第三話

 携帯のバイブが低い音をたてた。帷は机に手を伸ばし、ベッドに寝転んだまま携帯を開いた。

 新着メールが一件。素早く本文を見る。件名は【Re:冬休みの部活】。今日起きてから帷が祐二に送ったメールの返信だった。

 聞きたかったことは二つ。バレー部に二年D組の生徒はいるか。バレー部は冬休みに活動しているか。どちらも沫衣の転校の件を他の生徒に訊ねるためだった。

 祐二からの返答はごくシンプルだった。たった一行、「2-Dのヤツは今日の部活に出てる」と。

 携帯を閉じて起き上がる。部屋の壁に掛かった時計は午後三時を指していた。

 ――沫衣が本当に転校したのか、確かめなければ。

 昨日の夜更かしのせいだろう、微かに頭痛がした。


 冬の弱々しい日差しに照らされた、いつもの通学路を歩く。

 ダウンジャケットだけでは少し寒い。雫ヶ丘の坂を登りながら、帷はコートの前を閉めた。

 校門を潜り、体育館へ向かう。人がほとんどいない学校は閉鎖的な印象を受けた。

 かけ声とボールを打つ音が聞こえた。ちらりと体育館の中を覗くと、コートを半分に区切ってバレー部の男子と女子が練習をしている。

 邪魔になるといけないので近くのベンチに腰掛けた。太陽が傾き始めていて、西の雲が赤みがかっている。

 ぼうっと空を眺めていると、時折千夏の鋭い声が耳に届く。普段はおちゃらけていることが多いが、てきぱき指示を出す声を聞いていると彼女が女子バレー部の主将なのだということを思い起こさせられた。


 練習の声が止んだ。帷はがやがやと休憩に入る部員たちから祐二を見つけ、アイコンタクトをする。

「おつかれ」

「おう。もう来たのか、早いな」

 首に掛けたタオルで汗を拭きながら祐二が外に出てきた。

「早速で悪いんだけど……」

 帷は覚悟を決めて口を開いた。

「D組のヤツでいいんだよな。多分向こうの水飲み場にいるぜ」

「助かった。ありがとね」

 礼を言って、帷はそちらへ歩き出した。ともかく、まずは転校が事実なのか確かめなければ。

「なあ、帷」

 祐二に後ろから声を掛けられた。

「何?」帷は振り返らずに答える。

「思いつめた顔、してるぞ」

「……そっか。ありがと」

 深呼吸をして、帷は水飲み場に向かった。


 ユニフォーム姿の男子が一人、蛇口の先を逆さまにして水を飲んでいる。

 帷は彼が水を止めるのを待って話しかけた。

「きみ、2-Dの人だって聞いたんだけど」

「ええ、そうですけど」

 話しかけられた男子がこちらの真意を測るように帷を見る。

「同じクラスの神楽木沫衣って子が転校したって聞いてさ。俺、彼女と友だちだったから」

 あらかじめ用意していた台詞を吐く。彼は警戒を解いたのか、少々リラックスして頷いた。

「ああ、そうですか。たしかに、昨日のホームルームで担任の先生がそんなことを言ってましたね」

「そっか……」

 やはり、転校したのは本当だったか。頭のなかに浮かぶ疑問にはひとまず蓋をして、彼にお礼を言おうとすると、その彼は何気なさそうに会話を続けた。

「でも、意外ですね」

「何が?」

「彼女、全然学校に来なかったじゃないですか。俺、てっきり友だちは一人もいなかったんだと思ってました」

 『来なかった』に『いなかった』。彼にとって、沫衣は既に過去の存在なのだ。その言い方が、彼女が転校してしまったという事実を物語っている。

 ――友だち。はたして、俺は彼女の友だちだった――否、俺は彼女の友だちなのだろうか。心のどこかでなにかが欠ける音がした。

「ああでもそういえば、彼女、たまにバレー部の練習を見に来てましたよ」

 黙ってしまった帷を見て、彼は思い出したかのように付け加える。

「――え?」

「女子の方にいたので、はっきりと覚えてませんけど」

「そ、そうなのか?」

 沫衣が、バレー部をたまに覗いていた? 初めて聞く話だった。

「……あの、そろそろ」

 体育館の方をちらりと見て、目の前の男子は申し訳なさそうに口を開いた。

「ああ、引き留めてごめん。とても助かった」

「いえ。なにかの役に立てたのならよかったです」

 そう言って彼は走り去った。いつの間にか、空がオレンジ色に染まっている。

 それにしても、思わぬ収穫だった。沫衣が女子バレー部の練習に足を運んでいたとは。

 ――あとで千夏にも話を聞いてみよう。

 拾い上げた細い糸が何処に繋がっているのか、そもそも先があるのかすらもわからない。けれども、それを掴めたということが嬉しかった。

 隅に落ちていたバレーボールを弄びながら、帷は気持ちが軽くなるのを感じていた。


「――薄い金髪の女の子……ああ、うん。たまに見に来てくれる子だね」

 すっかり日が暮れた頃。部活が終わった千夏を帷は掴まえた。

「それで? その子がどうかしたの、帷?」

 にやにやと笑った千夏の顔には、でかでかと「恋バナ?」と書いてあった。

 それを無視して、帷は無表情を装いつつ訊ねる。

「覗きに来るときはどんな様子だった?」

「様子? 部活中だもん、そんなの覚えてないよ」

「なんでもいいんだ」

 食い下がる帷を見た千夏は顎に手をあてた。

「うーん……。あ、来てるときは、よく五葉ちゃんと話してたかも」

「五葉?」

「いつか帷に話したような気がするんだけど……。女バレの若きホープ、一年の夢前ゆめさき五葉ちゃん。覚えてない?」

「……ああ、どっかで聞いたかもしれない」

 一年生の夢前五葉。帷は忘れないように、頭のなかにメモをした。

「その一年ってまだ残ってるかな」

「うわっ、即断即決? やるぅ」

 何を勘違いしたのか千夏は勝手に色めき立つ。

「うるさい」

 制汗スプレーの匂いを残して、千夏は更衣室を覗きに行った。黙っていた方が話の進みが早そうなので、帷は口をつぐんでおくことにした。

 校門前の街灯がついた。東の空では下弦の月が昇りつつある。

「もう先に帰っちゃったみたい。残念でした」

 小走りで千夏が帰ってくる。ついでに荷物を持ってきたのか、右肩にエナメルバッグを掛けていた。

「……そうか」

「残念だったね」

 千夏は真剣なトーンで繰り返した。

「別に、いいさ」

 二歩進んで一歩後退。たかが一歩だが、帷にとって大事な前進だった。とりあえず、次は夢前から話を聞いてみよう。

「帷にも春が来るとはねえ」

 千夏は目を細めて呟いた。

「――――まさか。まだ、初冬だよ」

 帷は空に向かって囁く。白い息が薄暮の空に昇って消えた。

 たかが一回、雪が降っただけだ。まだ本格的な冬の入口に立ってすらいない。

「そっか」

 千夏はバッグの紐を掛け直した。

「ああ、そうだ――」

 素知らぬ顔をして帷は千夏に告げる。

「校門で祐二が待ってる」

「――えっ!?」

 千夏は急に大声を出した。

「さっき掴まえといたから。俺はこのあと用事があるから裏門から帰るけど、お前は一緒に帰ってやれよ」

「ちょ、ちょっと、聞いてないんだけど」

「じゃあね」

 何事かを言っている千夏を無視して、帷は片手を上げて歩き出す。

 まあ、半分くらいはさっきまでの仕返しだ。

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