第二話
翌日。彰は桜光編集部でひとり、パソコンのモニターとにらめっこをしていた。もちろん、次号の特集に使うネタ集めのためである。
「ろくな情報がないな……」
開け放った窓から晩秋の気配を感じた。寒川がこの部屋にいるときは大抵煙草を吸っているため、ここに新鮮な空気が流れるのはずいぶんと久しぶりである。
その彼女は今、一日だけの休暇を満喫しているはずだ。毎度のことながら、締切直前の二週間は編集部に寝泊まりしながら作業をしているため、もっと休みをとればいいのにと彰は思う。
ミルク多めの冷めたコーヒーが入った紙コップを傾けながら、ブラックベースのインターネット掲示板をスクロールする。御空市ローカルのもの、中高生向けの小さな掲示板、ちょっとした暗号を解かないと入室できないアングラな情報交換サイト。ブックマークに登録したいくつかのサイトを開いてみるが、めぼしいものは見当たらない。
駅前の本屋で買ってきたゴシップ誌の最新号を何冊か流し読みしてみたが、結果は同じだった。
御空市で大麻が取引されている。深夜爆走する暴走族。日常のすぐ隣にひそむ暴力団。挙げ句の果てに、チャイナドレスの美女を目撃した! 等々。無責任にもまことしやかに囁かれている数々の噂たち。これ以上調べてもしょうがないと、パソコンを終了しようとしたところで着信音が鳴った。
一瞬、自分のデスクに置いてある電話機に目を走らせてから、携帯をとりだして耳にあてた。サブディスプレイには「寒川」の文字。
「おつかれさまです。どうしました?」
「彰、今会社だろう? なんかいいネタはあった?」
会社にいることがバレている。昨日、寒川が休日を気兼ねなく過ごせるように、「明日は俺も休みます」と嘘をついたのだが、お見通しだったか。
「収穫はなしですね。どれも使えるとは思えません」
そう言いながらも、集めたネタをひとつずつ報告していく。ときおり返ってくる相槌の調子から、彼女も使えそうにないと思っているようだった。
「ふぅん。ま、いいや。私も午後からそっち行くから。……今何時だ?」
「十二時すぎです。有給ならともかく、休日なんですからゆっくりしたらどうですか?」
「なんだ、南雲さんみたいなこと言うなよ。なんだったら私のネタ帳、いくつか見てみるか?」
寒川のネタ帳。かなり興味を引かれたが、彰は決心を伝える。
「ありがとうございます。でも、今回はネタ探しから自分でやってみたいので」
「……本気、なんだな?」
寒川の声が一段低くなる。
「はい」
思わず携帯を握る手に力が入る。いつも桜光の隙間を埋めるような記事やコラムしか担当してないのに、今回はメインのひとつを書くことができる。なにより、これを達成すれば寒川からライターとして認められるかもしれない。
「だったら最初の企画書を十二月の中頃までに見せてくれ。そして第一稿の締切は年が明けるまで。この条件が飲めるなら、彰に一本任せる」
第一稿が年明けまで。いつもの桜光のペースだと考えられないくらい早い締切だ。――だが、答えは既に決まっていた。
「はい! 頑張ります! よろしくおねがいします」
勢いよく返答して、誰もいない寒川のデスクに頭を下げた。
「ま、がんばんなさい。ところで、まだしばらくそっちにいる?」
「あ、いえ。気分転換も兼ねて、これから大学に顔を出してきます。大学からは直帰の予定ですが編集室、開けておいた方がいいですか?」
「うーん、じゃあいいや。そのまま閉めちゃって。……タイムカード、ちゃんと打ってから帰れよ?」
……寒川がいなかったので出勤の扱いにせず会社にいたこともバレていた。
電話を切って、彰は大きく伸びをする。部屋を閉めるために窓の外に目を向けると、葉がほとんど残っていない街路樹が見えた。
*
平端社の最寄り、御空駅から特快で二駅。一原駅で降りてバスで十五分。自然豊かで広大なキャンパスを有する一原大学に辿り着く。
入口でバスを降りてそこから十五分ほど歩くと、社会学科のある七号館が見えてくる。彰は卒論の進捗報告のために、その七号館の扉をくぐった。
指導教官への報告はつつがなく終了した。実は既に卒論は完成しているのだが、「早く論文を提出してもギリギリまで直しが入るから面倒は変わらず、むしろギリギリで提出すればチェックの目が甘くなるからそっちの方が楽」との先輩の甘言に乗っかって、二ヶ月前の状態の論文を素知らぬ顔で提出してきた。それでも赤が入ったのは変わらず、自分の書いた記事のゲラを受け取るときよりもげんなりするのは何故だろう。
もうすぐ十四時を回る。小腹も空いてきたので、大学内のカフェテリアに向かうことにした。
近くのカフェテリアは文学部の学生で混雑していた。
適当な席を選んで購入したサンドイッチを片手に、目を閉じて付近の大学生の会話に耳をすませる。
――次の講義が休講でさー
――昨日、彼氏の家に行ったんだけど……
――楽なバイトってなんかない?
――面白い会に行ってきたよ……
面白い会? 彰はその会話にチャンネルを絞った。
――それって、前言ってたやつ?
――そうそう。
――で、どうだった?
――うーん。微妙。人はたくさんいたんだけど。
――何人くらい?
――三、四十人くらい? 高校生から若い社会人までいた。
――へえ。可愛い子は?
――あー、まあ人数も多いし、そこそこいるかも。
――まじで? 俺も行ってみたいんだけど。
――いや、そこって紹介制なんだよね。
――俺も紹介してくれよ。
――えー、ライバルが増えるのかよ。
――ライバルってことは、狙うほど可愛い子がいるってことじゃねえか。な、頼むよ。
――どうしようかな。紹介するのって結構めんどくさくてさ……。
――そのコーヒー代出すからさあ。
――二百円ぽっちじゃねえか。……って、四限もう始まってないか?
――まじかっ!
彰は目を開ける。紹介制で若者が集まる面白い会。編集者としての勘が、これはいいネタだと言っていた。……まだバイトだが。
詳しい話が聞きたいと、さきほどの会話をしていた人物を探そうとしたが、出入りする学生が多く見つけることは出来なかった。
「知らないか。いや、いいんだ。ありがとう」
さっき聞いた話の詳細を知るために、人脈の広そうな数名の友人に訊ねてみたがいずれも空振りだった。学内のカフェで話されているくらいだからそこそこ有名な話なのかと思ったが、どうやら見当違いだったようだ。
携帯の連絡帳をスクロールしながら、次に電話をかける相手を探す。友人や知り合いが多く、かつ会話で駆け引きをする必要のないひとがいい。
「は」行まできて、彰は一人、適当な人物を思い出す。
――あいつなら、きっと適任だ。
ところが、「は」行をいくら探しても目当ての連絡先は出てこない。……消してしまったか?
もしかして、と思い名字の方で探す。さ、し、す……。
出てきた。――「
携帯の番号を変えてませんように。最後に連絡したのは二年以上前。勇気を出して、発信ボタンを押した。
機械的なコール音が続く。……出ないか。
「はい。………………彰くん?」
懐かしい声。色々と話したいことを押し殺して、事務的に、ただの友だちとして話す。
「はる……周防か。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今って大学にいるか?」
「……うん。ちょうど研究室から出たところ。どうしたの?」
「だったら、会って話せないか? 七号館の近くのカフェテリアにいる」
「いいよ。ちょっと待ってて」
「ああ、待ってる」
ぷつん、と通話が切れる音がして、彰は静かに息を吐いた。
「ごめん。ちょっと待たせちゃった」
二十分後。周防が現れた。
「こっちも今来たところだ」という謎の言葉を飲み込んで、彰は周防を見る。
ロングスカートに長い髪。二年前より化粧を使いこなしている彼女は、逢わなかった年月以上に大人びて見えた。
「髪、伸ばしたんだ」
「え? ……ああ、うん」
髪の先を触る周防が不思議そうに頷いた。
「飲み物、買ってくるけど何か飲む?」
静かな場所に取り直した席を立って彰が訊ねた。
「ううん。自分で買ってくるからいいよ。そっちは? 買ってこよっか?」
「そうだな……。じゃあ、お願いしようかな。注文は――」
「ブラックコーヒーのミルクたっぷり、でしょう?」
「ああ。それでおねがい」
お金を渡してから、自信ありげに笑うときの顔は変わってないと、そう思った。
周防は彰と同じ大学四回生で、彰が一回生のときに付き合っていた彼女だ。一年ほどでその仲は自然消滅してしまい、この一、二年間は年賀メールを送ることすら忘れていた。付き合っていた当時から周防の友人は多く、それを今日ふいに思い出して、連絡したのだ。彼女なら、〝面白い会〟のことも聞いたことがあるだろうと、そう判断して。
「それで、聞きたいことってなに?」
カフェオレが入ったカップを両手で包みながら遙香が訊ねる。彰は数十分前に聞いた話を説明した。なんだ、そんな話なのと口を尖らせながらも、彼女は最後までじっと聞いていた。
「ごめん、私は聞いたことないな」
こちらが一方的に呼び出したのに、周防は申し訳なさそうに手を合わせた。
「そっか。周防でも聞いたことないか……」
彰の話したことを手帳にメモした周防が顔を上げた。
「友だちに会ったときに聞いてみるよ。それでいい?」
「ああ。そうしてくれると、すごく助かる」
「ううん、ぜんぜん。……あ、でもふたつだけ、条件があります」
周防は指を二本立てる。彰は頷いて先を促した。
「ひとつめ。彰くんがなんでこのことを知りたいのか、話せる範囲でいいから聞かせて」
ああ、もちろんと返した彰の言葉を周防が遮る。
「ふたつめ。周防、なんて名字で呼ばないで。ちゃんと三年前みたいに、名前で呼んで」
周防――遙香は表情を隠すようにカップを持ち上げた。
数秒、迷ってから彰は口を開く。
「……遙香。俺は今、小さな出版社でバイトをしてるんだけど――」
次号の大きな記事を任せられたことを、いくつかかいつまんで話した。
「それって、とってもすごいじゃない!」
実際に書くことになった彰よりも喜んでいるんじゃないかと錯覚するくらい、遙香は嬉しそうな声を上げた。
「そうなんだ。だから遙香、もし聞けたら頼むよ」
「うん。わかった。知り合いをあたってみる」
楽しそうにしている遙香を見るのは何時ぶりだろうか。三年前を脳裏に描きながら、彰はまだほんのり温かいコーヒーに口をつけた。
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