第10話 浮かぶ

 天を仰ぎ見る。湿った空気の層が幾重にも連なり、地上から途方もない天空へ続いている。重なり合った気体が緩やかな速度で極大の渦を形成し、過去から未来への万物の変幻を小さな人の身体に教え込ませているようだった。


 両腕を大きく伸ばす。そのまま手で空を掴む。空気の層の厚みを感じることはできたけど、冷たい手ごたえはするりと逃げていってしまった。


 冷気の中を泳ぎながら、金色の人影が舞い降りてくる。そちらへ向かって、右手を差し伸べた。


 リンデがぼくの手を掴む。ぼくもまた、彼女の手を固く握った。


 ふわり。身体が軽くなった。少しでも空へ近づこうとつま先立ちになる。少しふらついた。まだ残っている肉体の重さが煩わしい。


 リンデが微笑む。優しさと、ちょっとした茶目っ気がある。


 ぼくはリンデを頼りにしていると意識で伝えた。リンデはぼくと繋いでいる手に力を込めることで応えてくれた。


 つま先が地面から離れた。徐々に足元の空気の層が厚みを増していく。層の重みは浮力の増加に比例する。天はもっと近く、地上はより遠くへと遠のいていく。


 地上の原っぱとの距離が離れていく。点在する建物がミニチュアのように映り、指で弾けば簡単に倒れてしまいそうだった。


 風が湿り気を帯びてきた。肌が濡れている。寒気を感じる。気温が急速に下がっていった。


 リンデの吐く息が水分を吸収し、質量を増す。吐息は中空でもこもことした塊を形成し、ぼくの顔にふわっと当たった。


 暖かい。リンデはぼくを温めてくれる。ぼくの身体は、リンデという優しさに触れて恍惚となる。かけがえのない尊き至福が、身体の内側にまで染み入ってくる。ぼくはリンデへの感謝と愛おしさで心を熱を帯びていくのを感じた。


 上空は地上よりも熱に乏しい。そして、引力による枷の重みを普段以上に強く感じる。だから、リンデのもたらしてくれる温もりと、星が煌く海へ向かう浮力が頼みの綱なんだ。


 風が勢いを増す。海は少し荒れているようだ。ぼくとリンデは互いの手を固く握りしめたまま、風圧に抗い、無数の心の灯を目指して飛んでいく。


 幾つもの光の筋が迸る。極寒の電光が異なる風の合間を縫うようにして、天と地を割く勢いで雲を突き抜けていく。


 リンデは全身で舵を取り、雷の軌道を綺麗にかわす。リンデによって先導されているぼくの身体も宙を舞い、すぐ傍を幾つもの光が通り過ぎていった。


 無数の水滴が顔に当たる。眼にも水が当たる。でも、ぼくは瞼を閉じなかった。


 リンデは輝いている。この空の旅路も、彼女という希望があれば、行くべき場所へたどり着ける。


 ぼくの胸の内で、リンデと共有している夢が膨らんでいった。

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