第6話 田園

 空気は乾燥し、肌をチリチリと摩擦してくる。冷えた外気にさらされた枯草は泥の固まった原っぱの上で失われた色素の残滓と入り混じっている。幾つもの茶色いイネ科の草がふらふらと揺れていた。


 水田からも水気が失われており、かつては飛び交っていた秋の虫の姿もほぼ見当たらない。辛うじて、コバエらしき羽虫が陽の熱を求めているかのように宙を舞っていた。


 土の匂い。植物が腐り、乾燥したことで腐臭が加わっている。まとわりついてくるものではなく、乾いた風の流れとともにすっと通り過ぎていく。それは儚い命の香りでもあった。


 恵みによってもたらされた豊穣。一見するとそれが死に絶えたようにも映える。実際、この風景を彩っているのは、生命活動を終えたものたちのなれの果て。だが、それらは巡る有機物の変換の過程に過ぎない。失われたものは新しく生まれてくるものの糧となっていくのだ。


 理屈ではわかっていた。でも、ぼくはただ寂しい想いを募らせる。新しい命が生まれても、消えていったものたちを知る者は永遠に現れないのだから。


 誰が巡り移り行くものに感情を与えたのだろう。何のために。……いや、それとも、こうして思考する心の動きとして認識しているもの自体が偶然の産物なのだろうか。


 感情を持てたことを嬉しいと感じたことはあるだろうか。ない。いや、あるかもしれない。でも、あった方が良かったかはわからない。


 意識の中心でくるりと振り返ったのは、彼女の顔。表情は穏やかな、綺麗な瞳は命の雫で煌いてた。


 晩秋の風の流れ。幾つもの命の残滓が次の温かな風を願いながら、多くの種を育む。彼女の見て感じているものがぼくの五感を刺激し、雄大な時の流れの渦に呑み込まれている浮世の星々の一つ一つが感情の火を灯していた。


 灯は大きな朝日に照らされている。それら小さな火の揺らぎに比べれば、天より注ぐ陽の光は永久なる輝きと思えるほどの時を過ごすのだろうけど、陽とて永遠ではない。


 ぼくの涙腺がじわじわとひきつく。悲しみ。憤り。哀れみ。大きな視点も小さな視点も、結局は同じ動きに翻弄されて生きているものの姿があるだけかもしれない。只管により大きな視点へと昇っていけば、この儚く残酷な運命のカラクリを仕掛けた張本人が大局を傍観しているだろうか。


 ぼくもまた、フラクタル構造の一部分にすぎない。どれだけ背伸びをしたところで、存在するかどうかも判別しようのない造物主の足元にすらたどり着けるはずもないのだ。


 彼女は笑っている。代り映えなく。もっともぼくにとって、彼女が変わらずにいてくれることが幸福なんだ。


 寒い。もうじき、冬だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る