第二話
なにかに導かれるように、帷は沫衣と会ったことのある場所を目指して彷徨う。
保健準備室にはいなかった。だから帷は、初めて出会ったあのゲーセンを目指した。
御空駅の近くのゲームセンター。前に来たときは追いかけられる側だったのに、今回は追う側だった。
三回、店内を調べた。隈無く探した。それでも、見つからなかった。
もう一度、と四周目を決意した帷は、初めて彼女の顔を見たあの公園を思い出した。
ゲーセンを出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。頭上で輝く星、街を照らすネオンや街灯、ゲーセンで光っていたディスプレイやライト。そのどれもが、今の帷にはくすんで見えた。
公園を目指して歩く。前に辿り着いたときはがむしゃらに走っていたため、道がわからずほとんど山勘で進んだ。
この前は気づかなかったが、このあたりは飲み屋街のようだ。通りを一本挟んだ向こう側から昼間のものとはまた違った喧騒が聞こえてくる。軽薄なキャッチの声とべたついた大人たちの会話を振り払うように帷は頭を振った。――そのとき、帷の目の端にあるものが映った。
それは、白。雪よりも柔らかく、どこまでも純粋で、透きとおった白。それが、視界の隅で踊った。
沫衣?
考えるより先に足が動いていた。
沫衣。
白を追いかけていた。
あわい。
君を目指していた。
「沫衣!」
前を歩く君は振り向いてくれない。
「沫衣!!」
だったら、追いついてやる。
段ボールを避けて、ビールケースを蹴飛ばして、帷は走る。
――追いついた!
「あわ――」
後ろから肩に手を乗せた瞬間、その右手が掴まれる感覚があった。
「――え?」
一瞬の浮遊感。その刹那、ドシンと大きな音が鳴る。続けて背中に痛みと衝撃が走った。
「うーん。十五点!」
ビルの隙間に星が煌めいていた。状況が掴めず頭を動かそうとして、仰向けで寝そべっていることに気づく。とりあえず躰を起こそうと力を入れるが、全身を打ち付けたかのような鈍痛があった。
「赤点だよぉ。さあさあもう一度……って、ありゃ? 強く投げすぎた? これでも手加減したんだけどなー」
とぼけた調子で喋る女性が帷の顔を覗きこむ。切れ長の目が特徴的な美人。そして、
「…………沫衣じゃ、ない?」
女は目をぱちくりさせてこちらを見た。
「開いた口が豆鉄砲、みたいな顔してる」
女がにゃははと笑う。
「……え?」
「ほらほらー立って立って」
不思議なことを話す女に手を取られ、帷は立ち上がるのを手伝ってもらう。
「うん、満足した! じゃあねぇ」
何故か満面の笑みを浮かべている女は手を振って歩き出した。……なんだったんだ?
混乱している帷は、楽しそうに歩く白髪の女をぼんやりと見つめた。背中の痛みがひいていくなかで、背格好すら違う人物を沫衣と間違えて声をかけた事実が、冬の寒さよりも容赦なく、後悔というかたちで襲ってくるのであった。
*
「はぁ……」
両手を制服のポケットに突っ込んで、帷は夜の路地を歩く。
沫衣のことで我を忘れてしまうなんて。しかも、通行人に躊躇なく話しかけるほどに。
「はぁ…………」
もうそろそろ二十二時を回る。彼女が転校した、ということを聞いたのが十六時だとしても、六時間。それだけ長い間、自分は沫衣の幻を追いかけていたのか。
そもそも、彼女が本当に転校したのかも確認していない。ただ一人の口から聞いただけで、こんなに取り乱してしまった。
もう一度大きな溜息をつく。とりあえず明日、他のクラスメイトに転校の話を聞いてみよう。そのためにも、今日は早くかえ――
――ぐにゃりと、右足がなにかを踏んづけた。
柔らかくて、弾力がある。ほんのり温かくて、まるで生肉のような――。
ぐぇっ、とくぐもった声が足下から聞こえた。恐る恐る下を見ると、そこには倒れ伏している人間がいた。
「だ、大丈夫ですか!?」
素早くしゃがんで安否を確認する。大丈夫。息はしている。
「うぅん……」
帷が肩を揺らすと、だるそうに手を払いのけられた。ぼさぼさのショートカットの若い女性だ。
「だいじょうぶ……うっぷ」
「でも……」
「いいから――」
「だって、」
体調悪そうじゃないですか、と続けようとすると、女はナメクジのようにアスファルトを這い、路地の隅にある室外機にもたれかかった。
手を差し伸べようとした瞬間、女が壁に向かって
「これ、新しいお水とタオルです。コンビニで買ってきましたから、使ってください」
「ん……ありがと」
ペットボトルのキャップを緩めてから女に手渡す。酔っ払いの介抱は初めてだったが、彼女の顔色の変化を見るに成功したようだ。
帷は少し離れた場所の小間物見本市を見ないようにしつつタオルを渡した。彼女はこういうことに慣れているのか、おっかなびっくりの帷をかすれ声で上手く使い、小間物屋を数店舗ほどテンポ良く開業してからは、地面に座って体力の回復に努めている。
「きみ、何歳?」
コートに身を縮めながら女が訊ねた。
「十七です」
「若いなあ」
女は上を見て、ふぅと息を吐いた。彼女が男物と見られるカーキ色のミリタリーコートを着ているからなのか、妙に似合う光景だった。
「あなたは?」
帷も彼女に倣って白い息を吐く。そろそろ夜も更けてくる頃だ。
「酔っ払い」
ううん、と唸りながら酔っ払いが立ち上がった。立ちくらみなのか、それともまだ酒が残っているのか、ふらりとバランスを崩す姿を見かねて帷も立って支える。
「ねえ、あとひとつだけ、助けてもらっていいかな」
「ええ、いいですよ」
たくさん泡を食わされたのだ。どうせなら皿までいくのが礼儀だろう。
それに、この女を介抱しているときは沫衣のことを思い出さずにいられる。今の帷にとって、それはとてもありがたいことだった。
「行きたい場所があるんだ。すぐそこだから、そこまで肩貸してよ」
帷は頷いて、何も言わずに右肩を担ぐ。
「――今って月、でてる?」
「いいえ。……そういえば、今日は見てないですね」
「…………そっか」
ビルの狭い隙間から、いつもよりも綺麗な
地下へ向かう階段をゆっくりと降りて、二人は木でできた大きな扉の前に立っていた。
「ここでいいんですか?」
「そう」
女は帷の肩から腕を下ろして扉を押し開けた。帷も彼女に続いて扉のなかへ入る。
そこはやや大きめの、落ち着いた飲み屋だった。パブやバーと表現すればいいのだろうか、カウンターには初老の男性が立ち、奥では何人かが静かに杯を傾けているようだ。
――この女性は迎え酒でもする気か?
入店してすぐに、メイド服の女性がこちらに気づいて向かってくる。帷はこのような店に来たことがないので判断ができないのだが、シックなパブやバーの給仕というのはメイド服を着るのが礼儀なのだろうか。
「――
「だめ」
知り合いなのだろうか。さっきまで隣にいた女はメイドに先導されて店の奥に消えた。
急に手持ち無沙汰になってしまった。帷は所在なげに店内を見渡す。
「制服のままここに来るとはね。いい度胸してる」
声のした方を向くと、奥の席で手招きしている人影があった。こちらには酔っ払いの介抱、という理由があったため堂々とそちらへ向かう。
「それは――」
「ま、座りなよ」
帷は素直に席についた。
「別になにも言わないさ」
手をひらひらとさせて目の前の女性は言った。短髪でボーイッシュな印象をうけるひとだった。
「むしろ琴莉を助けてくれたんだろ? 感謝こそすれ、うるさいことを言う気はないよ」
「――琴莉?」
「さっきあんたが担いでた女の子の名前。それも聞かずに助けたの?」
「ええ、まあ……。路上に寝てたとはいえ、彼女を踏んでしまったのは自分の不注意ですから」
「路上に?」
目の前の女性はグラスを持ったままこちらを注視した。
「はい」
おそらく正面の女性と琴莉と呼ばれた彼女は知り合いなのだろう。帷は琴莉を介抱した様子をかいつまんで話した。
「なるほど。大変だったね」
「いえ、彼女の細々とした指示に従ってただけなので」
「年上のオンナとして忠告。褒められてるときは、素直に受け入れた方が得だぜ?」
「……はい」
メイド服の店員が奥から帰ってきた。ちょうどよかったと対面に座った女性がメイドに話しかける。
「ヒメ、水割りおかわりと赤玉垂らしたホットティーひとつ」
メイドがぺこりと頭を下げてこの卓を離れた。
帷はゆっくりと店内を観察する。適度な間隔で設置された席。慣れれば目が利く程度の照明にジャズ調の音楽。自分には不相応の場所だとわかってはいるが、それでも席に着けばリラックスできる不思議な店だった。
「お待たせしました」
帷の前に湯気の立つティーカップが置かれた。
「あの、これ……」
「外、寒かったろ? ……あ、奢られるときも、褒められたときと一緒」
先手を打たれて帷は口をつぐむ。代わりにカップに口をつけた。
美味しい。帷は紅茶における茶葉の違いなど一切わからないが、それでも今飲んでいるこのお茶が美味しいことだけはわかった。
口に入れると、まずふわりと甘い香りを感じる。舌に乗せてからゆっくりと飲み込むと口内では上品な香りが広がり、喉を通ると躰の内部から暖められているかのようだ。目の前の女性の言うとおり、ずっと寒空の下にいた帷にとって最高の飲み物だった。
「ヒメ、琴莉はどんな感じ?」
「まだ奥にいるけど、落ち着いてるよ。……でも、今日はもう無理かな」
「……そうだな」遠くを見た女が水割りのグラスを傾けた。
「ねえ、あんたの名前、なんて言うの?」
女はこちらを向いた。目元が少し赤らんでいる。
「帷。筒見帷といいます」
「そっか。あたしは
佐崎はメイド服の女にも自己紹介を促した。
「あ、はい。ボクは
「はい。よろしくおねがいします」
「筒見、今なにか食べたいものとかってある?」
佐崎が帷に訊ねる。
「ええっと……そうですね、とくには」
夕飯を食べた記憶は無いのにあまりお腹が空いていなかった。彷徨っていたり、見知らぬ女性に投げられたり、酔っ払いの介抱をしたりと緊張する場面が続いたからだろうか、現実感が欠乏しているのか食欲がほとんど湧いてこなかった。
「だったらまた明日の夜、ここに来ればいい。明日だったら琴莉も復活してるだろうから。それまでに食べたいものを考えといて」
「え、でも」
「うんうん。ボクも待ってますから」
半ば強制的に明日の予定が決まってしまった。まあ、冬休みも始まったことだし別にいいか。
「――だったら、高校生はもう帰る時間だな」
帷の残り少ないカップを見て佐崎が告げる。そろそろ日付が変わる時間帯だった。
紅茶の代金を払おうと財布を出そうとしたが、また佐崎の忠告が飛んできそうなので大人しく奢られることにした。
「ドジって補導さ《パクら》れないようにな」
帷は佐崎に軽く礼をして出口へと向かう。
「陽菜さん、あんなこと言ってますけど、普通に筒見さんのことを心配してるんです」
扉を開ける直前、姫川が帷だけに聞こえる声量で呟いた。
「ええ。わかってます」
「えへへ、そうでしたか」
姫川と一緒に地上へと上がる階段を登る。
「筒見さんのお家ってどっち方面ですか?」
「雫ヶ丘駅の近くです」
「だったら、こっちの道を真っ直ぐ行ってください。駅の周りは警官がたくさんいますから。制服なんて着てたら一発ですよ」
「そうですか、ありがとうございます!」
帷は姫川に頭を下げた。
「ああ、そんなかしこまらないでください」
困ったように両手を振ってから、姫川は息を吸い口を開いた。
「カフェバーの
人通りのない、真夜中の道を一人歩く。ここは静かだが、音も光もあって、白一色のせかいでもない。いつのまにか、歪んだせかいは元に戻っていた。
帷は空を仰ぐ。月がないせいだろうか、いつもよりも星が多く輝いているような気がする。ふと、振り返って南の空を見上げると、そこには鼓星――オリオン座がはっきりと見えた。
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