第2話 向かいの少女

知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。

        「胡蝶之夢」荘子より



 退屈な授業。卒業しても何に役に立つのか全く分からない授業の数々。エアコンも効かない蒸し暑い中で行われる教師たちの独演会、まったく辟易する。このじめじめとした空気のせいか、それとも授業を全く理解することができない自分に対してなのか。苛立ちが沸々と募っていく。こういう時は、頭を真っ白にして寝るのに限る。起きた時には夏休みだ。


 祐一はついていけない授業にぼんやりとしていると、向かい側の教室に人影が目に入ってきた。女の子のようであった。

電気が付いていない教室だから忘れものでもしたのだろうか。だが、普段なら気にも留めないその子に目が離せなくなった。

何故なら、その子は教室をうろついてる。いや、うろついている、というよりものだ。

目を凝らして見直してみるが、やはり宙を舞いながら、机と机をまたいでいく。教室をまるでそこだけに重力がないかのように軽快な動きだ。きっと重力がない世界というのは気持ちがいいに違いない。そう思うや否や、祐一も空に浮いた。身体が自由に飛び回れるのは気分がいい。そうだ向かい側の子に会いに行こう。そう思ったがはやいか、相手もこちらに気が付くや否や、向かい側の教室からこちらに飛び込んできた。そして、ぐっと胸に組み付いた。


。」


 えっ、と思わず口から漏れる。なんで、名前…いや、それよりも胸が当たってる…そう思ったのが早かったか否か、女の子に組み付かれたままベランダから真っ逆さまに落ちていく。あっ、死んだ。でもまあ女の子とこうやって二人で死ぬならまあいいか、などとと思った瞬間、頭に激しい衝撃を受けた。


「逢沢っ!授業中に堂々と居眠りとはよくやるな。」


 吉田のこぶしで、俺は強引に夢から引き戻される。クスクスとクラスメイトの笑い声で意識が鮮明になった。

「最後の日くらい、きちんと授業を受けろ。とりあえず、立ってろ。」


 はいはいと返事をしながら渋々と立ち上がり、残り時間をつぶす。向かい側の教室に目をやるが、女の子はもちろんいない。そう、夢の出来事なのだから。夢の内容を思い出そうとするが、時間が経つにつれ段々と記憶が合間になっていった。完全に意識が現実に戻ったところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。終礼をして吉田が教室から去ると、


「やっと終わったよ~~~!!!」


 教室中に響き渡る。ハルは思いきり背伸びする。1期の授業が全部終わったのだ、そういう気持ちもわかる。退屈な授業もこうやって終わってみると、有意義な時間だった。人生を考える時間を大いに過ごすことができたのだからな。あとはホームルームが終われば、夏休みだ。いい響きだ。ホームルームが始まる前に、ハルに声をかける。


「お前、ほんとノーテンキでいいよなあ」

「祐一には言われたくないよーだ!」

「まぁ、これから夏休みだからうかれて当然よな」

祐一がポンポンと頭をなでると、

「子供じゃない!頭ポンポンするなぁ〜」



ハルは同い年だが、幼く見えるハル。本人は子ども扱いされるのがいやらしいが、どうしても妹のように扱われてしまう。二人は昔からの付き合いで、男女というよりは兄妹に近い関係であった。ハルと祐一がじゃれあっていると、


「仲良きことは美しきかな、とはいえ教室でイチャつくのはどうかと思うよ」


 大きくため息をつきながら冬彦が、教室に入ってきた。インテリらしく眼鏡をくいっと上げる。冬彦は一部女子から人気が高い。今も3人に視線が集まっている。


「冬彦さんは相変わらずクールだにゃ~」

ハルはうんうんとうなづく。

「同い年にさん付けするのは、どうにかならんのかね」

ハルはいつも冬彦にはさん付けをする。幼く見えるハルとは反して、冬彦は大人びている。身長も3人よりも群を抜いて高く、また落ち着いた様子が大人っぽい印象をより強くしていた。


「同級生に見えないんだよ、お前は」

悪い意味ではなく、誉め言葉として祐一は言う。祐一は冬彦に何度も助けられており、冬彦の判断には一目を置いていたからだ。だが、冬彦からすれば悪口でしかなかったのだろう。


「グっ!お前、人が気にしていることをずばっというな…。」

冬彦は胸倉をつかみ、うぅ、とうめく。そのような姿を見たハルがすかさずフォローを入れた。

「ハルから見れば冬彦さんは落ち着いてるし、大人びるんだにゃ」

ハルはにっこりと笑顔で冬彦を見上げた。冬彦が笑顔で頭を撫でるのをきたいしていたハルだったが、脇から祐一から茶々を入れる。


「ハル…お前は子供の時からにゃあ、だのうに~だの…そろそろそういうキャラ付けは年甲斐もないぞ」

祐一はハルを容赦なく突き放す。


「わーん、冬彦さあん。祐一がいじめる~。」


「コラ、祐一。だから子供をいじめるなとあれほど。児童虐待として訴えられるぞ。」

「ガーン!冬彦さんもハルをいじめるんだにぃ…。」

ハルがショックを受けていることを介せず、冬彦は祐一のほうに目をやる。

「ところで、話が合ったんだ。ほれ。」

冬彦は祐一にポスターを投げやる。祐一はポスターを広げると、見なければよかったという嫌気を見せる。


「なんだ、これ?ドキッ♡夜の学校探索ツアーって…」

「いわゆる肝試しだな」

冬彦は大真面目に答える。冬彦が大真面目に答えたことに祐一はより嫌気が増したようだった。

「参加者を募集しているんだ。どうしても秋子がやりたいっていうからな、あいつは言い出すと止まらん。ということで顔なじみにお前らに頼みに来たというわけだ。」

祐一はあからさまに嫌そうな顔をしているが、無下に断るのも可哀想だと思い「考えとこう」と返事をしようとするも、横からハルが割り入ってきた。


「わたし、やるー!!冬彦さん、私たち参加しますっ!」

ハルは見た目どおりに、子供のように大はしゃぎである。

「さすがハル!お前ならそう言ってくれると思っていた。」


冬彦は満足そうにうなづいた。祐一とハルが肝試しに参加することが決まったところで、ホームルームのチャイムが鳴る。冬彦は祐一に後から連絡をするということを告げると、慌てて自分の教室に戻っていた。祐一はため息をつきながらも、ポスターに目を落とした。

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