第17話
それは朝、浅野から電話がかかってきた場所のほど近くだった。昼になって、昼食を食べようと人がたくさん歩いていた。
その人ごみの中を歩いていると、後ろから服を捉まれ足を止めなくてはいけなかった。
自分から、足を止めたんじゃない。服を捉まれて、それ以上前に進めなくなった。
こんなことがあり得るだろうか、後ろから服を捉まれて動けなくなるなんて。確実にありえない状況に遭遇している気がするが。どこか落ち着いている自分がいる。最近色々ありすぎて慣れたのか。
「ねえおにーさん」
「そんな年じゃない。なんだ」
後ろから聞こえてきた声は女性、というより少女の声だった。
「おかしーなー。おにーさんって呼べば喜ばれるって聞いてたんだけど。ねえねえ、なんでこっち向かないの?」
「後ろを向いたら面倒ごとに巻き込まれる気がしてな」
道を歩いていく人は、誰もこちらを見ていない。まるで俺と後ろにいる誰かがいないように避けていく。
やはり後ろにいる誰かは普通じゃないらしい。どうにか逃げることはできないだろうか。
「面倒ごとじゃないよ。一緒に遊んでほしいだーけ」
「ならほかの奴にしろ。俺は忙しいんだ」
「やーだ。おにーさんから懐かしい感じがするんだもん。おにーさんがいい」
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逃げることはできないらしい。この状況で逃げた後の方がひどい目にあいそうだ。
「わかった。遊んでやるから服を離してくれ」
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「にげない?」
「逃げないよ」
「じゃあいいよ」
言葉と同時に動けるようになって、後ろを振り向いてみた。後ろに居たのは絵の中から出てきたようなかわいらしい子供だった。
真っ赤な髪と目をした女の子。どこか、見覚えがあるような気もするが。きっと気のせいだろう、子供は大体同じ顔をしているからな。
「どうしたの?」
「いやなんでもない。それで何したいんだ」
「んーわかんない。おにーさん何処かいいところ知ってる?」
「どこでもいいのか?」
「うん。楽しそうなとこならどこでもいいよ」
家に帰れそうにないし、行く所は一つしかないか。
「いらっしゃい。って枝垂じゃないか。平日の昼に来るなんて珍しいな」
「昼で仕事が終わったからな」
向かったのはバーシュだった。何かと言い訳がしやすいからな。よくわからない、普通じゃない人をつれていくのは気が引けたが。
他に昼飯が食べれそうな場所がここしかなかった。家に連れて行くのは論外だしな。ああ、ジャンヌに電話しないとな。
店の中には、客が居なかった。ちょうどいいと思うべきか。
「へー、ここって何するところなの?」
「食事処だよ、食べたいの食べていいぞ」
「枝垂、お前まさか」
峰の視線は後ろから入って来た少女に釘付けになっていた。ここまで歩いてくるときは、誰にも注目されることはなかったが。見ることができる条件が何かあるのかもな。
さて、なんて言い訳するか。いや、この流れからして先にすることがあるか。
「源氏物語よろしく、自分好みの女の子を育てようと少女誘拐を!!」
「馬鹿なこと言うな」
「そうだよ、おにーさんは私が遊んでって誘ったからー。誘拐したのは私かも?」
「まあ間違ってないな」
逆らったら何されるかわからない状況でここに来たわけだし。
「少女に誘拐されるとかうらやましいな」
「なら今すぐ変わってくれ」
「だーめ、私はおにーさんのことが気にってるの。こんなおじさんいやよ」
「なんで俺がオジサンで、枝垂がお兄さんなんだ。くっっこれが誘拐された人間の強みか。んで、なんか食ってくんだろ」
「お前がそれで納得したならいいか。ランチメニューくれ」
「あいよ、そっちのお嬢ちゃんはなにがいい?」
「おじさんにお任せ」
「じゃあ少し待っててくれ」
峰が店の奥に引っ込むと、少女が体を寄せてくっついて来た。
「なんだ」
「おにーさんがお気に入りって言いうの本当なんだよ?」
「名前も知らないの子に気に入られてもな」
「ヴィオヴェルーエチェ・ヴァゼフォートよ」
「ヴィオヴェルーエチェ・ヴァゼフォートってどっちが名前なんだ」
「おにーさんすごい!」
「おい引っ付くな」
名前を呼んだだけで腕に抱き着かれて。引き離そうにも力が強すぎて引きはがせない。腕を抱きつぶされてないだけましと思うべきか。
「私の名前聞いただけで言えるの、おにーさんが二人目よ。ママもパパも自分たちでつけておきながら途中でかんじゃうし」
「名前を付けた親が、子供の名前をかむのか」
「そうよ。噛むくらいならもっと言いやすい名前にすればいいと思わない。この名前のせいで私、名前全部覚えてもらえないのよ。だからみんなヴィオって呼ぶの。おにーさんもヴィオってよんで。私の名前長いから」
「じゃあヴィオ、一人目は誰なんだ?」
「一人目はお姉ちゃんよ。だいぶ前に居なくなっちゃって、探してるけど何処にもいないの」
そう言うヴィオとても悲しそうにしていた。
「でもこっちに来れるようになったからこっちでも探すつもり。おにーさんも暇なら手伝ってね」
「暇ならな」
人に見えて人ではない力を持つヴィオだが、そのうちに秘める心は見た目そのままの少女だ。少しくらいはヴィオのお姉さんを探すのに協力してもいいかと思った。
「はいよ、お待ちどうさまって。枝垂貴様」
「不可抗力だ、そんなにうらやましいならさっさと子供作るんだな」
「くっ確かにその通りだが、なかなかそうもいかないんだよ。こんちくしょう」
峰は会った時には結婚していているが、いまだに子供ができないらしい。
「とりあえず、ランチのエビカツサンドとお嬢ちゃんの方はフルーツサンドな。あとオレンジジュースも」
「美味しそー」
美味しそうに食べているヴィオを横目に峰に聞いた。
「フルーツサンドなんてメニューになかっただろ」
「試作してる最中だからな。まだメニューには載せてないんだが。小っちゃい子でも食べれるならそろそろメニューに追加してもいいかもな」
「そうか、いくらだ」
「ランチの分だけでいいぜ。試作のメニューだからな。オレンジジュースはサービスだ」
「ありがとよ」
「何、気にすんなって。長い付き合いだからな、誘拐ってのも冗談なんだろ。いろいろ事情がありそうなのは見え見えだ」
誘拐はあながち間違ってもいなかったんだが、まあ訂正しなくてもいいだろう。事情があるのは本当だしな。
「そんで次どこ行くか決めてるのか」
「いや、決めてない」
「んじゃ、これやるよ」
「なんだこれ」
手渡してきたのは二枚のチケットだった。
「水族館のチケットだ常連さんがくれたんだけどな、俺も嫁も忙しくて行けそうにないからやるよ。あのお嬢ちゃんと行ってこい」
「水族館なんて近くにできたのか」
「規模は小規模らしいけどな、町中の水族館だってそれなりに人気があるらしいぞ」
「そうか、助かる」
「なに、チケット使わないままだと常連さんに悪いからな。楽しんで来いよ。今度来た時に話聞かせてくれ」
「わかった」
そのうちまた来ないとな。
「ヴィオ」
「なにおにーさん」
「水族館に行ってみようと思うんだが、行くか?」
「水族館楽しそう、行く!」
「なら食べたら行こう」
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