王子との婚約を破棄され追放された転生聖女は庶民に“酔いどれ”と笑われている

若年寄

第壱章 見参! “酔いどれ”のゲルダ

 春先と云えども夜の風は冷たい。

 朧気な月灯りを頼りに大通りから一本逸れた路地裏を一人の少女ゲルダがふらふらと覚束無い足取りで歩いている。

 この街の治安はお世辞にも良いとは云い難く、人気の無い場所をのこのこ歩けば襲われたとしても文句は云えない。

 況してや少女が身に纏っているドレスは高級ではないが安物でもなく身綺麗であり、腰に上品な黒鞘の剣を差している様は如何にも小金を持っていそうな雰囲気だ。

 事実、ゲルダはこの街一番の豪商フォルコメン商会に請われてさる舞踏会に同行し、同商会会長フォルコメンの護衛を終えた後、日当を貰って懐が温かかった。

 舞踏会が終わり、会長を屋敷まで届けると、ゲルダはドレス姿のまま酒場へと繰り出した次第である。


「あれだけ高級な酒を呑んだのにまだ呑み足りませぬか」


 そう呆れるフォルコメン会長に少女はニッカリと笑う。


「御歴々が一堂に会されている場で呑んで酔えるものか。それに高い酒はワシの口には合わん。安酒場で安酒を呑んでおる方が性に合っておるのよ」


 用心召されよ、との忠告を聞き流しながらゲルダは手を振って別れたのだ。

 現に少女の懐を、或いは瑞々しいその肢体を狙った掏摸、掻っ払い、強盗、痴漢、或いは唯の酔漢が少女の通り過ぎた後を追うように倒れているのが見える。

 倒れている――相手は千鳥足の冴えない黒髪の地味な少女だ。ワケもないと思って襲いかかったのが運の尽きだった。

 掏摸見習いの少年コルボは擦れ違いざまに自慢の指を少女の懐に差し入れて財布を掴んだと思ったその刹那、世界が回ったと感じた。

 気が付いた時には強かに背を地面に打ち付けられて悶絶していたのである。

 薄れゆく意識の中で駆け出しの掏摸はあっちにふらふら、こっちにふらふらと危なっかしい歩調で去っていく少女の背中を見た。


(チキショウ! 恰好で騙された! ありゃ“酔いどれ”のお嬢じゃねぇか!!)


 己の記憶にある見窄らしい瓶底眼鏡の少女がペロッと子供のように舌を出すのを思い浮かべた直後にコルボは気を失った。

 ゲルダはチラリと顔だけ振り返り、母者に温かい物でも買ってやれ、と笑って闇の中へと姿を消していく。

 程なくして目を覚ましたコルボは手に銀貨を握らされている事に気付き、掏摸としての矜持を傷つけられたと憤る反面、かっちけねぇと心の中で感謝した。

 さて、少女はあれから強盗やチンピラをあしらいながら鼻唄混じりにずんずんと進んでいく。足の運びこそ見ていてハラハラさせられるが、道に迷っているようには見えなかった。

 気前の良いフォルコメン会長から色を付けた日当を貰い、久々に懐が温かくなっていた少女は何件も酒場を梯子して漸く帰路につこうとした矢先に、


尾行つけられている)


 と察して折角酒で温まった体を態々寒風に晒しながら人気の無い道を歩いていたのである。

 しかし、わざと隙を見せているのに襲って来るのはつまらない小悪党ばかりなのだからいい加減嫌になろうと云うものだ。

 先程など友達の兄である自称掏摸名人が懐に手を突っ込んできた時など、苛立ちからつい投げ飛ばしてしまったくらいだ。

 一年前の自分ならコルボの腕を掴んで、莫迦め、とからかって仕舞いにしていたはずだが近頃は少し短気になってきたのかも知れぬ。

 今や少女は袋小路に入り込んでいた。


「いい加減に姿を見せい。折角の酔いがすっかり醒めてしもうたではないか」


 ゲルダは振り返り、路地の先にある闇へと声をかける。

 彼女は十五、六歳にしか見えないが、その口調は壮年の男のようだ。

 しばらく待ってみたが、相手は姿を見せる様子は見せない。

 しかし、未だに気配が残っているので立ち去った訳ではなさそうである。


「そっちがその気ならお前の相手はこいつ・・・に代わって貰うぞ?」


「お、お待ちを」


 黒塗りの鞘をポンポンと叩くと闇に身を潜めていた人物が姿を現す。

 その正体を見て少女の顔に少なからぬ驚きが見て取れた。


「おいおい、こんな辺境の街に聖女様・・・ともあろう御方が何用でいなさる?」


「もう二度と会わないという約束を反故にしてしまった事はお詫び致します」


 聖女と呼ばれた相手もまた年若い少女であった。

 聖女は少女の前に進み出ると膝をついて頭を下げる。


「しかし、今はゲルダ様にお縋りするより手は無いのです」


「む、見れば服は破れ、怪我もしているではないか。何があった?」


 少女ゲルダは聖女に近寄ると手を翳した。

 するとゲルダの手に仄かな光が宿り、その光に照らされた傷が瞬く間もなく癒やされていく。それどころか半裸になるまで破れていた服までも修復され、豪奢な刺繍やレースで彩られた純白のドレスが蘇った。


「さ、流石はゲルダ様、私めのような名ばかりの聖女とは違い服まで直して仕舞われるとは……」


「それより何があった? お主は今一人か? 王子はどこにおる?」


 ゲルダの質問に聖女は答えず顔を手で覆って泣き出してしまう。

 女子供の涙に弱いところがあるゲルダは面喰らい、困惑する。


「ええい、泣いていては何も分からぬ。一体、何があったのだ?」


 しかし聖女は泣くばかりで答えない。否、答えられずにいた。

 いい加減、どうしたものかと思案していたゲルダであったが、不意に聖女を背にして先程、彼女が出てきた闇に誰何すいかする。


「何者だ? ここ最近、ワシの動向を探っている者の気配は察していたが、お主らか? このワシに用があるのなら堂々と姿を見せい」


「ヒッ?!」


 聖女の短い悲鳴を合図にした訳ではないだろうが、闇から現れたのは三人の僧侶だ。しかも法衣の上から防具を纏い、槍を手にしている。


「ふん、近頃、僧侶の身でありながら武装して王侯貴族を相手に強訴したり農民を扇動して一揆を起こす僧兵なる者がいると耳にしておったが、お主らがそうか」


 僧兵達はゲルダの問いには答えず槍を構えた。

 一人は穂先をゲルダの眉間に定め、二人目が心臓を狙い、三人目はゲルダではなく聖女に穂先を向ける。

 ゲルダが三人のいずれかに斬りかかっても残る二人が確実にゲルダ或いは聖女を突き殺すだろう。見事な連携である。しかも三人とも手練れであり、隙というものが全く無かった。

 今まで無表情だった三人の内、ゲルダの眉間を捉えている僧兵が不敵に笑った。


「今までこの『火血刀之陣』を破った者はおらぬ。大人しくしておるのが身の為ぞ」


 火血刀とは、罪人が死した後に堕とされる地獄を示す火途、獣にされ弱肉強食の過酷な世界を生きる畜生道を指す血途、餓えと乾きに苦しむ餓鬼道を指し、刀で追われる事から刀途と呼ばれる所謂いわゆる三途の事である。


「お主らの目的は何だ? この御方がカイム王子の奥方と知っての狼藉か?」


 ゲルダの鋭い声に僧兵達が笑った。


「その偽者・・がか? 要らざる猿芝居はやめい。カイム王子の妻は貴様であろうが? そして本物の聖女も貴様よな?」


「ワシが? 何を抜かすか。ワシは唯の日雇い用心棒よ」


「猿芝居はやめろと云ったはずだ」


 僧兵達は笑みを引っ込めるとジリジリと間合いを詰めてくる。

 ゲルダは視界の端で、ある家の屋根の上で影が動いているのを認めるや、ふっと笑った。


「ふん、確かにワシはカイム王子の婚約者であったが、それも一年前の話ぞ。深酒が祟ってな。国を挙げての神聖な儀式を失敗したせいで婚約を破棄された挙げ句に城からも追放された。今では聖女の資格も無くした大酒喰らいの穀潰しよ。人呼んで“酔いどれ”のゲルダとはワシの事だ」


「お嬢!」


 ゲルダと僧兵の中間で爆発が起こり、辺りは黒い煙に包まれる。


「ようやってのけた! 後でもう一枚銀貨をやろう!」


「助けてやったのに吝いな?!」


 頭上からのコルボの抗議を無視してゲルダは剣を抜き付けながら眉間を狙う穂先を斬り飛ばした。

 いや、それだけでは終わらない。

 剣が完全に抜けたと同時に刃を返して聖女を貫かんとしている槍を截断し、更には心臓に向けられた穂先を搔い潜りつつ正面の僧兵の腹を薙いだ。

 致命の傷ではないが、迅速に処置をしなければ失血により命を失いかねないだけの血が流れている。

 抜刀から攻撃の終了まで流れるような連続技であった。


「走れ!」


 ゲルダは聖女の手を掴むと三人の内の誰かは分からぬまま正面の敵に体当たりを喰らわせてその場から逃走することに成功する。

 二人は普段ゲルダが寝起きしているフォルコメン家が所有する寮に落ち着いた。

 コルボも何故か執拗に同席を望んだが帰らせている。

 銀貨五枚を握らせ、先の礼を丁重に述べた後、母者が心配して待っているぞと諭せば、渋々ながら帰っていった。


「さて、何があったのか、話してくれるな?」


 聖女は頷くとぽつりぽつりと話し始める。

 それはゲルダが想像していたよりも深刻な状況であった。

 現王の寿命が尽きようとしているのは占星術にて察してはいたが、崩御を前にしてカイム王子と弟クノスベ王子の間で後継者争いが起こったというではないか。


「順当にカイム王子が継げば善かろうではないか。カイム王子は賢君と呼ぶに相応しい才の持ち主。それはクノスベ王子も認めていたであろう」


「はい、そうなるはずでした。しかし……」


 なんとクノスベ王子の母が異議を唱えたのだとか。

 それを聞いてゲルダの顔に苦いものが浮かんだ。


「シュランゲ殿か。側室の子であるカイム王子より正室の子であるクノスベ王子こそが正当な後継者であると叫んだか」


 ゲルダの脳裏に蛇のように執念深い王妃の顔が浮かぶ。

 五十路を越えてはいるが、まだ三十代半ばのような瑞々しさのある女性である。

 もっとも元は公爵家の娘であったからか気位が高く、他者を見下す悪癖があった。

 それだけならまだ我慢ができたが、身分の低い者を苛む事に悦びを覚える性分の人で、僅かでも気に障ろうものなら罵声を浴びせるなど当たり前で、ヘソでも曲げようものなら常に手にしている馬上鞭が飛んでくる事も珍しくない。

 しかも二目と見られない醜女しこめで、異様に長い顎に話す事も困難なほどに飛び出した出っ歯、絵本の魔女のような鷲鼻の上に酷薄そうな細い目をしていた。

 政略結婚とはいえ、このような女と人生を共にし、抱かなければならなかった若き日の現王にゲルダは同情したものである。

 これで歳を取って丸くなってくれれば良かったのだが、どうやら若い頃よりも烈女っぷりに磨きがかかってしまったらしい。


「それでどう捩じ込んできたのだ? ただ喚くだけなら、いくら病を得たとはいえ王も突っぱねる事は出来よう。しかし、こうしてお主がここにいるという事はカイム王子に只事ならぬ事態が起こったのではないのか?」


「はい、実は即位を前にカイム王子は王家に代々伝わる聖剣を継承していたのです」


「ドンナーシュヴェルト、雷神の力を宿す聖剣だな。まだ早いと思っていたが、継承したという事は持ち主として認められたということか」


 血反吐を吐くまで扱き抜いた弟子にしてかつての婚約者の成長を感じられて嬉しくもあり、我が手から完全に離れてしまったのだなという寂しさも覚える。


「はい……ですが、その大切な聖剣を盗まれてしまったのです」


「何だと?」


 流石にゲルダも色を失う。

 ドンナーシュヴェルトとは、かつて嵐を司る邪神を調伏した騎士が、後に改心して雷神となった元邪神から授かった聖剣である。

 これは雷神と騎士が友誼を結んだ証であり、騎士の子孫、即ち後の王家が代々引き継いできた秘宝だ。


「盗まれたとしてもどうやって? 彼の聖剣は持ち主と認められた者以外の者が手にすれば立ち所に神鳴かみなりが落ちて滅ぼされてしまうであろう」


「分かりません。しかしその尊き聖剣が何者かに盗まれたのは確かなのです。そしてその責めを負ってカイム様はおはらを召す事に……」


 聖女は再び泣き崩れてしまう。

 それを横目にゲルダは思案する。

 これは由々しき事になったと思う反面、まだカイム王子の切腹は行われていないと考えている。でなければ箱入りで、蝶よ花よと育てられ、長じてからは修道院に入って外界に一切触れる事無く生きてきた聖女が態々自分に救いを求めて命懸けの旅をするまい。


「ゲルダ様に縋る資格が無いのは分かっています。しかし今は貴方様だけが頼りなのです。どうかカイム王子をお助け下さい」


 化粧を崩すまでに涙と鼻水に濡れた顔を上げて聖女はゲルダに懇願する。


「助けろとはワシに聖剣を取り戻せと云うのか? 引き受けても良いが、それで一度下された切腹の沙汰が取り下げられるとも思えぬがな」


 何せ国の宝を紛失しているのだ。

 返ってきたところで責めを免れるとも思えなかった。


「実は失った聖剣をクノスベ王子様が賊から奪還して国に帰還されるという報せが入ったのです。その功績を持ってクノスベ王子様が正規の王位継承者になられるとお沙汰がありまして」


「ではどうにもならぬではないか。盗まれた聖剣が返ってくるのならワシの出る幕など無いわ。早々に帰ってクノスベ王子に縋りカイム王子の命乞いをせい。国を出ると云えば情けくらいはかけてくれよう」


「それがレーヴェ様がおっしゃるには、これはクノスベ王子、いえ、シュランゲ様の策謀ではないかと。ならば命乞いをしても聞き入れては頂けないだろうと」


 レーヴェとはカイム王子の母親であり、かつては国内最強を誇っていた騎士であったが、現王の手がつき、懐妊した事で側室となった謂れがある。

 実直を絵に描いたような清廉の騎士で、ゲルダが剣士としても優秀であった事から剣友として親交があり、カイムとの婚約もレーヴェの進言があればこそであった。

 美形ではあるが中性的というよりは男顔であり、その精悍さはカイム王子にも引き継がれている。


「それでは益々ワシの出る幕が無いではないか。お主は、いや、レーヴェ殿はワシに何をさせたいと申すのだ?」


「はい、実はクノスベ王子はまだご帰還あそばれてはいないのです。シュランゲ様がおっしゃるには、善き機会であるので世間というものを勉強して来るようにとの事です。ですがレーヴェ様によると、出来る限り帰還を遅らせてカイム様に長く死の恐怖を味わわせようとしているのではと仰せなのです」


 あの執念深いシュランゲ殿ならやりかねんなと思いつつ、ゲルダは漸く全てを呑み込む事ができた。


「つまりワシにクノスベ王子から聖剣を奪えと云うのか。或いは聖剣が偽物だと証明しろと云う事かな」


 カイム王子と同じ失態を犯せばクノスベ王子にも責めが生じる。

 王家に二人しかいない王子を二人とも切腹させる訳にはいくまい。

 つまりそこを落とし所にして、王位継承権は別として命を救う取っ掛かりにしたいという事なのだろう。

 もし聖剣が本物でも神に認められた聖女であったゲルダなら神罰が降る恐れはないし、大酒喰らいの悪癖に目をつむれば、偉大な功績の数々を残しているゲルダが“その聖剣は偽物”であると断じればクノスベ王子は面目を失うという事か。


「随分とつまらぬ事に巻き込んでくれたものだな」


「も、申し訳ありません。しかし、もう私達がお縋りできるのはゲルダ様をおいて他にはおりませぬ。何卒、カイム王子様のお命をお救いくださいませ」


 ゲルダは腕を組んで長く沈考していたが、しばらくして立ち上がった。


「遣り方をワシに任せてくれるというのであれば引き受けても良いぞ」


「ほ、本当ですか?!」


「ああ、本当だとも」


 ただし――ゲルダは聖女を睥睨する。


「これがワシを貶める策であったなら、お主は勿論、レーヴェ殿やカイム王子の命は無いものと心得い。その事はレーヴェ殿にも釘を刺せ。しかと申し付けたぞ」


 そこにいるのは“酔いどれ”ではない。況してや聖女でもない。

 国内最強と謳われたレーヴェをも打ち負かした不世出の剣客がそこに立っている。

 その威風に聖女は、畏まりましたと平伏するのであった。

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