第四話
「筒見さん! いらっしゃいませ」
鼓星に着くと姫川が出迎えてくれた。昨夜と同じくメイド服を纏っている彼女に、帷は気になっていたことを訊ねる。
「姫川さん。それって、この店の制服なんですか?」
オーナーの趣味なのだろうか。
姫川は不思議そうにくるりと回ってから、合点がいったように顔を上げた。
「ああ、これはボクの趣味です」
「……え?」
「こういうの、好きなんですよね」
左手で丈の長いスカートを揺らす。黒を基調としたメイド服は控えめな照明を受けてこの店に似合っている……と言えなくもない。
「そ、そうなんですか……」
まあ、店側が許しているのなら、帷が口を出すことではない。
「琴莉ちゃん、もう来てますよ。こちらです」
昨日よりも早い時間帯の鼓星。数組のグループが奥の卓やボックス席にいて、カウンターに三名ほど座っている。半分近く席が埋まっていたが、卓ごとに適度な距離があるためか、混んでいるという印象はない。
姫川に案内されて、帷は一番奥の卓に来た。琴莉が帷の姿を認めて小さく手を上げる。
「やあ。昨日はごめんね」
「ああ、いえ。あれから大丈夫でしたか?」
「まあ、いつものことだし」
帷が席に着くと、琴莉の隣に座っていた佐崎が挨拶代わりにグラスを上げた。
「よしよし。ちゃんと琴莉に奢られに来たな」
いきなり人聞きの悪いことを言わないでほしい。帷は微妙な表情を返した。
「いいよ。好きなのを頼んで」琴莉は肩をすくめた。
姫川からメニューを渡される。……八割方は見たことのないドリンクの名前が並んでいたが、おそらく全部酒だろう。帷はメニューを裏返してソフトドリンクを探す。
「なんだ、いまどきの高校生は真面目だなあ。あたしはジャックダニエルの水割りで、こいつにはロングアイランドアイスティーを――」
「陽菜さん手加減。可憐、わたしはこれをもう一杯。彼には適当なノンアルのカクテル」
琴莉の制止がなかったら、おそらくえらいものを飲まされていたのだろう。
少し待つと、姫川が三人分のグラスを運んできた。卓上にそれぞれのドリンクが並ぶ。
「では、今宵の月に――」琴莉がグラスを掲げる。
「乾杯!」
三つのグラスは軽い音をたてた。
帷は恐る恐るグラスに口を付ける。中身はほんのり青みがかった見た目をしていた。
「……あ、美味しい」
炭酸が入っていて、すっきりとしながらも甘い味。普段飲むような炭酸飲料よりも繊細な味……のような気がする。
「えへへ。マスターに伝えておきますね」
「さ、フードも遠慮せずに注文して」
琴莉に促されて、帷はフードのメニューを探す。
「この店、メニュー表はドリンクしかないんだ」
琴莉はトレーを持って立つ姫川をちらりと見た。
「そうなんです。だから、食べたいものを直接教えてください。大抵のものは出てきますから」
「……え?」
予想外のことを言われて頭が混乱した帷に佐崎が続ける。
「恐ろしいことに、ここは何を頼んでも希望通りの料理が出てくるんだ。しかも出てくるもののクオリティも高い。……この前、悪ふざけで冷やし中華を注文したら、本当に出てきてビビった」
「……本当に?」
「ああ。ここの冷蔵庫は魔界に繋がってるって噂もあるくらいだ」
佐崎が声を落としてもっともらしく話した。これを聞いて琴莉も姫川も神妙な顔で頷く。……いや、従業員の姫川が同意したらマズいんじゃないのか?
「うーん。じゃあ、フィッシュアンドチップスをお願いします」
散々迷って、洋画でよく目にする料理を選んだ。
「あと、サーモンのカルパッチョと今日のおすすめの肉料理」
「チョコレートと麻婆豆腐ね」
帷の注文に合わせて二人もオーダーを重ねた。もちろん、場違いな中華を頼んだのが佐崎である。
「あ、そうだ。名前言ってなかったよね。わたしは
「筒見帷です。よろしくおねがいします」
帷は差し出された手を軽く握った。
「帷は高校生?」
いきなり呼び捨てにされて心臓が跳ねた。心を落ち着けるためにグラスへ手を伸ばす。
「え、ええ」
「こいつ、急に名前で呼ばれて焦ってやがる」
面白がる佐崎が口を挟んだ。
「……?」
琴莉は不思議そうに首をかしげた。ところどころ跳ねた金色の髪が揺れる。
「学校は楽しい?」
「ええ――そうですね。楽しいです」
祐二や千夏などの友人のことを考えながら答える。一番最後には笑った沫衣の顔が浮かんだ。
「そっか」
「朝霞さんは高校、楽しかったですか?」
「――朝霞さん、か」
琴莉は遠くを見る仕草をした。
「名前で呼んでもらえるかな」
帷に視線を合わさずに琴莉は頼んだ。
「あ、ええ、琴莉さん」
一瞬、帷は夕日を受けて笑う沫衣を思い出す。
「ん。さあ、どうだろう……」
「あたしは高校より専門学校の方が楽しかったな」
琴莉の曖昧な答えに続いて佐崎が口を開いた。ちょうどそこに、料理の皿を持った姫川がやって来る。
「お先に、チョコレートの盛り合わせとサーモンのバルサミコソースカルパッチョです」
二人の前に皿を置いて軽く頭を下げた姫川を佐崎が掴まえた。
「ヒメは専門、楽しいか?」
「うんっ、楽しいよ」
姫川は手を後ろに組んでにっこりと笑った。
人生で初めて食べたフィッシュアンドチップスは見た目の期待感を超えるものではなかったものの、その外見よりもさっぱりしていて美味しかった。それよりも驚いたのは佐崎の注文した麻婆豆腐の方で、一口頂いたが花椒がピリリと効いていて、どんな料理でも出てくるという看板に偽りなしだった。
帷のグラスが空くたびに、「スクリュードライバー」だの「ルシアン」だのをふざけて頼もうとする佐崎を躱しながらも、三人は杯を重ねていった。
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