5話 トリプルデート1

各地で梅雨入りが発表されつつある土曜日の朝。私、広瀬(ひろせ)翔(か)菜(な)は自室の窓から差し込む朝日に目を細める。今日は恋人である露木(つゆき)章人(あきと)さんとのデートの日。さらに親友の橘(たちばな)ひよりちゃんとその恋人の倉地(くらち)桜也(さくや)さん、ひよちゃんの双子の弟のいつき君とその恋人の牧(まき)芙佳(ふうか)さんとのトリプルデートの日だ。私は桜也さんと芙佳さんには会ったことがないから少し緊張もするけれど、露木さんやひよちゃん、いつき君の話を聞く限り2人とも優しくて素敵な方のようなので、やっぱり会えるのが楽しみ。

そもそも、どうしてこのメンバーで出かけようという話になったかというと、芙佳さんがサークル内の後輩から執着されていて、それによって芙佳さんが危険な目にあったさいにいつき君とひよちゃん、露木さん、桜也さんが芙佳さんを助けたことへのお礼として、芙佳さんがお出かけを計画したところから話が膨らみ、最終的にトリプルデートという名目で隣の県のアミューズメントパークに行くことになったのだ。私はその騒動に関わっていないので参加していいのか迷ったのだけれど、実は私が露木さんとお付き合いすることになったきっかけの遊園地のフリーパスをくれたのが芙佳さんで、そのときチケットのお礼として私がキーホルダーを送ったことへのお礼を直接会って言いたいと思ってくれていることを露木さん経由で聞き、芙佳さんがそう言ってくれるならと私も参加することにしたのだ。どんな理由であれ、露木さんと一緒にお出かけできるのは嬉しいものね。

私は、窓に吊り下げたてるてる坊主を撫でて「ありがとう」と思わず呟いた。今日は雨模様になるとの予報だったので、朝から晴れてくれたのはいつき君発信で作った、このてるてる坊主のおかげかもしれない。

私は、クローゼットを開けて白とベージュのチェック柄のシャツワンピースを取り出して着替える。雨が降るようならパンツスタイルですっきりとまとめようと思ってコーディネートを考えていたけれど、こんなにお天気がいいならふわっと広がるワンピースを着ても大丈夫そう。ウエストマークでくびれ部分を絞れば、よりふわっと裾が広がって、可愛さのあるシルエットができあがる。次にメイク。フェイス用の日焼け止めを塗ってビューラーで睫を上げて色つきリップを塗るだけだから、メイクというほどのものでもないのだけれど。薄ピンクの小さな飾りの付いたヘアゴムで髪をポニーテールにして、支度は完了。鏡で最後のチェックをしていると、スマホに露木さんからの着信が入る。

「もしもし。おはよう、広瀬。そろそろ家に着くけど、もう出てこられそうか?」

「露木さん、おはようございます。はい、門の前で待ってますね」

「了解」

露木さんの声を聞くと、今日のお出かけへのわくわくが一層高まる。電話を切ると、私は急いで玄関へと向かった。その途中、リビングに顔を出してテレビを見ていたお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに「行ってきます」を言い、玄関に飾ってあるお父さんの写真にも「行ってきます」と声をかけて外に出る。門の前で待っていると、3分ほどで露木さんがやってきた。

露木さんは、サマーニットにタイトなボトムスという服装をスタイリッシュに着こなし、爽やかな笑顔で手を振りながら歩いてきた。普段は全体的にタイトな服を着ていることが多いので、ボリュームのあるトップス姿にドキドキしてしまう。いつもは頼れる大人な印象だけど、今日はそこに柔らかさがプラスされて、なんというか…。ちょっと可愛い。

思わず露木さんを凝視してしまっていると、彼が不思議そうに首を傾げた。

「…広瀬?」

「あ、ごめんなさい! …その、ニット似合ってますね」

私は、なぜか恥ずかしくなって目をそらしながら露木さんを褒める。

「ありがとう。広瀬もワンピース似合ってるぞ。広瀬の雰囲気にも合ってて可愛い」

私は褒めるだけで心臓バクバクだけど、露木さんはこうしてさらっと褒めてくれる。そのスマートなところは見習いたいものだ。褒め下手な私は褒められ下手でもあるので、余計に露木さんと目を合わせることができなくなる。

「それはどうも…。い、行きましょう!」

「はいはい」

テレてしまったことをごまかすように歩き出した私に、露木さんは笑いながらすぐに追いついてきて隣を歩く。

「今日はありがとうな。牧の思い付きに付き合ってくれて」

「いえ、私も直接お会いして遊園地のお礼を言いたかったですし、トリプルデートだなんてとっても楽しそうですし、今日がすごく待ち遠しかったので」

「トリプルデートねぇ…。牧のことだからお礼とか言いつつ、俺たちのことを見て楽しみたいとか考えてそうだけどな」

「あぁ、確かに友だちが恋人と一緒にいるところってなかなか見られないし、友だちの普段とは違う様子が見られたりして楽しいっていうのはわかりますね。私もひよちゃんやいつき君が恋人とどんな雰囲気なのか見られるの楽しみだなって思ってますよ」

「お前もか。でも、友だちの様子を見られるってことは、同じように自分のことも見られるってことなんだぞ。そんなの、恥ずかしがりやな広瀬に耐えられるのか?」

「あ、確かに…」

「そこまでは考えてなかったんだな」

「露木さん、どうしましょう。私、帰ってもいいですか?」

「俺をカップルたちの中に1人にする気か?」

「やむを得ないかと」

「無情だな…」

そんな冗談を言い合いながら最寄り駅に向かい、集合場所である駅まで電車で移動する。集合場所の駅からはレンタカーでアミューズメントパークまで向かうことになっている。それぞれに最寄り駅が違うので、今回はひよちゃんたちのお家の最寄り駅で集合することになった。私の最寄り駅からは電車で15分の距離だ。私と露木さんは最寄り駅が同じなので集合場所まで一緒に行くことになったのだけれど、皆でわいわいするのはもちろん楽しみだとして、露木さんと2人きりの時間をつくることができて嬉しい。ご近所さんでよかった。


「あ、来た来た! こっちですよー!」

集合場所の駅の改札を通って出口に向かっていると、出口の側の壁際から女性が手を振っているのを見つけた。ライムグリーンのトップスにロングのプリーツスカートを合わせて、ウェーブのかかった髪をハーフアップにした上品そうな女性だ。

「よっ、牧。早いな」

その女性に露木さんが片手を挙げつつ近づいていくので、私もそれに着いていく。どうやら、この綺麗な人が芙佳さんらしい。

「今日は、私が言い出しっぺですからね。皆さんをお出迎えしないとと思いまして。

初めまして、翔菜さん。私、牧芙佳っていいます」

芙佳さんはふわりとした笑顔で挨拶をしてくれた。その可愛らしさに思わず見とれそうになって、私は慌てて頭を下げる。

「初めまして! 広瀬翔菜です。今日は誘ってくださってありがとうございます!」

「いえいえ、こちらこそ。来てくれてありがとう。お会いできて嬉しいです」

頭を上げると、芙佳さんが持っているバッグに見覚えのあるキーホルダーがつけられているのが目に入った。芙佳さんも、私の視線に気づいて微笑む。

「翔菜さんが選んでくれたこのキーホルダー、とっても可愛くてお気に入りなんですよ」

「よかったです! お礼なのに私の好みで選んでしまったので、芙佳さんの好みに合わなかったらどうしようって思っていたんですけど…。あ、フリーパスを譲ってくださって、ありがとうございました!」

もう1度頭を下げて再び芙佳さんを見ると、なぜか口元に手を当てて私を見つめる芙佳さんと目が合った。その瞬間、私の両手が芙佳さんの両手に捕まれる。

「翔菜ちゃん、可愛すぎますよ! いい子だししっかりしてるし…。露木君! こんなに可愛い彼女さん、大切にしないとダメですよ!」

急に距離を詰められて、私はどうしていいかわからずに芙佳さんと露木さんの顔を見比べてしまう。

「牧、初っぱなから飛ばしすぎだ。広瀬がついていけずに戸惑ってるだろうが。あと、広瀬が可愛いのは俺が1番わかってる」

「おっと、ごめんなさい。翔菜ちゃんが可愛くて、つい暴走しちゃいましたね。あ、翔菜ちゃんって呼んでもいいかな?」

芙佳さんは私から離れつつも、私の顔を覗き込んでくる。

「はい、ぜひ…」

応えながらも、私は露木さんが人に向かって私のことを「可愛い」と言ったことに恥ずかしくなって、ほてった顔を露木さんから隠すようにうつむく。

「広瀬、どうした?」

「いえ、別に…」

心配そうに尋ねてくれた露木さんに、少しぶっきらぼうに返事をしてしまったので、彼のニットを握って「何でもないですよ」と笑ってみた。いつも恥ずかしがってばかりじゃいけないから、ちょっと勇気を出してみた。

「ならよかった」

露木さんも笑い返して、私の頭にそっと片手をのせてくれた。やっぱり恥ずかしいけれど、うつむかないように耐えてみる。数秒間でギブアップしてしまったけれど、私にしてはがんばりました。露木さんから視線をそらして芙佳さんを見ると、両手を口元に当ててこちらを見つめている。心なしか頬が染まっているようにも見えるけれど、ここまでのことを芙佳さんに見られていたことを、というか見せてしまっていたことを思い出して、恥ずかしさと申し訳なさで逃げたくなった。

「何ニヤついてんだよ、牧」

「見せつけといてなんですか、その態度は!」

いたずらな笑みを向けた露木さんに、芙佳さんの拳が飛ぶ。芙佳さんの拳を腹部に入れられた露木さんは素直に謝っていたけれど、芙佳さんはその可愛らしい笑顔を一切崩さないまま、冷たい視線を向け続けている。露木さんを見る限り、芙佳さんの拳はなかなかの威力だったようで、未だに拳をかまえている芙佳さんに底知れない恐怖を覚える。

「まぁ、人のイチャつく姿を見られるのがトリプルデートの醍醐味ですし、少女漫画の一幕みたいないいものを見せてもらったのでいいですけど、露木君の勝ち誇ったような表情だけは腹立ちますね…。

まあでも、私だっていっ君が来たら見せつけてやりますよ」

「いたいた!露木さんも芙佳さんも、直接会うのはお久しぶりでーす! 翔菜もおはよっ!」

ちょっとカオスになりかけていた空気を、よく知る元気な声が一掃してくれて、私たちは揃って声のしたほうを見る。そこには、笑顔で手を振りながら歩いてくるひよちゃんと、いつき君と眼鏡をかけた男性の姿があった。きっと、あの男性が桜也さんなんだろうな。話に聞いていたとおりに優しそうな雰囲気の人で、ほんの少しあった緊張がほぐれていく。

3人が私たちのところに来て、皆で軽く挨拶を済ませる。今日乗るレンタカーは桜也さんが借りてこの駅まで運転してきてくれることになっていて、ひよちゃんといつき君は駐車場でたまたま会って3人一緒に駅まで来たらしい。

少し雑談をして、これからの流れを軽く話し合った後、いざ駐車場に向かおうということになった。皆が歩き出すと、芙佳さんがいつき君の腕に自分の腕を絡めて露木さんに向かって舌を出したので、芙佳さんの有言実行ぶりに、私は思わず吹き出してしまう。

「ちょっ、芙佳さん、どうしたんですか?」

見ているこちらは笑ってしまったけれど、流れを知らないいつき君は驚いて立ち止まってしまったし、桜也さんも戸惑うように首をかしげている。ひよちゃんはからかうような笑みでいつき君を見ているけれど、弟が恋人に動揺させられている様を見て楽しんでいるのかな?

「だって、3人が来る前、露木君から恋人同士のイチャイチャを見せつけられたあげく、勝ち誇ったような顔で挑発されたんですもん。だから、仕返しです」

えーっと、芙佳さん。その説明の仕方だと、恥ずかしさで私の心にもダメージがくるんですが…。あれ、私にも仕返しされてるのかな? 芙佳さんから向けられる笑顔が怖いような…。

「いや、仕返しって…」

「いっ君は、私と腕を組んで歩くの嫌ですか?」

「嫌じゃないですけど、さすがにいきなりは驚くというか…」

わざとすねたような視線を向ける芙佳さんと、戸惑いながらもてれているいつき君、とても仲のいい恋人っぽくて、見ているこちらの頬が自然と緩んでくるみたい。私も芙佳さんみたいに積極的になれたら、露木さんも喜んでくれるのかな…。

「…広瀬」

「え!?」

芙佳さんたちを見ながらぼーっとしていたら、突然露木さんに肩を抱かれた。驚いて露木さんを見たら、いつもよりも近い距離で視線が重なって頬が熱くなる。

「仕返し返しだ」

「なんですか、それ。きりがないじゃないですか」

いたずらっ子のような顔をしている露木さんの言葉に、私はまた笑ってしまう。

「くっ、負けた…」

「勝ち負けの基準がわからないんですけど…」

「だって、テレてる翔菜ちゃんの可愛さが100点満点なんですもん」

「芙佳さんだって、可愛いですよ」

「っ! いっ君」

「ねぇ、桜也。私、生まれて初めてバカップルを間近で見たんだけど、しかも2組同時に」

「うん、俺も初めて見たよ…。こんなにザ・バカップルって感じのやりとりを繰り広げてる人たち」

2人の世界に入りつつある芙佳さんといつき君と、遠い目をしているひよちゃんと苦笑いの桜也さん、私は私で未だに露木さんに肩を抱かれたままだし、まだ集合しただけなのに、こんな感じで今日1日大丈夫かな? なんて考えていると、桜也さんがパンと手を叩いて

「ほら、こんな所で立ち止まってないで、そろそろ行くよ。牧も章人も、恋人とイチャつくのは目的地に着いてからにしなよ」

と、皆に移動を促してくれた。

「確かに、駅前でやることじゃなかったな。悪い、広瀬」

「い、いえ…」

「こんなの、イチャつく内に入らないですけどね」

「え、マジですか…」

「わお! 芙佳さん、なんかすごい…」

「ひよ、頼むから牧に変な影響受けないでね」

なんて、皆でわいわいしながらも、ようやくレンタカーに乗り込み、桜也さんの運転で目的地を目指して走り出した。

「運転サンキューな、桜也。帰りは俺が運転するから」

助手席の露木さんが、そう言うと

「ありがとう。じゃあ、帰りは頼むよ」

と、桜也さんが応える。

当たり前のように車を運転できるところとか、そういうところで自分は大人な人とお付き合いをしているんだなと感じる。3歳差って、数字だけならたいした年の差ではないように思えるけれど、ふとした瞬間に露木さんがすごく大人にみえたりする。今日は露木さんが運転している姿をみる機会があると思うと、なんだかわくわくしてくる。

「2人が疲れたときは、私が運転するから、安心してね」

私が、露木さんの運転する姿を想像していると、3列目のシートに座っている芙佳さんが手を挙げた。なぜか車内に微妙な空気が流れる。

「えーっと、気持ちは嬉しいんだけど、このくらいの距離の運転なら疲れたりしないから、大丈夫だよ」

「そうそう、7人乗りの普通車じゃ、車のほうがお前のハンドルさばきについていけないだろうしな…」

明らかに焦っている2人の様子に、私とひよちゃん、いつき君は顔を見合わせて疑問符を飛ばし合う。

「芙佳さんの運転って、そんなにヤバいの?」

「お前な、言い方があるだろうが!」

ストレートに疑問を口にしたひよちゃんの口を、真後ろに座るいつき君が手で塞ぐ。

「うーん、ある意味ヤバいよな…?」

「だね…」

「ちょっと2人とも! その反応の仕方だと、本当に私の運転技術が残念みたいじゃないですか! 言っておきますけど、運転技術だけなら、2人よりも私のほうが上だと想いますよ」

相変わらず苦笑いの2人に業を煮やしたのか、芙佳さんが不服そうに口を開いた。

「技術は牧のほうが上なのは認めるけどな、スキルがありすぎて一般道でもレーサー並の運転するだろう? 上限速度ギリギリで、目の前に車がいると必ず抜き去ろうとするし」

「運転規則は守るし、事故るようなへまはしないのもわかってるけど、全てにおいてギリギリを攻めようとするから、同乗しているこっちはヒヤヒヤしっぱなしなんだよね」

「今日は、基本的に高速道路を走るし、6人も乗ってるし。てなわけで、牧のスリリングな運転は遠慮願いたいわけだ」

「うぅー、せっかく軽自動車よりも大きな車を運転できると思ってわくわくしてたのに…。まぁ、たしかにひよりちゃんや翔菜ちゃんもいるし、今日はおとなしくしてますよ…」

芙佳さんは唇をとがらせて若干不服そうながらも、今日の運転は諦めたようで、露木さんも桜也さんもホッとしているみたい。実のところ、私も内心ホッとしている。芙佳さんは運転スキルが高いみたいだけれど、できればスリリングな運転の車には乗りたくない。お父さんの最後を思い出してしまうから…。

「私、芙佳さんの運転する車、ちょっと乗ってみたいかも。ねぇ、芙佳さん。今度乗せてくれませんか?」

消せないトラウマの蓋が開きかけていたところに、隣からひよちゃんの声がして、私はハッと我に返る。ひよちゃんは瞳を輝かせて斜め後ろにいる芙佳さんを見ている。ひよちゃん、スリルがあるアトラクションとかが好きだから、芙佳さんの運転に興味が沸いたんだろうな。

「いいですよー! 私のドライブテクニック、特とご覧に入れちゃいますよー!

もちろん、いっ君も乗ってくれますよね?」

ひよちゃんのお願いで元気を取り戻した芙佳さんが、キラキラした表情でいつき君を見る。いつき君は若干青ざめているように見えるけれど、大丈夫かな?

「えっと、まぁ、機会があればそのときはお願いします…」

いつき君の絞り出したような返事を聞き、ひよちゃんと芙佳さんは嬉しそうにハイタッチを交わしている。

「もちろん、翔菜ちゃんもね!」

「あ、はい…。楽しみにしてますね」

あまり話題に触れないようにおとなしくしていたのだけれど、芙佳さんに話を振られて思わず了承してしまった。まぁ、スリリングと言いつつも危ない運転をするわけではないんだから、私が考えすぎなければいいだけの話なのだけれど。

私のお父さんは、約2年半前、私が中学3年生の12月に運転中の事故で亡くなった。居眠り運転で車線を越えてきた対向車と衝突したのだけれど、対向車を避けようとハンドルを切って間に合わず、お父さんが座る運転席にちょうど対向車が衝突してくる形となってしまった。片側一車線の一般道であったことでさほどスピードが出ていなかったために車体が大きく破損するようなことはなく、事故直後はお父さんもなんともない様子だった。後部座席に乗っていた私もかすり傷で済んだのだけれど、お父さんは衝突した衝撃で頭を打っていて、当たり所が悪く数日後に病院で息を引き取った。

私自身、車に乗ること自体に恐怖心があるわけではないのだけれど、車に乗っていてヒヤッとする感覚はできればもう味わいたくないから、芙佳さんの運転技術の話を聞いて過剰に反応しているんだと想う。だけど、事情を知らない芙佳さんのお誘いを断ったりしたら、ただこの場の空気を悪くしてしまうことになりかねないから、話を合わせるほかない…。

「牧、お前の愛車で皆とドライブするのは別に構わないけど、未成年を乗せるんだから、自分の運転スキルの高さを見せようと危険な運転するなよ。広瀬に怖い想いさせたら許さないからな」

そう言って助手席から振り返った露木さんと目が合って、不思議と気持ちが落ち着いていくのを感じた。私が微笑むと露木さんも笑い返してくれる。彼はお父さんの事故のことは知っているけれど、私が多少のトラウマを抱えていることまでは知らない。だけど、私の同様に気が付いて助け船を出してくれたのかなと想うと、胸が温かくなってくる。

「たしかに、あまり調子に乗って事故を起こすわけにはいきませんよね。なら、ひよりちゃん。今日行くアミューズメントパークにはゴーカートがあるので、私のスピード感溢れる走りはそこでお見せしちゃいます! アトラクションなら普通車よりも安全により強いスリルを味わえますからね。普通車の運転は安全第一でスリルを求めるのは止めにします」

「おー! いいね、ゴーカート。すっごく楽しみ!」

芙佳さんとひよちゃんも、どうやら話がいい方向でまとまったみたい。何気なく振り返ったら、安心した表情のいつき君と目が合って、互いに「良かったね」って感じで目配せを贈り合った。


その後しばらく車を走らせて、途中のサービスエリアで休憩を挟みつつ、私たちは無事に目的地であるアミューズメントパークに到着した。ここは屋外に遊園地と小さな触れ合い動物園、植物園があり、そこに隣接する形でショッピングモールと水族館、ホテルがある、近隣の県の中で最も大規模なアミューズメントパークとして有名だ。

私たちはまず、遊園地エリアの入り口にある総合窓口で1日フリーパスを購入する。手首につけるバンドタイプのこのパスは、遊園地や動物園、植物園、水族館に今日1日の間は何度でも入場できる他、ショッピングモールでは一部割引が適応されたりホテルに宿泊しなくてもホテル内のレストランなどを利用できるのだそうだ。

「まずはどうしようか?」

エリアマップを手にした桜也さんが思案下に声をあげると、芙佳さんが満面の笑みで遊園地の入場ゲートを指さす。

「やっぱり、遊園地でぱーっと遊びませんか? せっかくお天気が良くて屋外でも思い切り遊べるわけですし」

芙佳さんの提案に全員が賛成し、私たちは遊園地エリアへと入った。遊園地の賑やかで華やかなお祭りのような雰囲気に心が躍るのと同時に、露木さんから告白されたあの日のことを思い出して勝手にドキドキしてしまう。約2カ月前、観覧車のゴンドラの中で露木さんに告白されて恋人になれた。それは2人にとってとても大きな変化だったけれど、あの日から私たちの関係は少しでも変わっただろうか? 恋人になる前と後で変わったことと言えば、露木さんが私に「可愛い」とか「好き」とかいう言葉をかけてくれるようになったくらいで、私自身は何も変わらない。手を繋ぐことすら緊張してしまって、恋人らしいことなんてほとんどできていない。露木さんは私を気遣って無理に何かしようとはしない。私が一歩を踏み出すしかないのに、踏み出したいのに、結局緊張と恥ずかしさに負けて2カ月が過ぎてしまった。何か変えたい、変わりたい…。せめて露木さんのことを「章人さん」と呼べるようになったら、少しは距離が縮まるかな? 今日、がんばってみようかな?

「あ、広瀬さん。パスケース落としたよ」

「え、ありがとうございます。桜也さん」

「どういたしまして。それと、リュックのサイドポケットのチャックが開いてるから、ここから落ちたんだと思うけど…。はい、これでよし」

「本当にありがとうございます」

「気にしなくていいよ。皆のところに行こう」

「はい」

グルグルと考え込んでいたせいで、ICカードと学生証が入ったパスケースを落としたことに気が付かなかったけれど、桜也さんが拾ってくれて助かった。桜也さんは、パスケースを私のリュックのサイドポケットに入れると、私がうっかり閉め忘れていたポケットのチャックを閉めてくれた。ひよちゃんの話からも感じていたことだけれど、桜也さんは周りをよく見ているし、面倒見がいい人なんだろうな。

そんなことを思いながら、私たちは少し先で立ち止まって待ってくれている4人のもとへと急いだ。

「どうしたの?」

不思議そうに私たちを見ているひよちゃんに、パスケースのことを話すと

「ありがとうな、桜也。にしても、相変わらずよく周りを見てるな」

と露木さんが感心した様子で桜也さんを見る。

「いや、たまたま後ろにいたから気が付いただけだよ。まあでも、普段からこういうおっちょこちょいをよくやる人と一緒にいるから、そういうところに注意が向きやすくなってるのかもね」

そう言いながら桜也さんは横目でひよちゃんを見る。

「き、今日は何も落としたりなくしたりしないように気をつけまーす」

「無理だろ」

「いつき、あんた今、笑ったわね」

目を泳がせていたひよちゃんは、クスッとしたいつき君の後ろに素早く回り込んでいつき君が背負っているリュックを開けると、中からペットボトルを取り出して飲む。

「あ! お前、それ俺の」

「ざんねーん。これは私の分のペットボトル。あんたは緑茶でしょ? これはストレートティー。あんたのリュックに入れさせてもらってたのよー」

「いつの間に…」

悔しそうないつき君を、勝ち誇ったような表情で見ながら、ひよちゃんは勢いよくストレイとティーを飲む。一気に半分ほど飲むと、蓋をして再びいつき君のリュックにペットボトルを入れようとするひよちゃんだったけれど、いつき君がそれをよけると同時に桜也さんがひよちゃんの手からペットボトルを取り上げて、そのままひよちゃんのショルダーバッグに差し込んだ。

「あ、桜也―」

「自分のショルダーバッグが小さいからって、いつきに押しつけない。少しはみ出すけどちゃんと入るんだから」

「だって、形が変わっちゃうんだもん」

そう言いつつひよちゃんが持ち上げたバッグは、確かにペットボトルを入れたことで不自然に膨らんでいる。

「もうちょい大きいバッグにしなかったお前が悪いんだろう」

呆れ気味のいつき君の言葉に「それはその通りなんだけど…」と視線をそらしたひよちゃんと私は目が合った。ひよちゃんは微笑むと私の隣に来て

「女の子は、バッグも含めてファッションだから、今日の服装的に、このバッグが最適だったんだよねー」

と言い訳混じりに話す。私の側に来たのはたぶん、同じ「女の子」として味方にしようとしているんだろうな。確かに、ひよちゃんの今日のスタイルは、オフショルダーの長袖のトップスに膝上のキュロットスカートで小さめのショルダーバッグといいバランスの組み合わせになっていると思う。大きめのショルダーバッグやリュックではいけないわけではないようにも感じるけれど…。

「確かに、その服装はすごく似合っているし、バッグも可愛いと思うけど、遠出するには小さいし、ペットボトルを買ったのはひよなんだから、そのペットボトルで形が歪むのは仕方がないことなんだし、我慢しな」

「…はーい、ごめんね、いつき」

「気持ちが一切こもってないけど、別にいいよ」

桜也さんに正論を言われたひよちゃんは、一瞬うつむいてしまったけれど、すぐに明るい笑顔でいつき君に謝った。いつき君の言うとおり、謝罪の気持ちは皆無って感じだったけれど。それよりも、桜也さんのひよちゃんに対する言動が私には予想外で少し驚いてしまった。てっきりひよちゃんのペットボトルを代わりに持ってあげるようなタイプかと思ったけれど、引き離すところはきちんと引き離して釘を刺すタイプだったのね。ひよちゃんの自由奔放なところとやり過ぎたらしっかり反省するところ、桜也さんの面倒見が良くて優しいお兄さんなところと言うことははっきり言うところ。うん、元気で明るいひよちゃんのを優しく見守りつつも他砂を握っている桜也さんって感じで、2人はとてもお似合いね。

「みんなー! 見てください! 向こうでリボンを配ってたのでもらってきちゃいましたー!」

声がしたほうを振り向くと、芙佳さんと露木さんがこちらに歩いてきたところだった。そういえばいつの間にか2人がいなくなっていたのに気が付かなかった。芙佳さんの手には小さな紙袋が握られている。

「リボンですか?」

4人で顔を見合わせて全員が首をかしげる中、私が尋ねる。

「あぁ、このリストバンドにつける飾りとして遊園地内で無料配布されているらしい。牧がパンフレットでその情報を見つけたらしくて1人でフラフラ俺たちから離れていくから追いかけたんだ。お前たちはわちゃわちゃしてたから少し離れていても問題ないと思ってな」

「人を自由な問題児みたいに言わないでください。パンフレットでリボンのことを見つけて、視線を上げたらちょうどすぐそこにリボンを配っているワゴンがあったから、ちょっと皆の輪から離れただけですよ」

「迷子になるのって、そういう『ちょっとそこまで』みたいな突発的な発送で皆の輪から離れる人じゃないかな」

「「「確かに」」」

桜也さんの的確な指摘に、私とひよちゃん、いつき君までもが思わず共感した。

「まあ、とにかく、皆の分のリボンももらってきましたから、好きな色を選んで…。いや、私が選びます!」

ごまかすように話題を進めた芙佳さんが、全員に紙袋に入ったリボンを見せる。リボンは6本。赤、青、緑、白、紫、オレンジの6色が見える。

「まずは…。はい、翔菜ちゃんには白いリボンを」

「ありがとうございます」

芙佳さんから手渡された白いリボンをリストバンドにつける。といってもリストバンドにリボンを結ぶのは片手では難しくて、一度リストバンドを手首から外してリボンを結ぶことにした。

「俺が結んでやるから、広瀬も俺のを結んでくれないか?」

私がリストバンドの金具に触れたとき、露木さんが赤いリボンを手にしながら話しかけてきた。

「いいですよ。露木さんは赤をもらったんですね」

「ああ、ちなみに、桜也が緑、ひよりさんがオレンジ、いつき君が青、牧は紫だ」

「へえ、なんとなくそれぞれのイメージに合った色って感じですね。自分のイメージまではよく分からないですけど」

話ながら他の4人を見てみると、皆も恋人同士でリボンを結び合っているところだった。

「確かに、言われてみればそうだな。俺は広瀬が白っていうのはぴったりだなと思ったけど、俺の赤は紅白みたいなテキトーなチョイスくらいにしか考えてなかったよ」

そう言って笑いながら私の右手をとってリストバンドにリボンを結んでくれる露木さんの顔を至近距離で見つめて、数秒で恥ずかしくなってリストバンドに視線を落としてしまったけれど、リボンを結ぶ露木さんの手を見て、なぜだか心の底から幸せなような嬉しいような気持ちがわき上がってきて顔がほころんだ。

「私は、赤色はとてもぴったりだと思いますよ。…その、あk…露木さんに!」

「ん? そうか、ありがとうな、広瀬」

本当は「章人さん」って呼ぼうと思ったのだけれど、名前を言いかけたときにちょうど露木さんと目が合ってしまって、とっさに言い直してしまった。いきなり目を見て名前呼びはハードルが高いです…。まるで告白しようと何度も決心してそのたびに足踏みしていた頃に戻ったみたい。あのときと違って、ただ「章人さん」って呼ぶだけなのに、どうしてこう私は…。だけど、今日中には必ず呼んでみせる。そう心に誓って、私は露木さんの赤いリボンをきゅっと結んだ。


その後、私たちは6人で遊園地を満喫した。芙佳さんがゴーカートで爆走して同乗していたひよちゃんが涙目になったり、皆で対決したシューティングゲームで私といつき君の優勝争いの果てに私が勝って皆を驚かせたり…。あっという間におやつ時になって、皆で売店でおやつを買って食べた後、私はひよちゃんと芙佳さんと一緒にお手洗いへと向かった。

私が手洗い場で手を洗っていると、個室から出てきたひよちゃんが隣にやってきた。

「ねえ、翔菜。大丈夫?」

手を洗い終えたひよちゃんに突然顔を覗き込まれて、私はぽかんとしてしまう。

「大丈夫だけど、私、何か様子おかしかった?」

全く心当たりがなくて首をかしげる私に、ひよちゃんはホッとした様子で目尻を下げる。

「うんん、なんか翔菜が途中から露木さんと話すときにたどたどしくなることがあったから、何かあったのかなって思ったんだけど、私の気のせいならいいんだ」

ひよちゃんのその言葉に、私は思わずギクッとしてしまう。

「あっ、私、そんなに分かりやすかった?」

「え? やっぱり何かあったの? 露木さんと喧嘩したって感じではなかったよね?」

私の反応に、ひよちゃんはまた心配そうな表情に変わる。

「ん? どうかしたんですか?」

そのとき、メイクルームにいた芙佳さんが私たちのところに戻ってきた。

「芙佳さん。なんか、翔菜の様子が…」

「え!? 翔菜ちゃん、もしかして体調が悪くなりましたか? どんなふうに具合が悪いですか?」

芙佳さんにまで違う方向に心配をかけてしまって、私は慌てて弁解する。

「えーっと、違うんです! 私、露木さんのことを『章人さん』って呼ぼうとチャレンジしているんですけど、いざ言おうとするととても恥ずかしくなってしまって上手くいかなくて…。それで露木さんとの会話がたどたどしくなっちゃって、それでひよちゃんに心配をかけてしまったんです…。こんなことで心配をかけてごめんね。芙佳さんも心配してくれてありがとうございます」

私の説明を聞いて、ひよちゃんはぽかんとしていたけれど、芙佳さんは何かを考え込むように拳を口元にしばらく当てた後、パンと両手を合わせて微笑んだ。

「もしかしたら、2人きりになったら案外呼べちゃうかもですよ! 私たちの目があるとそこが気になって余計に緊張してしまうのかもしれませんし」

「確かに! なら、今からしばらくカップルごとに別行動してみる?」

芙佳さんの提案にひよちゃんが目を輝かせて同調する。私はまたも慌てて首を横に振った。

「いやいや! これまでにも2人でいるときに呼んでみようとしたこともあるけど、やっぱり呼べなかったし…。せっかくトリプルデートなんですから、皆で行動しましょうよ」

「翔菜ちゃん、翔菜ちゃんががんばったら、露木君は絶対に喜んでくれますよ。私もいっ君が私を『牧さん』から『芙佳さん』って呼んでくれるように変わったとき、ものすごく嬉しかったですから。それに、トリプルデート中に恋人ごとに別行動するなんて特におかしなことじゃないですしね」

「そうだよ。私も『桜也』って呼び始めるときは緊張したけど、いざ呼んでみたら案外すぐに慣れちゃったし、今感じている緊張とか恥ずかしさを乗り越えたら、後はなるようになるから安心しな」

2人の勢いに推されて、私は思わずうなずいてしまった。

「よし! では、男性陣のところに戻ったら恋人ごとの別行動開始ですね!」

「おー! にしても、翔菜と露木さんは2人ともお互いを名字で呼んでるから、てっきり自然とそう呼び合っているんだと思ってたけど、翔菜は名前呼びしたくてがんばってるなんて、意外だったなー。露木さんなら翔菜のそういうがんばりから察して自分のほうから名前呼びしてくれそうなものだけど…。あ、翔菜がスムーズに名前呼びに移行できないのは、すごく翔菜らしいんだけどね」

「確かに、露木君が翔菜ちゃんを名字で呼んでいるのは、私も違和感があるんですよねー」

「あ、それは、前に露木さんから言われたんです。私が『章人さん』って呼べるようになったら自分も『翔菜』って呼ぶって。私が名字で呼んでいる間は自分も同じように呼ぶから、私がいつ『章人さん』って呼べるようになるのか楽しみにしてるって…」

「えー! 何それ! 露木さんってちょっとS気ある感じなんだね。なら、露木さんは翔菜ががんばっているのを分かったうえで待ってるんだ。なんていうか…。てれやだけど健気にがんばる彼女と、彼女の意図を理解したうえであえて待ってる彼氏って、すごくときめくね! 少女漫画みたい」

「なんというか、露木君らしいと言えばらしい発現ですね…。でも、それならなおのことがんばって名前呼びして、露木君をあっと言わせちゃいましょうよ!

あの露木君が、大好きな翔菜ちゃんに名前で呼ばれて柄にもなくてれている顔を拝んでみたいところではありますけど、それは我慢するとして…。翔菜ちゃん、応援してますから、がんばってね!」

「私も全力で応援してるからね!」

2人のパワフルすぎる激励におされつつも、今日中に「章人さん」と呼ぶという決意を新たにすることができて、私たちはこの勢いのまま男性陣のところへと戻った。

「恋人ごとに別行動? いいんじゃないか」

「俺も賛成です」

「そうだね。なら、ここからは別行動で18時に遊園地の出入り口ゲート前に集合しよう」

芙佳さんから別行動の提案を受けた男性陣からの賛成を得て、私たちはそれぞれ3組に分かれて行動を始めた。皆は純粋に恋人同士の時間を楽しむのだろうけれど、私は露木さんを名前で呼ぶという個人的なミッションを遂行する時間の始まりだ。決して大げさではない…と思う…。

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