第18話

 水族館はそんなに遠くなかった。どうやらビルの中にある水族館らしい。ここに来るまでにはやはり誰もこちらを見ることはなかった。

 そして中にないって受付の前に行っても、それは変わらず。仕方なく声をかけた。


「すみません」

「えっ!あっはい、なんでしょうか」


 受付嬢には、急に俺たちが現れた様に見えたんだろう。とても驚きながらも、受付してくれた。


「へー、小さいのがいる。あれはなに?」

「カクレクマノミらしいな」

「魚?」

「そりゃあ魚だろ」

「そっか。可愛い魚がこっちにはいるんだね。あっちの大きいのは」

「エイだな」

「じゃあ、あっちは……」


 水族館に入ったヴィオは目につくものすべてが新しく、そして新鮮だったらしい。あれは、これは、と質問が絶えなかったが答えるととてもうれしそうにしていた。

 会って間もない、それこそ数時間しかたってないのに。ヴィオがいることが普通であるように思えてしまう。

 それが不思議でならない。最初は脅されるように一緒に居たが、こうやって水族館に誘った俺がいる。たった数時間一緒に居ただけで、ヴィオのことを気にかけている俺がいる。

 どの行動も普通の俺の行動じゃない。少なくともここ十年はな。だからこそ、こうなっている原因がわかるんだが。

 確実に、ここ数日の出来事が確実に影響している。死にかけた、ヒーローになった。どれがこうなった原因なのかはわからないがな。

 いや考え方を変えれば、普通に戻っているとも考えられるか。どちらにしろ、変わってきているということに、変わりはないか。

 それが俺にとっていいことなのか悪いことなのか、俺にもわからないが。


 一通り水族館を見て回って出口というか、入口の土産物屋にヴィオが入りたがったので入ったが。ぬいぐるみを見ると買っていきたくなる。今買っていたって、誰も居ない……

 居るな、ジャンヌが。昼に帰れなかったし、お詫びに買っていくならありか。なんて、理由を付けたところで。由衣のために買おうと思ったことには変わりがないか。ジャンヌを理由に買い物をするなんて、最低な奴だな俺は。

 でも、ジャンヌのためという理由ができてしまった。だから、ぬいぐるみを買おうとすることは止まらない。

 とりあえずヴィオが商品を見てる間に、電話をするか。


「あ、枝垂さんどうしたんですか。帰ってこないかお昼一人で食べちゃいましたよ」

「ちょっと帰れない用事が出来てなすまん。夜には帰る」

「わかりました。待ってますね」

「おにーさん」


 ジャンヌとの電話が終わってすぐ後ろからヴィオの声がした。いつから後ろに居たのか、それすらもわからなかった。


「なんだ」

「これほしいんだけど、駄目?」


 ヴィオの手の中にあるのは、魚のぬいぐるみだった。そこまで大きくないはずだが、小さいヴィオが持つと見た目より大きく見える。


「いいぞ。それだけでいいのか」

「うん、沢山は持っていけないから」

「そうか。なら買おう」


レジに行く途中にあった、ぬいぐるみの中から。ジャンヌが好きそうなぬいぐるみを一体買った。


 水族館を出て。行く当てもなくなった俺は、近くにあった公園にヴィオを誘った。


「アイスか、ヴィオ食べるか」

「食べる、えーとねストロベリーっていうのがいいな。赤くて私と同じだし」

「じゃあベンチで待ってろ、買ったら行くから」

「うん、待ってるね。おにーさん」


 ぬいぐるみを抱きしめたまま、ヴィオはベンチに座って足をぶらぶらさせていた。早く買っていくか。


「ストロベリーとバニラを」

「四百八十円です」


 ヴィオと一緒にいないときは普通に気づかれる。やっぱりヴィオが何かしているのか。


「ほらヴィオ」

「ありがと、おにーさん」


 ぬいぐるみを隣において、美味しそうにアイスを食べている今なら。ヴィオに色々聞けるかもしれない。


「なあヴィオ、君はどこから来たんだ。普通の人間じゃないんだろ」

「んー、おにーさんなら教えてもいいかな。ヴィオはね、向こう側から来たの」

「向こう側って」

「おにーさん達がフリアージって呼んでる化け物がいる世界。どこもかしこも争いばっかりで。海にいるのも可愛い魚じゃなくて、もっと大きい、凶暴な魚。おにーさんからしたら地獄みたいな世界かな。びっくりした?」

「いや、納得した。ヴィオが普通じゃない理由に」

「ヴィオの世界にも普通の人はいるよ」

「そうなのか?」

「うん。争いが多いって言っても。この世界よりはってくらいだし。皆怒っりぽいから、喧嘩が多いけど。勝ち負けが決まったら大人しくなるし。弱肉強食の世界なの」


 ヴィオみたいな小さな子が弱肉強食っていうような世界ってどれだけ過酷な世界なんだろうな。フリアージが住んでる世界だから仕方ないかもしれないが。


「弱肉強食か、俺には想像もつかない世界だ」

「なら来てみる? おにーさんならいいよ、連れて行っても。そろそろ時間だし」

「時間って」


 残っていた、アイスを一口に食べたヴィオは。片手にぬいぐるみを抱えて、もう片方の手で俺の手をつかんだ。

 そしていつの間にかヴィオの服が変わっていた。女の子らしい恰好から、赤と黒で彩られたドレスへと。ひらひらしたドレスはヴィオを少女から女性へと変身させていた。

 ヴィオは空に昇っていく。手を握られている、俺も一緒に空に昇っていく。腕を引っ張られている感じはなく、無重力状態で浮いているだけのような。そんな感じだった。


「時は満ちた、門は今開かれる」


 澄んだ空に透き通ったヴィオの声が響く。そしてうるさい程にサイレンも鳴り響く。


「憎悪の果てに終わりなき闘争を」


 ヴィオの言葉に呼応するように頭上に一本の黒い線が走っていく。


「さあ、宴を始めましょう」


 空に走っていた一本の線は、瞼が開くようにゆっくりと開いていく。

 ああ、空間震が真上で発生している。そして、その空間震を発生させたのはヴィオなのだろう。もはや異空間などというものはない。今いる多くの人が生きているこの場所に、直接空間震が発生している。

 眼下にいる人々は、逃げ出した。昨日の事件は人々の記憶に新しい。それに、俺と同じ年の人間はフリアージの恐怖をその身で知っている人間も多い。

 空にある亀裂を目にし、その後の光景を予測しては逃げたのだ。その判断は正しかった。

 亀裂からは次々とフリアージが落ちてくる。それも小さいものだけではない。ヒーローになった時に見た大きさのフリアージまでもが出てこようとしている。

 この場にはまだヒーローは来ていない。人々の希望たるヒーローは来ていないのだ。


「ヴィオ」

「なにおにーさん。高い所怖くなった?」

「なんでこんなことするんだ」

「理由が知りたいの?」

「ああ」

「生き残るためだよ。私たちの世界は、ゆっくりと滅びようとしてる。考えれば簡単なことなんだよ、争ってばかりいれば、そのうち世界も滅ぶことなんて。だから、こっちの世界を侵略する。この世界を手に入れて、私たちは生きるの」

「弱肉強食か」

「うん。そういうこと。私たちが負けたら大人しく世界と一緒に滅びを待つよ。これは生きるか死ぬかの戦いなんだよ」

「そうか。避けられない戦いか」


「うん。でもたぶん私たちが勝つと思うの。だからおにーさん私と一緒に居よ。おにーさんのこと気に入ったから、おにーさんは助けてあげる。大丈夫、私が守るから安全だよ」

 服こそ変わったが、俺の目を見て話すヴィオは少女のままらしい。確かに、ヴィオと一緒に行くのも悪くはないかもしれない。もうこの世界に由衣はいないんだ。

 一度は死のうとしたことだってある。だからこの世界に未練はなかったと言えた。四日前ならな。


「ヴィオ、俺はまだこの世界で生きる理由がある。今はまだヴィオとは一緒に行けない」

「そっか。でもおにーさんどうやって私から逃げるの?」

「俺は一般人だから無理だろうな」

「そうでしょ?」


 遠くに、建物の上を飛ぶ何かが見える。


「でもなヴィオ、この世界にはヴィオみたいな強い奴がいるんだよ」

「知ってる。確かヒーローっていうんだっけ。でも無理だよ、ヴィオは強いんだから」

「そうか。でもあいつは強いだけじゃ諦めないらしいぞ」

「その人を、離せー‼」

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