第4章 烏丸 穿「かみさまの、ころしかた」
第一話
このせかいはクソッタレだ。もし私が核ミサイルの発射スイッチを持っているのなら、間違いなく押しているだろう。
気早で短慮でノータリン。そのくせ、決断は何かに任せようとする。
義務を果たさず権利を主張し、責任を負わずに自由を求める。
このせかいは、そんな唐変木の集合体だ。
もし私がせかいの因果逆転を是正する銀の弾丸を持っているのなら、間違いなく撃っているだろう。
「バレー部、また全敗したって」
「マジ? 雫ヶ丘と良い勝負したって言ってたじゃん」
「去年より弱かったらしいよ、雫。結局その雫にも負けたし」
「今年の女バレは最強って、アイツまた吹いてたんか」
「そーそー」
ロングホームルームの最中なのに私――
これが穿の通っている高校のいつもの風景だった。いつものことだ、とバッグからヘッドホンを取り出したところでホームルームが終わる。
一斉にしゃべり出す生徒を押しのけて穿は廊下に出た。ワイヤレスヘッドホンのスイッチを入れて、コートのポケットに入れた音楽プレイヤーを操作する。聞き慣れた音が流れ始め、穿は少しだけ緊張を解いた。
「あの、烏丸さん!」
耳障りな声が目の前から聞こえた。廊下に立つ一人の女生徒。穿は歩みを緩めることなくその女子の横を通り過ぎる。
「よかったら、一緒にカラオケに――」
自分が物語のヒロインだと思っているかのような態度。私だけは誰もかもを理解できると言っているかのような声。穿は彼女の全てが嫌いだった。
だから穿は何も応えずにただ歩いた。独りで。今日を我慢すれば冬休みだ。あと二週間は学校に行かなくていい。
穿の後ろで「だから言ったじゃん、
*
住んでいるマンションの横に黒の高級セダンが停まっていた。
――忘れてた。今日だったか。
そういえば終業式の日とこちらが指定した気がする。舌打ちをひとつ鳴らして、穿はヘッドホンに手を当てて合図した。
ハザードが一回焚かれた後、カチリと音がしてセダンのドアロックが外れる。面倒くさいドアサービスをすっ飛ばすために、穿はドアを開けて素早く後部座席に座った。
「御嬢、二学期も御苦労様でした」
「早く出して」
「はい」
まるで刑務所から出所したみたいではないか。まあ、心情としてはそう変わらないのかもしれないが。
ゆっくりと流れる景色に不機嫌そうな穿の顔が映っている。闇夜よりも暗い髪はボブカットでまとめられ、切れ長の目はナイフのように鋭い。真一文字に結んだ口から犬歯が覗いたように見え、白のヘッドホンをしている。
「最近、変わったことや気になっていることはありますか?」
窓の外を見ている穿がよっぽど退屈に見えたのだろうか。普段は無口な
「別に。大体、いつもアンタが護衛してるでしょ」
驚きのあまり穿は余計なことまで口走る。それが何故か不愉快に感じられて、穿は奥歯を噛みしめた。
「はい。そうですね」
規則正しいウィンカーの音が聞こえた。目的地はすぐそこだった。
通されたいつもの和室で
「穿、学校はいかがでしたか?」
揺れる柳のような柔らかい口調。その声が穿の耳を撫でて鬱陶しかった。
「普通」
先手を打つかのように、穿は鞄から出した通知票を女へ滑らせた。
「まあ……。さすがは私の娘。よくできましたね」
頭の優劣などこの女は気にしないだろうに、こちらの気分を高めるためなのか彼女は褒める。……気分が悪い。
「――そりゃどうも、
穿は正面の
さて、次はなんと言ってやろうかと構えた穿をよそに、雨音は穿の奥の襖障子に「どうぞ」と声をかける。礼をして入ってきた使用人の女はてきぱきと配膳をし、最後に正座のまま頭を下げ、障子を閉めて出て行った。
「さあ、冷めますよ」
雨音が微笑んで夕食を勧める。湯気を立てている白飯と椀に高そうな肉と魚。毎回代わり映えしないメニューだった。
夕食まで一緒に食べる気はないと立ち上がろうとした穿の腹がくうと鳴る。
「ふふ、お腹が空いているならどうぞ」
舌打ちをひとつ、赤くなった顔を誤魔化すように穿は白飯にがっついた。
「その食べっぷり、いつかの嵐の夜を思い出しますね」
袂を押さえて上品に箸を運ぶ雨音が遠くを見る。
「あのときの穿は鮪のお造りばかり食べていましたね」
そういえば、ここで食べる食事には季節に関係なく毎回鮪の刺身が並んでいた気がする。だったら今日は食べないでやろうか、と穿が刺身皿を見ると既に空だった。
「お代わりはいりますか?」
「いらない。……もう満足?」
湯呑みを持った穿が訊ねると雨音はにっこりと笑った。
「ええ。楽しかったですよ、穿」
「そうですか」
別れの挨拶をせずに立ち去ろうと引手に手をかけたところで、雨音が口を開く。
「次に会えるのはクリスマスイブですね」
「…………そうですね」
フライトジャケットに両手を突っ込んで縁側を歩く。広々とした中庭が嫌でも目に入った。
二週間に一回、家に顔を出して養母と養父に挨拶をする。高校生になってから一人暮らしを始めた穿へ課せられた条件だった。
今日ここに来たら年明けまで来ないつもりだったのに迂闊だった。この家はクリスマスパーティーだの新年会だのにうるさいうえに、穿はそのほとんどに顔を出さなければいけないのだ。親に一人暮らしの金を出してもらっているのだから文句を言うなと誰かしらに注意されそうだが、もしそんなことを言われたら間違いなく穿はそいつに殴りかかるだろう。――うるさい黙れ、と。
とまあ、そんな理由があって穿は今、養父の元へ向かっていた。
縁側を歩き、襖を開け、廊下を歩く。無駄にでかくて古いこの家は一種の迷宮だった。
「――うちのもんが何人もやられたんすよ!? 返しがなきゃ、ナメられて商売上がったりじゃないっすか!」
「だーかーら、親父が動くなって言ってるんだよ。それともお前、俺や親父の言うこと聞けねえってか」
「そうは言ってないんすけど……」
廊下の途中で障子の奥から騒がしい声が聞こえてくる。穿は無視して奥の階段を上がった。
屋敷の一番奥に辿り着いた穿は高級そうな襖の前で立ち止まり咳払いをした。
「穿です」
「入れ」
穿はゆっくりと襖を開けて部屋に入る。
つやの良い畳にしっかりとした文机、立派な床柱に床の間に飾られた控えめな掛け軸。
成金のような厭らしさが一切排除された趣味の佳い空間。これっぽちも価値の分からない穿にすら、この場所が金の使い方をわかっている者の部屋であると理解できる、させられる。
――そこが、この部屋の嫌いなところだ。
部屋の中央に座る一人の老人がこちらを向いた。
「――穿」
低く発せられた声が空気を震わせた。穿は老人の正面に座る。自然と背筋が伸びた。
「はい」
「元気にやっているか」
「はい」
「そうか」
老人は顎髭を満足そうに撫でる。着流しの袖から刺青の入った太い腕が覗いた。
穿は心のなかで大きく息を吐いた。これで、この養父との会話は終わりだった。何度も繰り返したセリフ、それなのに、今回も緊張しながら口を開いた。
胡座のまま礼をしてこの部屋を辞そうと頭を動かした瞬間、養父から予想していなかった言葉が飛び出した。
「穿、変わりはないか?」
「え……ええ」
口を中途半端に開けたまま穿は考える。雀守も同じようなことを聞き、さきほど通りがかった部屋では返しがどうのという話をしていた。つまり――。
「……
返し、とは仕返し、報復という意味だ。穿の疑問に養父は動じることなく口を開く。
「そうだ。付いている人間が雀守だけでは不安か?」
「いえ、それは大丈夫です」
「そうか」
養父は穿から視線を外した。会話の終了の合図だ。
穿は礼をしてこの部屋を辞す。音を立てずに階段を降りて、今度こそ大きく息を吐いた。まったく、大蛇ににらまれた蛙の役は何十回繰り返しても慣れそうにない。
玄関の扉を開けると雀守が立っていた。彼は軽く会釈をして車まで先導する気のようだ。
穿は振り返って馬鹿でかい屋敷を睨む。暴力団組織、
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