短編3 Let's share food. いつき&芙佳の場合

土曜日。俺、橘いつきは午前中に塾に行き、その後最寄りの大型書店で大好きなミステリー小説シリーズの新作を買うと、とある場所を目指して自宅とは反対方向の電車に乗り込んだ。行き先は緑青(りょくせい)学院大学の最寄り駅。つまりふうかさんたちが通う大学の最寄り駅だ。

目的の駅で電車を降りて改札を通り駅のロータリーに出ると、土星のように球体の周りを輪っかで囲んだ大きなオブジェが2つ目にとまる。緑色の球体に青色の輪っかのものと、その逆のカラーリングのものが向き合うように配置されていて、緑色の球体のほうの前に女性が1人立っていた。

「芙佳さん、お待たせしました」

俺が声をかけると、その人はいつものふわりとした笑顔を返してくれる。

「いっ君、この駅広いですけど迷わずに出て来られましたか?」

「迷いかけたんですけど、一緒に電車を降りた人たちについて行ってたらいつの間にか出られてました」

俺が笑って応えると、芙佳さんもクスクス笑う。

「よかった、無事に脱出できて。私なんて3年間使っているのに未だに迷ってしまうんですよ。でもいっ君でも迷いかけちゃうくらいですから、私が方向音痴なわけではなくて、この駅が複雑すぎるのが悪いんですよね。気が楽になったな」

「うーん、3年間も迷い続けているなら、それはもう芙佳さんの方向音痴が原因なような…」

「いっ君?」

「いや、何でもありません…」

「ふーん」

芙佳さんと恋人になって約1ヶ月。少しずつ芙佳さんの新たな一面に触れている最中だ。芙佳さんはいつも物腰が柔らかいが、以外と気が強いところもある。今も頬を膨らませて名前を呼ぶだけで強めの圧をかけてきている。ムスッとした表情も可愛いのだが、上目遣いで圧をかけられると想像以上に怖いのでツッコミはほどほどにして話題を変えるのが得策だろう。

「えーっと、今から行くパン屋さんって、メロンパンが有名なんですよね? お店の名前はよく聞きますけど、俺は初めて行くのですごく楽しみなんですよ」

「よかった! 私の大好きなお店で、いっ君と一緒に行ってみたかったんです。

メロンパンが有名ですけど、他のパンもとっても美味しいんですよ。というわけで、行きましょうか!」

「はい」

いつもの笑顔に戻った芙佳さんに俺はホッとしつつ、どちらともなく腕を組んで歩き出した。

芙佳さんは物理的距離を詰めることに抵抗がないようで、恋人つなぎや腕を組んで歩くことに積極的だ。最初はむしろ俺のほうがテンパってしまっていたが、少しずつ慣れて自然に腕を組めるようになってきた。

今日は、緑青学院大学の側にある有名なパン屋さんに2人で行く約束をしていた。

駅から10分ほど歩いたところに、そのパン屋さんはあった。白い壁に赤い三角屋根、木製の入り口と大きな窓越しに見えるたくさんのパン。小さなお店だが店内にはたくさんのお客さんがいて、人気なお店なのだとわかる。扉を開くと焼きたてのパンの香りに一気に包まれ、ドアベルの音が響いて店員さんたちが元気に出迎えてくれる。お店の雰囲気から既にいい感じだ。個人経営ながら有名店となったのも納得できる。

さすがに、混み合う店内で腕を組んだままというわけにはいかないので、俺たちは一旦離れてそれぞれにトレイとトングを持ち店内を回り始めた。この店の看板商品であるメロンパンは、入り口のすぐ側に綺麗に並べられていた。

「へー、メロンパンだけでも3種類あるんですね」

オーソドックスな見た目のメロンパンと少し緑が濃いめのメロンパン、茶色がかったメロンパンが並んでいて、それぞれに『王道メロンパン』『マジメロンパン』『チョコチップメロンパン』という商品名らしい。

「王道もチョコチップも美味しいですけど、マジメロンが一推しですよ。中にメロンクリームが入ってるんです」

「いいですね。マジメロンパン」

美味しそうな上にネーミングも気に入ったので、自分用とひよりへのお土産にマジメロンパンを2つと、両親へのお土産として王道とチョコチップを1つずつトレイにのせた。せっかくなので他にも何か買おうとさらに店内を回って、肉厚なロースカツサンドの放つオーラに心を奪われていると、別のパンを見ていた芙佳さんが隣にやってくる。

「ロースカツサンドですか? ボリューム満点で甘辛いソースが最高ですよ。一気に全部食べきるのは大変なんですけど」

たしかに、ものすごく美味しそうなのだが大きなロースカツサンドが2つで1セットとして売られている。それは、食べ盛りな高校生男子の俺から見ても買うことを躊躇するほどの迫力あるボリューム感だ。1つ食べてもう1つは持って帰ればいいのだろうが、カツが肉厚過ぎてしっかり押さえていないとすぐにパンとカツが分離しそうで、今も袋にぎゅっと押し込まれている。袋を開けた途端にはじけるんじゃないかと思うほどなので、家で食べるのではない限り開封したら一気に食べきる必要がありそうだ。今日は、このあと外で食べる予定なので、今回はロースカツサンドは諦めるべきか…。でも食べたい…。

「芙佳さん。このロースカツサンド、半分こしませんか?」

「え!?」

ロースカツサンドを見つめたまま深く考えずに芙佳さんに問いかけると、芙佳さんの驚いたような声が返ってきて、慌てて彼女の顔を見る。芙佳さんは目を丸くして固まっていたが、俺と目が合うと我に返ったようで、すぐにいつもの様子に戻る。

「いいですよ。私もお腹が空いてるので」

俺は芙佳さんの様子を不思議に思いつつも、ロースカツサンドをトレイにのせた。

「あれ、芙佳さん。まだマジメロンパン1つしかのってないですけど、さっき何か選んでませんでしたっけ?」

ふと芙佳さんのトレイを見ると、最初に一緒に選んだマジメロンパン以外になにものっていない。

「うーん、あと1つ何かを買いたいんですけど、なかなか絞れなくて」

芙佳さんは、困ったようにクスッと笑う。

「候補は?」

「アップルデニッシュともちもちチョコパン」

アップルデニッシュはよく見るデニッシュの見た目をしているがサイズが大きい。ロースカツサンドといいアップルデニッシュといい、このお店のパンはボリューム満点なものが多いようだ。もちもちチョコパンは見た目は白くて細長いパンだが、この中にチョコクリームがたっぷり入っているらしい。たしかにどちらも美味しそうだ。

芙佳さんは2つのパンを見比べてかなりかっとうしていたが、突然顔を上げて俺を振り返って笑顔でいった。

「いっ君、もちもちチョコパン、私と半分こしませんか?」

俺がうなずくと、芙佳さんはもちもちチョコパンをトレイにのせ、2人でレジに向かった。

会計を済ませてお店から出ると、今度は恋人つなぎで歩き出す。

「どこで食べましょうか?」

「うちの大学の中庭なんてどうですか? 今日は土曜日だから人も少ないですし」

「勝手に入っちゃっていいんですか? 俺は部外者ですけど」

「大丈夫ですよ。いっ君は大人っぽいから大学の職員さんに見られても大学の学生だと思われますし、大学には全学生の顔を覚えてるような人はいませんから」

「たしかにそうですね。じゃあ、大学に行きましょう」

緑青学院は中・高・第学を有しており、町全体に各校舎や関連施設が点在していることから、この町全体が学園都市と呼ばれている。その中でも第学は県内1の規模を誇る総合大学で、キャンパスは小さな町くらいあるのではないかと思うほど広い。たしかに、この規模では俺がキャンパス内を歩いていても誰も気にもとめないだろう。ここに来るのは去年の学祭以来2度目で、とにかくこの規模に圧倒される。

キョロキョロとしているうちに芙佳さんがいっていた中庭に着く。そこは四方を校舎に囲まれた広い空間で、中央には大きなドーム型のガラス張りの休憩所がある。各校舎からドームに向けて屋根付きの渡り廊下が延びているが、廊下を通らず直接外から入れる入り口もあり、俺たちはその入り口から中に入った。ドーム内には机と倚子がいくつも並べられていて、休憩中らしいグループや1人で読書している人がいる。俺たちも壁際の2人がけの席に座り、パンを並べた。

「ロースカツサンドからいきますか?」

「ですね!」

嬉しそうな芙佳さんの返事を聞いて、俺はロースカツサンドの袋を開き、1つをパンと一緒に入っていた紙ナプキンで包み、もう1つを袋ごと芙佳さんに差し出す。

「ありがとう、いっ君。食べ物を半分こするって、なんか恋人っぽくて嬉しいです」

芙佳さんは笑顔でカツサンドを受け取りながら、珍しく頬を赤らめている。俺はパン屋さんでの芙佳さんの驚いたような顔を思い出す。あれは「半分こしませんか?」という提案にテレていたのか? 何にせよ、芙佳さんがテレている姿はそうそう見られるものじゃないし、もう少しその表情を見ていたい。

「確かに異性と食べ物を半分こするなんて、恋人じゃないとなかなかしないですからね。でも、このカツサンドはもともと2つの物を1つずつ分けてるけど、1つの物を分け合うほうがもっと恋人っぽくないですか? 芙佳さんが買ったチョコパンは分け合いやすそうですよね。

俺に半分食べるか聞いてから買ってたし、もしかしてデニッシュよりもチョコパンのほうが半分に分けやすくて2人で一緒に食べられると思って選んでくれたんですか?」

俺の問いに、芙佳さんは目をそらしつつ「まぁ」と小声で応え、カツサンドを一口頬張る。

その反応がいじらしくて可愛くて、頬が緩んでしまった。

ロースカツサンドは、ジューシーなカツに濃厚なソースときめ細かい薄切り食パンがよく合って、とても美味しかった。

食べ終えると、芙佳さんがもちもちチョコパンを半分に割って、1つを俺に差し出してくれた。

「いっ君のせいですごく恥ずかしいですけど、半分どうぞ」

「俺のせいですか?」

「うん。だってチョコパンを選んだ理由、言葉にされると急に恥ずかしくなるじゃないですか」

「でも、その理由でチョコパンを選んでくれて、俺はすごく嬉しいですよ。おかげで、ちゃんと1つの物を分け合う半分こができたんですから」

「もう、いいから食べましょう」

ちょっとたたみかけ過ぎたかな? 芙佳さんにそっぽを向かれてしまった。

もちもちチョコパンは、もちもちというだけあって弾力のある生地にチョコチップ入りのチョコクリームがたっぷり入っていて、これまた美味しかった。それと、チョコパンを食べている間、ずっと目が合う度に目をそらす芙佳さんが可愛かった。

カツサンドとチョコパンでかなり満足感があって、メロンパンを食べるかどうか迷っていたとき、やっと調子が戻ってきた芙佳さんも同じように思っていたらしく、また何かをひらめいたように両手を合わせてニコリと笑う。

「メロンパン、丸々1個は食べきれないから、これも半分こしませんか? 私が買ったほうを半分こして、いっ君が買ったほうはお家でご家族と一緒に食べたらどうでしょう?」

「半分こするのはいいですけど、別に俺のほうでもいいんですよ?」

「私は自分の分しか買ってないから。これを家に持って帰ると妹と弟にうらやましがられちゃうので」

「なるほど、そういうことなら…。というか、芙佳さんってお姉さんだったんですか。なんとなく1人っ子か妹かと思ってました」

「これでも立派なお姉ちゃんなんですよ。妹はいっ君の1つ下の高校2年生で、弟は中学3年生」

メロンパンを半分にしながら芙佳さんが笑う。そして、綺麗に半分になったメロンパンの片割れを一旦紙ナプキンの上に置くと、袋に入っているほうを俺に差し出しつつ、

「はい。いっ君、あーんしてください」

といたずらっぽく笑いながらいうのだ。

「え、さすがにそれは…。他にも人がいますし…」

「大丈夫です。今は私たちしかいませんから」

俺は慌てて周りを見渡した。たしかに俺の後ろのほうに座っていたはずの先客たちはいなくなっており、ここには俺と芙佳さんしかいない。芙佳さんに向き直ると「ね?」と笑顔が返ってくる。

いや、この場所に誰もいなくても、ここはガラス張りだからどこから人に見られているかわからないんですけど? もしかして、芙佳さんをわざとテレさせようとしたから仕返しされてる? そう思うと、心なしか芙佳さんの笑顔が怖い気がする。

「ひ、一口だけですよ」

「いいですよ。はい、どうぞ」

芙佳さんが差し出すメロンパンを一口食べる。なんだ、この羞恥プレイは…。誰からも見られない場所でなら素敵な恋人イベントかもしれないが、こんなガラス張りの空間でやると恥ずかしさしか感じない。でも、満足げな芙佳さんの笑顔を見ると「まぁ、いいか」と思えてしまうから不思議だ。でも、さすがにやられっぱなしというわけにはいかないので、後でかならず仕返すと誓って、残りのメロンパンを頬張った。メロンパンは、しっとり系の生地にメロンクリームが最高にマッチしていて美味しかった。

パンを食べ終えてしばらくのんびりと会話したあと、ぼちぼち第学を出ることになった。静かで人気のないキャンパス内を2人並んでゆっくり歩く。梅雨入り間近の、雲が目立つ晴れ空の午後。暑すぎない優しい陽光が心地よくて、すぐ隣には大好きな恋人がいてくれる。俺、今かなり幸せじゃないか?

「来週の土曜日も、晴れてくれるといいですね」

「天気予報だと晴れるみたいですけど、梅雨入りも近いですから油断はできないですね…」

「てるてる坊主、作っておこうかな…」

「俺も作りますよ。ひよりと広瀬(ひろせ)さんにも頼もうかな」

「いいですね! 私も倉地(くらち)君と露木(つゆき)君を誘ってみます。でも、露木君には鼻で笑われるかも」

「広瀬さんが喜ぶからっていえば、やってくれるんじゃないですかね」

「なるほど。恋人をだしにするわけですね」

「なんか、ただてるてる坊主を作るだけなのに、弱みを握って相手を揺するチンピラみたいな思考になってきてますよ」

来週の土曜日は、ついにトリプルデートの決行日である。芙佳さん発信で始まった話だったが、無事に全員の了承とスケジュールの調整ができて、最終的に来週の土曜日に隣の県にある総合アミューズメントパークに行くことになったのだ。

「まぁ、晴れても雨でもいっ君と遠出ができるだけで嬉しいんですけどね。あと、露木君や倉地君が彼女さんの前でどんなふうになるのか見物するのも楽しみですし」

そんなことをいいながら俺の腕に抱きついてきた芙佳さんを受け止め、周りに誰もいないことを確認してから、俺は彼女の額に軽く口付けた。メロンパンの仕返しと嬉しいことをいってくれたことへのお礼だ。頬を染めて俺を凝視したままフリーズしている芙佳さんの目をまっすぐに見つめて、

「俺も芙佳さんと遊びに行けるの、すごく嬉しいですよ。その日、芙佳さんが俺にどんな表情を見せてくれるのかも楽しみですし」

と笑ってみせると、芙佳さんは俺の胸辺りに額を当てうつむいて、

「…ずるいですよ…」

とつぶやくのだった。

誰もいないからとガラス張りの屋内で「あーん」をやらせる芙佳さんと、誰もいないからと屋外の道ばたでキスをしてしまう自分と。並べてみると、むしろ俺のほうがヤバいことしてる気がするが、仕返しとしては上出来だろう。いや、普通にやりすぎか?

今も俺に額を当てたままの芙佳さんを1度抱きしめてから身体から離し、2人並んで再び歩き出す。

来週ももちろん楽しみだが、2人きりのこの瞬間の幸せをもっとずっとかみしめていたい。そんなことを思う、とある午後だった。

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