第弍章 聖剣頂戴仕る

「これは何の騒ぎだね?」


「お前さん、知らないのかい? 王宮から先祖代々受け継がれてきた家宝が盗まれたそうなんだよ」


「ほう、ではこの物々しい騎士様達の行列は家宝の探索かね?」


「違う、違う。盗まれたお宝をクノスベ王子様が奪還に成功して今は凱旋の途中なのさ。ほら、中央の白い仮面をつけた立派な騎士様がそうだよ」


「これはまた見事な騎士ぶりだ。純白の甲冑と相俟って美しい。高貴な御方とは我ら平民とは全く違うものだね」


「それはそうさ。この国の次代の王様はカイム王子様だと云われていたけど、ひょっとするとクノスベ王子に代わる事も有り得るぞ」


「そうなのかい? いくら家宝を取り返したと云ってもそれだけでかね?」


「何でもその家宝を管理していたのは他ならぬカイム王子様だったという噂さ。それを盗まれた挙げ句に弟君に取り返されたんじゃ立つ瀬がないだろう」


「家宝が盗まれるって、立つ瀬どころか命もないのではないかね?」


「シッ! 声が大きい! 騎士様がいる前でそんな事を云うヤツがあるかい」


「おっと、これは失言。しかもカイム王子様といったら聖女ゲルダ様を追放したというではないか。この国に攻め込んできた魔王を対話のみで退けただの、地獄の瘴気で穢された湖を一瞬にして浄化しただの、素晴らしい功績を残しているのに非道い事をするものだ。これはきっと罰が当たったに違いない」


「だから声が大きいって! でも、その通りかもな。若い娘に入れ上げて、ゲルダ様を追い出しちまったって噂だからな。神様は善く見ていなさるよ」


「ああ、それに引き替えクノスベ王子様を見てみろ。なんとご立派な事か。こういう御方にこそ王様を継いで貰いたいものだな」


「まったくだ」


 バオム王国第二王子クノスベは庶民の噂に上機嫌だった。

 長年、目の上のたん瘤であった兄カイム王子の失脚も彼を喜ばせたものだ。

 まさかこうも上手く事が運ぶとは思ってもみなかったのである。

 聖剣ドンナーシュヴェルトを手にする覚悟を定めるのに一月かかったが、実際に我が手に収めても神鳴かみなりが襲ってくる事はなかった。

 神ならぬ一介の僧侶が作った護符というのも莫迦に出来ないものだ。

 母が連れてきた徳の高い僧・・・・・とやらをもっと早く信じてやれば良かったとすら思う。

 首尾良く自分が王を継げたのなら約束通り布教を許してやろうではないか。

 いや、雷神の怒りすら封じる護符を作る事が出来る男だ。

 望めば家臣として重用してやっても良い。

 美しい仮面の下でクノスベ王子は、クククと低く笑った。


「頼も~~~~~~~~~う!!」


 胴間声に馬が足を止め、クノスベ王子は前につんのめる。

 折角の良い気分を台無しにされて、キッと睨めば汚らしい男がいた。


「頼もう! バオム王国第二王子クノスベ殿と御見受け致す!!」


 奇妙な男だった。

 紺の着流しを着た初老の男は木剣を肩に担いでいる。

 不精髭がまばらに伸びた顎を擦りながらニヤニヤと笑っている様はクノスベ王子を不愉快にさせるには十分だった。


「何者だ? 私をバオム王国王子クノスベと知っての事か?」


「だからクノスベ王子かと誰何すいかしたではないか」


 男は更に小莫迦にしたような笑みを深める。

 周囲から忍び笑いが聞こえてきてクノスベ王子の顔に熱が宿った。


「どうれ。我が君に何用か?」


 クノスベ王子がボロを出す前にと思ったのか、護衛騎士の一人が前に進み出た。


「おうよ。拙者、武芸を磨く為に諸国を旅している者。名をゴロージロと申す」


 話の分かりそうな御仁が出てきて安心したわい、と男は自らの頭を撫でる。

 前頭部から頭頂部まで見事に頭皮が見えており、後ろ髪を結って何故か頭頂部に乗せる奇妙な髪形だった。


「たまさかこの国を訪れた際、盗まれた家宝を取り戻した豪傑がいると聞き及んでな。一手ご指南頂きたく罷り越た次第でござる。我が願い、御聞き届け頂けますかな、クノスベ王子様?」


 面倒な事になった、とクノスベ王子は頭を抱えたくなった。

 それというのもバオム王国は開祖が騎士という事もあり武芸を尊ぶお国柄である。

 それゆえ、バオム王家の人間は如何なる相手であっても挑戦されたらそれを拒む事を許されていない。拒否すれば“士道不覚悟”と父王から罵られるだけでなく、下手をすれば折角手に入れた王位継承権を失いかねないのだ。


「何、御多忙であらせられるクノスベ殿のお手を煩わせるのだ。こちらも手ぶらではない。金貨百枚、指南料として持参致した。これで我が願いを御聞き届け下され」


 クノスベ王子は思わず喉を鳴らした。

 それというのも、武芸の国というだけあって王家には清廉を求められるからだ。

 国の豊かさを誇示する為に月に一回は舞踏会を開くが、それとて遊興費としてきちんと国家予算の中から割り当てられているし、どこの国もそうだろう。

 王子という立場ではあるものの自由に出来る金は皆無に等しく、有っても母の実家から送られてくる小遣いくらいなものである。

 それが金貨百枚だと? その瞬間、クノスベ王子の脳裏に浮かんだのは、一度だけ遊んだ高級娼館での想い出であった。

 小遣いを遣り繰りして漸く貯めた金貨十枚であったが、いざ支払いになると全然足りず、しかも王子という身分を隠していたので小さな窓のある巨大な桶を被せられ花街の大通りにて晒されたという。どうにか王家に連絡をつけて花代を支払って貰えたが、父王に叱責を受けて大いに面目を失う事となったのである。


(これだけあれば堂々と遊ぶ事が出来る。私を好きと云ってくれたあの娘の為にも、もう一度あの娼館に行きたい!)


 リップサービスも娼婦の手練手管の一つなのだが、真に受けてしまったクノスベ王子は是が非でもその日相手になった娼婦と会いたかったのだ。

 そして幼い頃から春をひさいでいたという少女を救うのだと意気込んでいた。

 もっとも身請けをするのに金貨百枚程度では全く足りずにまた恥を掻くだけだと嗤うのは世間知らずの王子様には酷であろう。

 余談だがクノスベ王子がたった一度の逢瀬で入れ込んでいる娼婦は若く見えるが既に三十路手前である。更にクノスベ王子には気の毒な事だが、彼女はとっくの昔にさるお大尽に身請けされて妻の座を射止めていた。


「ゴロージロと申したな。そなたの願い、聞き届けてやろう」


 クノスベ王子が高らかに答えると周囲から歓声が上がった。

 武芸を尊ぶとは云えども届けもなく決闘をすれば罪になる。

 しかし王族が挑戦を受けるとなれば話は別だ。

 日頃の鬱憤もあって庶民は突如起こった決闘を歓迎した。


「おお、ありがたい。老い先短い無骨者に良き冥土の土産ができ申した」


「ただし、私と立ち合う前に弟子二人と立ち合って貰おうか」


「勿論ですとも。我が剣がクノスベ王子殿の眼鏡にかなうか、見て頂こう」


 弟子などいないのだが護衛騎士の内、二人が進み出た。

 主が“行け”と云えば行くのが忠義である。


「我が名はクロクス! まずは私が御相手致そう!」


「ゴロージロと申す。いざ」


 騎士達はこうした野試合に備えて木剣を用意している。

 ゴロージロとクロクスは互いに礼をすると木剣を構えた。

 しかし構えたは良いものの二人は暫く動く気配を見せない。


(出来るな。この場にてクノスベ王子に挑戦するからには腕に覚えがあるであろうと見ていたが、打ち込む隙が無い)


 長期戦になるかと思ったが、ゴロージロに僅かな隙が出来た。

 手が震えている。よもや恐怖ではあるまい。武者震いでもなさそうだ。

 ゴロージロの呼吸が乱れ始めたのを見てクロクスは“老い”ゆえかと見抜いた。

 この老人はもう構えを長時間維持するだけの体力が無いのだろう。

 ならばゴロージロが馬脚を露わす前に勝負を決めてやるのが情けというものだ。


「いやぁ!!」


 裂帛の気迫でクロクスは木剣を振り上げつつ老人に迫った。

 クロクスの木剣はゴロージロの肩口を叩いたが倒れたのはクロクスである。

 ゴロージロの剣の方が早くクロクスの胴を薙いでいたのだ。

 甲冑を着ていたが老人の一撃は衝撃を甲冑の中にまで通していた。


「ふふふ、秘剣『鎧通し』でござる」


 自身も肩を打たれたが、それでもゴロージロは不敵に笑った。


「では次はこのキーファーが御相手しよう」


 最初に対応した騎士が名乗った。


「お願い申す」


 やはり打たれた肩は無傷では無かったのか、老人は右肩を手で押さえている。


「む、ご老人、怪我をされたか? 日を改める事も出来るが」


「否、戦場では傷を負ったとしても敵は手心を加えてはくれまい。むしろ標的にされるであろう。傷を負ったも我が未熟の結果、そのまま御相手願います」


「それほどの覚悟を召されているのであれば、止めるのは無礼か。ではこちらも全力で御相手致す」


 二人は笑い合うと一礼をして木剣を構えた。

 ゴロージロが正眼の構えであるのに対してキーファーは顔の横に剣を立てている。


「ちぇえええええええええすとぉ!!」


 クロクスと同じ結論に達したキーファーが全力を一剣に込めて振り下ろす。

 ニの太刀を考えていない一撃を防ぎ切れず木剣を取り落として、今度は左肩を打たれてしまう。しかし、どうと倒れたのはキーファーの方であった。

 なんと老人は木剣を捨て、キーファーの腕を取って背負うように投げたのである。


「武芸百般。拙者の技は剣のみにあらず…でござるよ」


 では、御相手願おうと笑うゴロージロにクノスベ王子は戦慄する。

 バオム王国が誇る騎士達の中でも特に抜きん出ていたクロクスとキーファーの両名があっさりと負けてしまったのだから無理もない。

 しかし、すぐに気を持ち直し仮面の下で舌嘗めずりをする。

 確かにあの二人に勝ったこの老人は恐るべき達人ではあるが無傷の勝利ではない。

 両肩に痛手を負って木剣を持つのもやっとという有り様であるに加えて今や完全に息切れをしてまともに戦える状態ではないだろう。

 これなら武道の心得の無い自分・・・・・・・・・・でも勝てる。


「相手をするのは構わぬがご老人、今は傷を癒やされよ。後日、使者を送り王宮へ招待致すゆえ、そこで雌雄を決しようではないか」


 先の試合前での遣り取りを見るに老人はこの申し出を断るに違いない。

 言質を取った上で戦えば誰も“卑怯者”と云いはしないだろう。


「左様か。寄る年波には勝てぬのか、実はもう限界でしてな。その申し出はありがたい。それに死ぬまでに一度は王宮に行ってみたいという夢もあり申した。これは思い掛けず良き冥土の土産が手に入ったというもの。死後、地獄の獄卒達への自慢話と致し申す」


「へっ?」


 思わずクノスベ王子は間抜けな反応を見せてしまう。

 いやいや、ここは断るところではないか。

 しかも王宮に得体の知れぬ老人を招待してしまっただけでも問題なのに、これでは正式な試合を組まれてしまうだろう。

 皆が見ている前で無様な負け方をすればそれこそ唯では済まない。

 父王にも見限られる可能性もあるし、何より、その様でどうやって聖剣を取り戻したのだと追求されればお仕舞いだ。

 兄カイム王子を失脚させる事ばかりに頭がいって、カバーストーリーなど全く考えていなかった。苦しい云い訳しか出てこないだろう。


「いやぁ…その…」


「んん? 如何なされた? まさか男子が一度口にした事を反故されまいな?」


 ゴロージロはニヤニヤ嗤っている。

 この老人、まさか私の心の内を読んでいるのか?

 クノスベ王子の背筋に冷たいものが走ると同時に怒りもふつふつと涌いてきた。

 自分は次期国王だぞ。それが何故このような素性の知れぬ薄汚れた老人に追い詰められなければならないのだ。


「この詐欺師め! 危うく騙されるところであったぞ」


 いきなりのこの発言に周囲はざわつく。

 虚を衝かれたのはゴロージロも同様で訝しげな表情を見せた。


「何を申される。拙者が詐欺師ですと?」


「そうだ! お前のような男に金貨百枚など用意出来る訳がない。怪しからぬ奴。引っ捕らえてくれよう」


「何を云い出すかと思えば、それほどお疑いであれば……ほうれ、この通り」


 ゴロージロが懐から革袋を取り出して口を開ける。

 その中には金貨がぎっしりと詰まっていた。

 しかしクノスベ王子は逆上したように声を張り上げたのである。


「これではっきりしたな。貴様、どこでこのような大金を盗んできた?! 捕らえた後、私自らじっくりと訊問してくれよう」


「これはしたり。この金は旅の途中でありついた日雇いの稼ぎ、冒険者の助太刀料、人助けの謝礼などをこつこつ貯めたものでござる。決して人様の物に手を付けた訳ではござらん」


「黙れ! 日雇いに金貨を支払う莫迦がどこにいる? もっとマシな云い訳をしろ」


「クノスベ王子は両替という言葉を知らぬのか? 王族に銀貨や銅貨で指南料を支払うのは失礼と思い態々金貨に替えたまでの事でござるよ」


 ゴロージロは噛んで含めるように諭すが、場を誤魔化す事しか頭に無いクノスベ王子は聞く耳を持たない様子だ。


「黙れと云った! 騎士達よ。この怪しい男を捕らえるのだ!」


 しかし騎士達は誰一人動かない。

 キーファー達を介抱していた騎士の一人が呆れた様子を隠さずに云う。


「クノスベ王子、主の命令とはいえ聞けるものと聞けぬものがございます。ゴロージロ殿こそは真の武人です。でなければキーファー隊長とクロクスの両名に勝つ事はできますまい。貴方はゴロージロ殿との決闘を自らお受けになったのです。バオム王国の王子である前に一人の武人として男らしく筋を通しなされ」


 仮面の下から聞き苦しい歯軋りが聞こえてくる。

 野次馬達からも戸惑いのざわめきが広がりつつあった。


「何だ。立派なのは見かけだけか」


「今云ったのは誰だ?!」


 クノスベ王子が叫ぶが群衆は知らん顔だ。

 庶民から呆れられ、騎士から叱責されたクノスベ王子は追い詰められていく。

 しかし、そこへ救いの手を差し延べたのは意外にもゴロージロであった。


「ふむ、確かに拙者のような汚い無骨者を王宮に入れたくはなかろう。では、こうしよう。指南は日を改めずに今この場で受けて下され。さすれば丸く収まりましょう」


 クノスベ王子としては願ってもない言葉であるが、腑に落ちない。

 それではゴロージロに旨味が無いではないか。


「拙者は初めからクノスベ王子から一手指南を受けられれば良いと申しておるのです。面倒事を起こすつもりは毛頭ござらん」


「そ、そうか、な、ならばまずは指南料を頂こうか」


「ほう、盗まれたという疑惑のある金を御所望かね」


 ゴロージロの指摘にクノスベ王子はたじろぐ。


「ゴロージロ殿、そもそも指南料を差し出す義務は無いのです。王家は誰からの挑戦も拒まずが鉄則。その金は貴公が必死に貯めたものでしょう。大事に使われよ」


 意識を取り戻したキーファーが優しく諭す。

 その顔にはゴロージロへの敬意と友愛があった。


「左様か。金、金、金の世の中を渡ってきたからか、すっかり擦れた考えになっておったようです。では、失礼して……」


 ゴロージロがあっさりと革袋を懐に入れてしまったのを見てクノスベ王子は思わず手を前に出してしまう。

 その未練がましい手つきにキーファーから叱責が飛ぶ。


「騎士たる者がなんと無様な! ゴロージロ殿は近頃見なくなって久しい真の武人、良い機会なのでその性根を叩き直して頂きなされ!」


 クノスベ王子はキーファーを睨むが、その程度で怯むような柔な騎士ではない。

 ジャリッという土を踏む音に目を向ければゴロージロが木剣を肩に担いで目の前に立っていた。


「お陰で傷も疲労も癒え申した。ぐだぐだやっていなければまだ良い勝負が出来たものをな。回復の時間はしっかりと取れた。手心は期待せぬことだな」


 ゴロージロの獰猛な笑みにクノスベ王子は悲鳴を上げてしまう。

 庶民には悲鳴の意味が分からなかったが、騎士達にはありありと理解出来た。

 間近で相対したクノスベ王子と武の心得のある騎士達にはゴロージロが巨人のように見えていたのである。実際に巨大化したのではない。ゴロージロから発せられる気迫が彼らに巨人を幻視させていたのだ。

 騎士に促されはしたがクノスベ王子は木剣を手にする事はできても構えることはなかった。いや、そもそも構えはおろか剣の握り方もろくに知らずにいたのである。


「どおおおおおりゃあああああああああああああああ!!」


 本人の宣言通り、肩の怪我が無い証明として木剣を背中に叩きつけるように振り上げて、その反動を利用して振り下ろす。


「ひいいいいいいいいっ?! ママぁ?!」


 有ろうことかクノスベ王子は木剣を取り落として棒立ちのままゴロージロの剣を受けてしまったのだ。

 しかし、想像していた衝撃も痛みも来ない。

 いつの間にか瞑ってしまっていた目を開くと、ゴロージロの姿は無かった。


「武人に非ずば斬る価値も有らず。これは宝の持ち腐れゆえ拙者が貰い受ける」


「えっ?」


 背後からの声に訝しむ間も無かった。

 キンと澄んだ音と共に甲冑に亀裂が入りバラバラに砕けてしまう。

 否、違う。甲冑の断面はまるで磨いたかのように美しかった。

 なんとゴロージロは木剣でもって甲冑を斬った・・・のである。


「偽の武人め。逆に指南料を頂いていくぞ」


「な、何を? って、それはダメぇ?!」


 振り返ったクノスベ王子はゴロージロの手に聖剣があるのを見た。

 慌てて追いかけようとするが無様に転んでしまう。

 何故なら甲冑のみならず、服まで斬り裂かれて足や腕に絡んできたからである。

 ほぼ裸になってしまった王子は絡む服を脱ごうとするが、もがけばもがくほど無様に絡まっていくだけの結果に終わった。


「指南料に聖剣ドンナーシュヴェルトを頂戴仕る」


 資格も護符も無い老剣客はそれでも神鳴に打たれることなく高笑いと共に駆け出して雑踏の中へとあっという間に姿を消してしまった。

 あまりの出来事に騎士達すら動く事もできずに見逃したのである。


「どうしよう……ママに怒られちゃう……」


 怒られるだけでは済まない失態を犯しているのだが、クノスベ王子は現実逃避でもしているのか、そのような暢気な事を呟いていた。

 次の瞬間、顔を覆っていた仮面が砕け、母親譲りの長い顎と出っ歯に極端な鷲鼻を晒してクノスベ王子はただ譫言のようの母親を呼び続けるのであった。









 一方、無事に逃げきったゴロージロは街外れにある一件の廃屋に身を潜めていた。

 彼は鞘から聖剣を抜くとリビングの床に突き立てる。


「さあ、何があったか聞かせて貰おうか? 今のワシはすこぶる機嫌が悪い。黙秘も虚偽も許さぬからそう思えい。少しでもワシの気分を害すれば切っ先から寸刻みにしてやるからそう覚悟せよ」


『やれやれ一年振りに会うたというのに愛想のない事よ。カイムと会えなかった一年はそれほどストレスが溜まるものだったのか? 否、溜まったのは性欲かな?』


 ゴロージロが聖剣に話しかけた事も驚きだが、なんと聖剣が美しい女性の声を持って答えたではないか。


「秘剣……」


『ああ、待て、待て。揶揄からかったのは悪かった。だからその技はよせ。鉄どころかミスリルやオリハルコンすら刻む『斬鉄』の異名を取る聖女・・に斬られてはかなわん』


「次は無いぞ?」


 ゴロージロの体が突如発光を始める。

 光が収まると、そこには老剣客の姿は無く、黒髪の少女が立っていた。

 少女ゲルダは機嫌が悪いのを隠そうともせずに聖剣の前でドカリと座る。


『パンツ姿とはいえ女があぐらか。色気も無いものだな』


「元より色気を振り撒くつもりは無いわいな」


 ゲルダはどこから出したのか、貧乏徳利を手にすると一気に煽る。


『聖女よ、何をそんなに苛立っておる?』


「クノスベ王子の事よ。曲がり形にも王子だぞ、王子。いざとなったら槍を手に民衆の元へ馳せ参じ、命を捨てて守らねばならぬ男があの様とはな」


『否、あれはあれで良い。武門の王家とはいえ皆が皆命を捨てて戦う訳にはいかぬ。血を遺す必要もあるのだ。極論になるが一人くらいは真っ先に逃げる者が要るのは分かっておろう?』


「あのような屁っ放り腰では逃げるにも逃げられぬわ。これに懲りて走り込みくらいはして欲しいものよ」


 それよりも――ゲルダは聖剣ドンナーシュヴェルトと向き直る。


「さて聞かせて貰おうか。何故、カイム王子の元から盗まれた? クノスベ王子は小賢しげに護符を持っておったが、あの程度の玩具・・で封じられる貴様ではあるまい? お陰でカイム王子は切腹、ワシも折角しがらみから解放されたというのに、つまらぬ政争に巻き込まれてしもうたわい」


『つまらなくはない』


「む? 貴様は骨肉相食こつにくあいはむ争いが面白いと抜かすか?」


『そういう意味ではない。バオム王国に危機が迫っておるのだ』


 聖剣の云っている事が冗談ではないと察したゲルダは聞く体勢になる。

 もっとも貧乏徳利を手放すつもりは無いようだが。


『我がそなたをこの世界に転生させた・・・・・・・・・・理由もそこにあるのだ』


「あの迷惑極まりない転生か。まあ、報酬は既に受け取っちまったからな」


 ゲルダは灘酒が無限に出る貧乏徳利・・・・・・・・・・・・を撫でる。


『普通は“力が欲しい”とか“スキルが欲しい”とかが相場だというのにそなたは……』


「力も技も修行で手に入るわえ。自力で手に入るものを神に欲してなんとする」


 聖剣の呆れた声にゲルダはニッカリと笑う。


「では聞こうか。この仕明しあけ吾郎次郎ごろうじろう何故なにゆえ聖女ゲルダへと転生させたのかをな」


 ゲルダは聖剣を通して雷神ヴェーク=ヴァールハイトの言葉を静かに待った。

 半分は灘の生一本きいっぽんに添える酒肴さかな代わりにするつもりではあるが。

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