第肆章 王子、聖女と邂逅する

 バオム王国第一王子カイムは不退転の決意と勇気をもって呪われた『水の都』へと足を踏み入れたはずだった。

 その為に父王や大臣にも告げずに、宝物庫から無断で呪いを防ぐマントを持ち出してまでたった一人でこの地へと趣いたのだが、早くも決意がにぶり始めている。

 見渡す限り水、水、水である。

 街の全体が入り組んだ水の迷路であり、その水路に沿って建物が建造されている様子はまさに『水の都』と呼ぶに相応しい。

 しかし水路の水は毒々しい緑に染まり、しかも異様に輝いている。

 水が魔王の瘴気で汚染されている証拠であり、触れる気にもならない。

 事実、あらゆる呪いを弾く秘薬を塗った小舟の底からは、瘴気と薬が反応して聞くに堪えない音と共に紫の煙を上げている。


「こ、ここに居るんだな?」


『うむ、どのような毒も浄化し、あらゆる病を癒やす魔法の遣い手である聖女は確かにこの『水の都』に棲んでおる。きっとそなたの力になってくれよう』


 マントに付いているフードを外したその顔はまだ幼い。

 歳の頃は十歳前後か、大きな緑の瞳に不安の色があった。

 柔らかい金色の髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、首の後ろで束ねている。

 しかしカイム王子と対話している者の姿は見えない。


『さあ、気を引き締めよ。ここから先は何が起こるか分からぬ。いつ魔物が襲って来ても可笑しくはない。油断するでないぞ』


 否、カイム王子の腰にある短剣を飾るエメラルドが言葉に合わせて明滅している。

 その様はまるで短剣に意思があり、王子と会話をしているかのようだ。


「こ、このような魔物が徘徊する呪われた地に聖女殿は本当にいるのか?」


『呪われているからこそ聖女はこの地で一人、魔王の呪いを浄化し続けているのだ』


 “まるで”ではなく、事実、王子と短剣は言葉を交わしていた。


「そうか……不憫ではあるが、私が王国に連れて行くと云えば喜んでくれるだろう」


 カイム王子は朽ちていない桟橋を見つけると、不器用ながら漕ぎ寄せていく。

 やがて小舟がぶつかるように桟橋に到着し、王子はこれまた不器用に舫いだ。


「で、では行ってくる。頼んだぞ」


 カイム王子は魔物がいるというのに腰の短剣を小舟に置いていくようだ。


『離れていても我はそなたを視ている・・・・。それに、そのマントを纏っている限りは魔物や怨霊からはそなたは見えぬ。万が一の時はすぐにここへ転移させるゆえ、安心して聖女を捜すと良い』


「わ、分かった。信じているぞ」


 フードを目深に被ってカイム王子は小舟から桟橋へと飛び移った。

 途端に桟橋の板を踏み抜いて瘴気に満ちた水路へ落ちそうになってしまう。

 一見無事なようで少なからず腐っていたようである。


「ヒィッ?! あ、危なかった」


『前途多難であるな』


 短剣の声を聞いたか聞かずか、カイム王子は半べそになりながらも漸く『水の都』への上陸を果たしたのだった。


「では、行ってくる」


 カイム王子はフードを被り直すと、腰のサーベルを抜いて探索を開始した。

 何故、この十にもならぬ幼い王子が一人呪われた地に趣いたのかと問われれば、彼の生母レーヴェが原因不明の重い病に罹ってしまい病床の人となってしまったのだ。

 医者の見立てでは既存する病気のいずれにも当て嵌まらないそうで、或いは毒を盛られたのではという可能性も指摘した。

 しかし、仮に毒だとしてもその症状もまた未知のもので、下手な解毒剤を投与するのは逆に危険であるとまさしく匙を投げたのだ。

 このまま母が死にゆくのを黙って見ているしかないのかと唇を噛むカイム王子に優しげな女性の声が届いた。耳にではない。脳裏に直接響くような不思議な声だった。


『手はある。カイムよ。我が元に来れば母を救う方法を教えて進ぜよう』


 疑念は浮かばなかった。

 カイム王子が幼かったと云えばそれまでだが、母上が助かるのならと、藁にも縋る思いで素直に従ったのである。

 声に導かれるまま辿り着いたのは城の宝物庫であった。

 不思議と途中で誰にも会うことはなく、宝物庫を守る騎士の姿も見えない。

 そして厳重に施錠されているはずの扉が開いていたのだ。


『我を信じて、よくぞ参った』


「だ、誰だ? どこにいる?」


『ここだ。そなたの正面におる。さあ、こちらへおいで』


「ま、まさか、聖剣ドンナーシュヴェルトか?!」


 宝物庫の一番奥に据えられた台座に恭しく祀られている一振りの美しい白銀の剣にカイム王子は恐る恐る近づいていく。

 歴代の王達によって受け継がれてきた聖剣の伝説は知っている。

 特に持ち主に認められた者以外の者が触れようものなら、立ち所に神鳴かみなりによって罰が降されるという逸話がカイム王子の足を鈍らせた。


『畏れることはない。母を救いたければ我が元へよ』


「そ、そうだ。聖剣ドンナーシュヴェルトよ。母上を救う方法とは?」


『うむ、ここより北にある『水の都』の事は存じておるか?』


「数百年前に魔王に滅ぼされたという、あの?」


『そうだ。そなたが今からそこへ向かう勇気があれば母を救う事が出来るであろう』


 カイム王子の顔に困惑が浮かぶ。

 伝説では魔王に滅ぼされた後、瘴気に穢されて人が足を踏み入れる事が不可能な危険地帯になっているとあったからだ。


『瘴気は神々の祝福を受けたこの『魔封じのマント』を身に纏えば問題は無い』


 カイム王子の目の前に古びたフード付きのマントが飛んでくる。

 バオム王国の開祖である騎士が愛用していたマントは所々綻んでいたが、それゆえに歴史と威厳を感じさせたものだ。


『そのマントはフードを被れば魔物や怨霊の目からそなたを隠す効果もある。これで『水の都』を探索する事が可能となるであろう』


「探索? 聖剣よ。『水の都』で私は何を探せば良いのだ?」


『話の早い子は嫌いではないぞ。そなたは『水の都』に住む聖女と会うのだ。聖女の持つ『万能の治癒魔法』を用いればそなたの母はきっと救われるだろう』


「聖女とな? そのような恐ろしい場所に人がいるのか?」


『うむ、聖女の名はゲルダ。呪われた『水の都』で一人、瘴気の浄化をしている憐れな娘を救い出せば、その無限の慈悲をそなたの母へと向けてくれよう』


「そうか、そのような呪われた地に囚われている聖女を救うのもバオム王国の騎士たる者の務め、母上の件が無くとも行かねばなるまい」


 カイム王子の脳裏には、鎖で繋がれた純白の薄衣を纏う儚げな少女が懸命に『水の都』の呪いを解く為に祈るヴィジョンが浮かぶ。

 想像力が逞しいのか、聖女が母を救った後、何故か一緒に冒険をし、多くの仲間と共に魔王を斃すまでイメージが膨らみ、最後は成人した自分と聖女が仲間に祝福されながら結婚式を挙げていた。


『な、何やら不埒な事を考えているようだが、決意が定まったのなら早速出発しよう。カイム王子よ、これを持て』


 聖剣の束を飾る緑の宝石から一条の光が放たれてカイム王子の腰を照らすと、同じ装飾が施された短剣が現れたではないか。


「これは?」


『我が分身を与えた。その短剣にも我が意識が宿っておる。此度のカイム王子の初陣を我がサポートしてやろう』


 聖剣からの贈り物にカイム王子は感嘆の声をもらす。

 初陣という言葉の響きも王子の心をくすぐった。


「これは心強い! では行こう。私の、私だけの冒険を! 待っていてくれ、姫!」


 どうやらカイム王子の変換機能は“せいじょ”と書いて“姫”となるらしい。

 何はともあれ、こうしてカイム王子の初めての冒険が始まったのである。









「ヒッ?! 来るな!!」


 しかし現実とは非情なものだ。

 いくら相手から見えなくなってもこちらは相手の姿ははっきりと見える。

 おぞましい魔物や無惨な怨霊にまだ幼いカイム王子の心は恐怖で塗り潰された。

 聖剣からのアドバイスに従ってかつての王宮を目指していたのだが、途中に休憩を取ろうと大きな屋敷に入った途端、頭を割られた無惨な少女の怨霊と鉢合わせになってしまい幼い王子は悲鳴をあげてしまう。

 いくら見えなくても絶叫してしまっては怨霊もカイム王子の存在に気付き、襲いかかってきたのである。

 しかもその数は時間が経つにつれて増していき、怨霊だけではなく魔物まで引き寄せてしまう結果となった。

 フードを被り直すという発想は遙か彼方へと飛んでいき、手にしていたサーベルは既に手元には無い。

 もっとも実体を持たない怨霊にサーベルは効果が無く、王子の腕ではたとえサーベルがあったとしても魔王が直々に生み出した魔物には歯が立たなかったであろう。

 カイム王子は神に勇者となる運命と才を与えられてはいたが、それだけで強大な魔物に敵うはずがなかった。

 実戦経験など城下町付近で遭遇した最弱の魔物スライム数匹くらいである。

 ただ神に与えられた才能により、それだけで力量が大きく成長し、習ってもいない初期の魔法が自動的に修得できた事が彼の不幸であった。

 この勝利と成長に勢いづいた彼は一気に『水の都』を目指してしまい、冒頭に至ったわけである。

 勿論、短剣を通して雷神ヴェーク=ヴァールハイトも諫めはしたのだが、気分はすっかり勇者となっていたカイム王子は聞く耳を持たずに経験を積むことなく魔封じのマントの力を借りて安全・・に『水の都』へと到着してしまったのだ。

 雷神の計画では今回の冒険で聖女ゲルダと邂逅させると同時に未来の勇者を鍛えるはずだったのだが、着いてしまった以上は王子の隠密能力に賭けるしかなかった。


「あわわわわわ……こ、来ないで……」


 土地勘が無い上に迷路のように入り組んだ街という事もあって、カイム王子はとうとう袋小路に追い詰められてしまう。

 怨霊達は自らを殺した魔物達を畏れてか姿を消していたが、脅威度で云えば魔物の方が怨霊よりも上である。

 命乞いをしたところで魔物達の瞳に知性の光は皆無だ。

 それでもカイム王子は、来るなと繰り返す事しか出来ずにいた。

 ただ王家の意地か。涙を流してはいるものの、臍下丹田に力を入れて失禁だけはすまいと気を張っているこの一事だけは見上げたものである。

 その意気地が気に入らなかったのか、二足歩行をする狼の魔物が前に進み出て低く唸り声を上げる事でカイム王子を威嚇する。

 目を瞑ったり反らしたりしていない事も気に食わない。

 人間エサはただ怯えていれば良いのだ。

 知性は無くとも魔物としての悪意がカイム王子に僅かながらも残されていた勇気に苛立っていた。

 ついにワーウルフと呼ばれる魔物がカイム王子に襲いかかる。

 生臭い口が王子の顔面を抉り取ろうとしたその瞬間、魔物は真横に吹き飛んだ。

 何事が起きたのか、カイム王子は理解出来なかった。

 異変はまだ終わらない。

 風を切る音が連続して起こり、そのたびに魔物が吹き飛び、また倒れていく。

 今度は魔物が怯える番であった。

 魔物達は恐慌状態に陥り四方に散って逃げ出すが、それは許されずに瞬く間に狩られ、カイム王子が戦闘の終了を悟った時には、二十は超えていたと思われる魔物達は全滅していたのである。


「一体、何が……」


 カイム王子が既に事切れているワーウルフに目を向けると、側頭部に銀に光る矢が刺さっていた。


「大丈夫か、坊主?」


 かけられた優しげな声に振り向くと、紺の着流し着た老人が銀の弓を手にして立っていた。


「勇者ごっこか肝試しか分からぬが、ここは本当に怨霊が出る危険な場所ぞ。入口まで送ってやるでな。日が高い内に家に帰る事よ」


 老人が莞爾として笑ってカイム王子の頭を撫でる。

 その大きく温かい手に“生きている”と自分の無事と相手が生身である事に二重の意味で安堵したもののタイミングが悪かった。


「あ…ああ……」


 同時に気も弛んでしまい、カイム王子の括約筋までもが弛んでしまったのだ。


「ま、無理もあるまい。の神君・徳川家康公とて三方ケ原みかたがはらの合戦で武田信玄公に敗れて逃走した際に脱糞したとされておるからのぅ。味噌・・が出なかっただけ大したものよ」


 呵々と笑う老人にカイム王子は食ってかかった。


「ぶ、無礼者!! 何が可笑しい?! 私は、私は…あだっ?! 何をする?!」


 頭に走った衝撃にキッと睨めば、老人が鋭い目付きで睨んでおり、その迫力に気圧されてカイム王子はサッと目を反らした。

 先程は魔物相手になけなしの勇気が残っていたが、老人の目を見た途端にカイム王子の虚勢は砕け散ってしまう。この老人と比べたら先の魔物など赤子のようなものだった。


「無礼はどちらだ? 命を救われて出てくる言葉がまずソレか?」


 云われてカイム王子はたじろいだ。

 確かに笑われはしたが命の恩人には違いない。

 カイム王子は一旦怒りを引っ込めると、右手を胸に当てて頭を下げた。


「この命を救ってくれた事に礼を云う。訳あって名を名乗れぬが容赦願いたい」


「ま、良かろう。これ以上怒るのは大人気無いわえ。それより入口まで送ろう。外に出れば綺麗な水もあるであろうし、そこで股座またぐらと服を洗うが良い」


 『水の都』の外へ送ろうとする老人にカイム王子は待ったをかける。


「ご老人、私はこの『水の都』に用があって参ったのだ。このまま帰る訳にはいかぬ。ご老人はゲルダという聖女を知らぬか?」


 すると再びカイム王子の脳天を衝撃が襲う。


「ま、また殴ったな?! 今度は何だ?!」


「それが人に物を訊ねる態度か? ワシがその聖女であったら何とする?」


「いや、どう見てもご老人は聖女ではないであろう。歳はともかくご老人は男ではないか。いくらなんでも今のは理不尽だろう?!」


 頭を擦りながら苦言を呈するカイム王子に老人は睥睨して返す。


「可能性はあろうさ。近在の貴族やお大尽の子女からの求婚が煩わしくなり、こうして爺の姿に身をやつしておるとかのぅ。そもそも聖女でなくともワシが貴族の使者である可能性も無きにしも非ずだ。もし、そうであったらな使者に無礼を働いたとして後々の祟りが怖いぞ?」


 一理あるとカイム王子はたじろいだ。


「ではどうすれば?」


 命令する事に慣れている身分の王子は態度を改めろと云われて困惑する。

 流石に父王に接するような礼儀では可笑しいと分かっているのだ。


「まず片膝をつき、国、官、姓名を名乗る」


 云われてカイム王子は膝をついた。


「わ、私はバオム王国第一王子・カイム=ケルン=バオムと申します」


 老人に呑まれたのか、カイム王子はあっさりと身分を明かしてしまう。

 しかしカイム王子の勘が何故だかこの老人に逆らってはいけないと告げていた。


「口上はそうよな、これこれこうあって私は聖女を捜していると理由を述べ、そこで初めて誰何すいかをするべきであろうな」


「はっ、我が母が重い病に倒れたのですが、症状に不審な点があり、医者の見立てでは毒を盛られた可能性もあるとか。そこで万病を癒やす聖女ゲルダ殿に母を救って頂きたく罷り越しました。失礼ながら貴方様は聖女殿で在らせられますか?」


「いやいや、残念ながら人違い。拙者は聖女などではござらん。己の武を磨く為に諸国を巡る剣客でござる。本日、この『水の都』におったのは近在の人々に頼まれて、田畑や家畜を食い荒らす魔物を駆逐せんが為。おお、申し遅れたが、拙者の名はゴロージロと申す」


「なっ?!」


 無礼と拳骨をニ発も喰らい、膝までつかされたというのに、聖女ではないと云われたカイム王子は絶句してしてしまう。


「どこから聖女の噂が出たのかは知らぬがな。近在の街や村に良く効く万能薬を売り歩く少女なら存じておる。その薬売りの行動範囲がこの『水の都』を中心にしている事から、そのような噂が出たのであろうな」


「そ、そんな……」


「おお、そんなに落ち込むでない。代わりと云ってはなんだが、その万能薬を分けてやろう。トリカブトやテングタケ、カエンタケといった植物系の猛毒もさることながら砒素や水銀といった化学系の毒にも有効でな。流石に末期の癌は救えぬが万病に効くというのも本当だ。きっと母者も助かるであろう」


 老人はカイム王子に万能薬を持たせると、一方を指で指し示す。


「この街は一見、複雑そうではあるがな。まっすぐ外に出る道も少なからず存在する。ほうれ、この道を道なりに進めば南の城門まで一直線だ。あの辺りの魔物は既に駆逐済みよ。安全にここから出られよう」


「で、でも怨霊が……」


「なぁに、ワシが一言云えば大人しいものよ。既に坊主、いや、カイム王子には手出し無用と命じておる。まあ、遠巻きにお主を見ている分は我慢致せ。久々の生者ゆえに興味があるだけだからな」


「な、何故、怨霊がご老人の云う事を?」


 カイム王子の指摘に老人は一瞬だけ、虚を突かれた表情かおを見せた。


「な、長く旅を続けておるとな、その土地々々の霊と誼を結び、危難を避ける術が身に付いてくるものよ。では、さらばだ。暗くなる前に帰るのだぞ」


 老人は乾いた笑い声を上げた後、ジト目で見てくるカイム王子にシュタッと手を上げて足早に去っていった。

 何とも雑な誤魔化しにカイム王子が訝しんでいると、脳裏に女性の声が響いた。


『今のが聖女ゲルダだ。あやつめ、前世の姿に変化して世を欺くとは小癪な真似を』


 只者では無いとは感じてはいたが、まさか本当に聖女だったとは……

 カイム王子は驚きはしたものの納得は出来た。

 老人の放つ矢は銀製であったし、何より神聖な気配を宿していたのだ。

 しかも、そのような聖なる矢を惜しげもなく遣うのだから唯の旅の剣客ではないだろうとも思ってはいたのである。

 でなければ一国の王子である自分が場の空気に呑まれていたとはいえ、膝をつくなどあろうはずがない。


「しかし前世とは?」


『それは良い。今はゲルダを追うのだ』


 新たに湧いた疑問を一蹴されてしまうが、聖剣を相手に怒っても仕方が無い。

 代わりに別の問いをぶつける。


「聖女殿には逃げられたが万病に効く薬は手に入ったのだ。今は追うより母上の手当てが先決ではないのか?」


『そなたは聖女としてのゲルダに会わねばならぬのだ。折角掴んだえにし、逃す訳にはいかぬ。聖女との繋がりを結ぶのがそなたの宿命であり使命と思うが良い』


「それは日を改めてはいかぬのか? 今は母上の事が大事であろう」


『日を置いてゲルダとの縁が薄れる事の方が一大事ぞ。ゲルダを捕まえる大儀の前ではレーヴェの如き騎士風情の命は些末な事と心得よ』


 あまりの言葉にカイム王子は言葉を失う。

 神からの授かり物とはいえ云って良い事と悪い事があるだろう。

 そして幼いカイム王子にも理解が出来た。

 きっと母の病は聖剣、否、神の仕業・・・・なのだろう、と。

 嗚呼、だから聖女殿は見窄らしい老人に身をやつしていたのだ。


「了解した。聖女殿を追おう」


『それで良い。だが、そなたにも悪い話では無い。聖女ゲルダは麗しい娘だ。きっとそなたも心奪われるだろう。そしてゲルダの夫となる幸運を神に感謝するのだ』


 雷神ヴェーク=ヴァールハイトは満足げに云ったものだ。

 だが神ゆえにカイム王子に僅かな反骨心が生まれた事に気付かない。

 仮に気付いたとしても、些末な事と放置したに違いない。

 確かに聖女ゲルダに惹かれるものはあった。

 だが容姿にではない。そもそも会ったのは老人の姿だったのだ。

 では何に惹かれたのかと云えば、あの恐ろしい魔物達を一瞬にして討伐、否、掃討した強さにであった。

 幼くともカイム王子もまた武門の名家、バオム王家の男である。

 神の望む通り、聖女ゲルダとの縁を結んでやろうではないか。

 だが、それは師弟としてだ。

 神が何故、彼女に拘るのかは分からないが、好きにさせてやるものか。

 カイム王子の中で聖女ゲルダが“姫”から“師”となった瞬間であった。

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