第二部

第3章 筒見 帷「かみさまの、みつけかたⅡ」

第一話

 数日前に降った雪は、日付が変わる頃には止んだものの、陽が昇っても融けきらずに御空の街を白で染め上げた。朝の列車運行掲示板は赤一色となり、登校中の子どもたちは雪玉を投げ合いながら登校した。車も、人も、非日常のなかをゆっくりと移動していた。

 そんな高揚感は、半日も保たずに融けて消えた。日が傾く頃、道に残っていたのは崩れかかった雪だるまの残骸と、アスファルトの汚れを吸った、薄汚れた汚泥だけだった。



 暖房の効いた教室で、帷は頬杖をついて窓の外を見ていた。

 あの日の夜、降り積もった雪はもうどこにも残っていない。かろうじて残っていた日陰の雪もすっかり融けてしまった。当たり前なのに、それがなんだか寂しかった。

「帷、そろそろ体育館行こうぜ」

 声のした方へゆっくりと振り返ると祐二が立っていた。

「ん、そうだな」

 教室を出て、廊下を歩いていると後ろから千夏がやって来た。昨日担任が散々注意していたからなのか、祐二も千夏も制服を着て、タイまで結んでいる。普段、どちらかと言えばジャージを身につけている二人なので少し新鮮だ。

「制服なんて珍しいな」帷は思ったことを口にした。

「ま、ギャップ萌えってやつよ」

 千夏はスカートをひらひらとさせながら得意げに笑った。ギャップ萌えという言葉の意味を知っているのかどうかは怪しい。

「誰がお前で萌えるんだよ」

「それって、かなり失礼じゃない?」

 二人のいつもの会話が始まり、帷は流れ弾を食らわないように口を閉じた。

 ちなみに、暖房の効かない体育館に入った三秒後、千夏がジャージを着てくればよかった、と呟いていた。


 今日は年内最後の登校日。終業式、ホームルーム、通知表と決まり切った流れで時が進んでいく。

 クーラーの近くの席だからだろうか。黒板の前に立つ担任の話がほとんど入ってこない。

 時間が、自分が融解していくかのような感覚があった。――いや、むしろ無感覚になっているのだろうか。代わり映えしない毎日を過ごすたびに、豆腐の角みたいにぼろぼろと人間性が崩れていくように感じる。どうにかしないと、という焦りもぐずぐずとほどけていく。

 体育館でD組の列から沫衣を探したが、彼女はいなかった。雨が雪に変わったあの日から、帷は彼女の姿を見ていない。たかが数日。ついこの前も二週間ほど顔を見なかったじゃないか。

 それなのに、あの日、屋上で別れてから、何故か胸騒ぎが治まらない。

 単調な日常の下に言い表せない不安が零れたインクのように広がっている。なにかが起こっているはずなのに、それを覆い隠した雪は既に融けて消えてしまった。そこにあったはずのなにかを見つけたくて、流れ出す意識の水をばしゃばしゃと両手で掬っている気分だった。


 椅子の引く音でホームルームが終わったことに気づく。冬休みの予定を話すクラスメイトたちを横目に、帷は教室を出た。

 D組の教室を覗く。ここもホームルームが終わった直後のようで教室内にはまだたくさんの生徒が残っている。――狭い教室を数回見回したが沫衣の姿はない。

 ちょうど扉から出てきた男子生徒に向かって帷は口を開いた。

「ちょっといいかな?」

「……はい?」

 不思議そうな顔をした男子の様子を無視して話を進める。

「きみのクラスの沫――神楽木って今日学校に来てた?」

 名前だと通じないだろうと途中で言い直した。

「ええっと……神楽木、さん?」

「色素の薄いロングヘアの女の子」

「ああ。今日は見てないですね。というか、」

 何事もないように、目の前の男は告げる。

「その人、転校したって先生が言ってましたよ」

「…………え?」

 せかいのとけるおとがした。

 ――転校した?

 とける。

 ――沫衣が?

 溶ける。

 ――なにも言わずに?

 融ける。

「あの、大丈夫ですか?」

 訝しげな目をした人間が話しかけてきた。

「……ああ」

 目の前の風景が歪んでいく。足下がおぼつかない。帷は廊下の壁に手をついた。

 包み込む雪すらないのに、音や光が失われていく。なにもかもが崩れて流れ出す。

 決壊し始めた白のせかい。月のない純白のせかいを踏みしめて、帷はゆっくりと足を進める。

 ここにはなにもない。だから、探し出さなければならない。見つけなければならない。取り戻さなければならない。――神楽木沫衣きみを。

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