで納得がいくかといえば別の話だ。

 ゲルダの生母は妊娠中、雷神により“この子は聖女として勇者を導く運命にある。その時が来るまで大きく育てよ”との神託を受けたが、その身に余る使命に恐れおののいてしまい、夫と相談した結果、生まれたばかりの我が子を街から遠く離れた川で小舟に乗せて流してしまったのである。

 生家が貧しかった事もあるが、金髪の両親から生まれたのが黒髪の娘であった事から、夫の両親に浮気を疑われてしまった事も不幸であった。


 やがて赤ん坊を乗せた小舟は禁足地とされている恐ろしい場所へ着いてしまう。

 そこはかつて『水の都』と呼ばれた美しい国であったが、数百年前に魔王によって滅ぼされてしまい。以来、瘴気で汚染された水のせいで誰も足を踏み入れることが叶わないこの世の地獄と化していたのである。

 まだ名前もつけられていなかった赤ん坊は、そこに棲む魔物や怨霊を支配する『塵塚』のセイラに拾われたのだった。

 セイラは『水の都』の姫君に大事にされていた人形であったが、前述した魔王の侵攻に遭い、国も姫も滅ぼされてしまう。

 最期までセイラを抱いていた姫君であったが、魔王直属の将軍に槍で人形諸共貫かれるという非業の死を遂げたという。

 死の間際、何を思ったのか、姫は穴の開いたセイラの顔に自らの血を注ぎ、“いつか『水の都』を復興させて欲しい”と願いながら死んでいったそうな。

 その後、セイラは姫の清らかな願いを核にして、人々の怨念と魔界の瘴気を取り込み続けた結果、百年後に自らの意思を手に入れたのだった。

 しかし、その時のセイラはまだ動く事ができるだけの人形でしかなく、国の復興どころか、魔物を追い払う力など無かったのである。

 セイラは力を得るために瘴気を取り込み続け、武器を手に取った。

 初めは何度も魔物に返り討ちに遭っていたが、いつしか取り込んだ軍人の怨霊から戦術を得られるようになり、策を巡らして魔物を斃していくようになる。

 更に様々な怨霊から知恵だけでなく技術も学べるようになり、取り込んだ武器から自らの体を強化できる事を発見した。

 節操無く瘴気や武器を取り込んでいたセイラであったが、宮廷魔術士の遺した魔法の道具や魔道書を発見して何も考えず我が身に取り込んだ結果、魔法の知恵と技術も手に入り、更に進化していったのである。

 こうして自身を際限なく強化していったセイラの目の前に、主人の仇である魔界の将軍が再び現れた時には自我が芽生えて既に二百年が経過していた。

 強大な魔物が現れたと知り、何度も調査団を派遣していたのだが、誰一人戻って来なかったので、魔王は将軍に調査を命じたのだという。

 主人であり友達でもあった姫の仇は呆気無く死んだ。

 セイラは既に魔界の将校を一蹴するだけの力量を手にしていたのである。

 こうして『水の都』は人間からも魔界からも禁足地とされてしまう。

 ゲルダが流れ着いたのはそれから間も無い頃であった。


「『塵塚』の母者が何を思ってワシに『水の都』の姫君の名を与えたのかは当人のみぞ知るところではあるがな。思えば善き母、善き師であったわ」


 かつての吾郎次郎だった赤ん坊にゲルダという名を与えたセイラがまずした事は乳房を口に含ませる事だった。

 人形に乳が出るのかと思ったが、固そうな見た目の磁器の肌ではあるものの腕同様に触れた感触は柔らかく滑らかで、甘い液体が滲み出てきたのである。

 乳の匂いはしなかったが、急激に空腹感を覚えて夢中になって吸い付いた。

 後にセイラが取り込んだ姫の血が変化したものであると知ったが、栄養は母乳に匹敵していたようで、ゲルダはすくすくと成長していったそうな。

 それと同時にセイラが今まで体内に取り込んで浄化してきた瘴気、即ち魔王の魔力や怨念が癒やされた人間の魂も含まれていた為、離乳の時期になる頃にはゲルダの肉体は人間とは大きく懸け離れたものになってしまっていた。

 まず身体能力が常人のそれとは比べものにならず、三歳になった時点で『水の都』を徘徊する魔物など脅威ではなくなり、むしろ近寄れば逃げ出す始末である。

 また常人が触れれば腐り蕩ける危険な瘴気にも耐性があり、水や空気に含まれていようと養母と同じ様に体内で浄化し魔力を抽出して取り込む事が出来た。

 未だ彷徨う怨霊も同様で、荒れ狂う荒魂と化した『水の都』の住人だったモノはまるでゲルダを『水の都』の姫君であるように傅いたものである。

 これがゲルダの血が変化した母乳もどきを飲んだからなのか、与えられた名のお陰であるのか、この世に生まれて三百年経った今なお分かっていない。

 そう、そしてゲルダの寿命は恐ろしく伸びていたのである。


「もはや前世の五倍は生きておるのか。流石に冗長に過ぎるわ」


『だが死したところで今度は天界へ御招待だ。きっと今より退屈であろうよ』


「ワシからすれば地獄と変わらぬな。悪事は当たり前だが天に召されるまでの善行も積むものではないわ」


 どういう理屈だと呆れる雷神を無視してゲルダは貧乏徳利を傾けた。

 頬に赤みを帯びてはいるが、酔えてはいない。

 瓶底眼鏡に隠した猛禽のような目には憂いがあり、自覚の無い色香があった。

 肩で切り揃えた黒髪は艶やかで、見る角度によっては青みを帯びて見える。

 背丈は成人女性よりやや低めだが、その肢体は無駄な肉が無くしなやかで力と美の融合を実現させていた。

 乳房はやや小振りではあるが、形は整っており、張りと弾力がある。

 全体的にしゅっと締まっており、均整が取れている印象を受けた。

 前世からこの異世界に持ち込んだ直心影流じきしんかげりゅうが元々の才ある肉体をここまで磨いたのだ。


「ワシは『塵塚』の母者と静かに暮らせておれば良かったのだ。欲も無く、徳も無く、一剣を磨き、いつ終わるとも知れぬ『水の都』の浄化のみに明け暮れる人生で良かった。その意味ではワシはカイム王子を・・・・・・怨んでおる・・・・・


 血の繋がりが無く、それどころか人形ではあったが、ゲルダにとって『塵塚』のセイラは紛れもなく母であった。

 吾郎次郎であった頃も今世も生母の温もりを知らなかったが、セイラは確かに母の温もりを、そして優しさを与えてくれたのだ。

 セイラはゲルダが望む物を可能な限り与えてくれた。

 ゲルダが愛用している黒鞘の剣もその一つである。

 セイラの体内には『水の都』にある物なら何でも入っていた。

 取るに足らないゴミから剣、薬、防具、魔道書、赤ん坊の御包み、万年筆、そればかりか、勇者が遣ったとされる聖剣、世に出たら世界が滅ぶような聖遺物、魔王の体の一部、それらが渾然一体となって収まっている。

 ゴミ捨て場を意味する『塵塚』たる所以であった。

 セイラはゲルダが剣の修行をしている様子に違和感を覚えて理由を聞いてみると、『水の都』で主流だった幅広の両手剣では我が流派・・・・には向いていないと云う。

 セイラはゲルダが望む日本刀の構造を聞き出すと、体内の材料・・を使って彼女が“この上なし”と評するほどの刀を贈ったそうな。

 強度、斬れ味は今更述べるまでもないが、材料・・を聞けば人間はおろか、魔界の住人のみならず天界の神々も口を揃えて云うだろう。


「こんな出鱈目な剣があるか」と。


 何せ神々が勇者に下賜した聖剣をベースに魔王の角を混ぜ合わせ、有効とされる物・・・・・・・なら全てぶち込んでいるのだ。

 魔を屠る聖剣の性能をそのままに魔王の体の一部を混ぜた事で天界の神々や天使をも斬り捨てる事が可能な恐るべき剣が完成してしまったのである。

 しかも、この刀は生きており・・・・・ゲルダの思いのままに姿を変える事が可能という有り得ない機能も搭載されているという。

 太刀から脇差しにサイズを変えるのはまだ序の口であり、望めば薙刀や槍、鉄杖にまで変化し、木刀に擬態までする。柄から小柄を際限なく生み出す上に、宮本武蔵よろしく大小の二刀に分かれるというのだから恐ろしい。

 ゲルダはこの十六歳のバースデープレゼントを大いに喜び、神に会うては神を斬るという刀に『水都聖羅すいとせいら』と名付け、以来、愛用しているのだ。

 また愛刀と贈ってくれた母に恥じぬよう、より一層厳しく修行に打ち込むようになったという。

 余談だが、生きているというこの刀はどれだけ刃がこぼれようと回復魔法で容易に修復が可能であり、ゲルダとどれ程の距離が離れていようとも、ゲルダが呼べば一瞬にして手元に戻ってくるというまさに最良の相棒である。


「その幸福な日々もカイム王子が『水の都』に来るまでであったな」


『そなたには使命があったのだ。聖女としてのな。その意味では、そなたの二親が川に流したのは僥倖であったのかも知れぬな』


 当初の予定では人間社会の中で、記憶と力を継承したまま何度も転生を繰り返させ、勇者の導き手として成長させるつもりだったそうだ。

 しかし、『水の都』で予定の数倍も成長を続けるゲルダに神々は勇者となるカイム王子が誕生するまで放置する事に決めたという。

 そしてカイム王子が生まれると、ゲルダに会わせる為に導いたそうな。


「やはり貴様があの幼き頃のカイム王子を導いたのか」


 ゲルダは知らず『水都聖羅』の鯉口を切っていた。

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