海の話


 「浜辺の海は、夏は人で賑わい、冬は物悲しい程人が居なくなる。

 北半球と南半球では季節は逆になるけど同じ事だ。沖に出れば、1年中漁師が、なにがしかの魚の漁に出ている。ある所では、戦争なんかも起こっていたりする。一見大きく穏やかに見える海も、それなりに、いろいろあるのだ。」


 退院し相変わらず壊れた自分と闘いながら過ごしていた。調子のいい時は、前の家まで、手で持てる範囲の荷物を取りに行っていた。

 前の家から新しい家まで歩いて20分位だった。

 しかしそんな日は長く続かなかった。


 壊れた僕が、急激な勢いで僕を飲み込んでいった。今度の奴は前回と比べ物にならなかった。もう、どうしても、自分が制御できない。

 耳が潰れそうな程、大きな幻聴、恐ろしい幻覚。壁は崩れ、天井が落ちて来る。窓は割れ、炎に包まれる。痛い、熱い、怖い。世界の色も目まぐるしく変わる。赤青緑紫・・・

 「死ね」「殺してやる」という脅しの声や、獣の叫び声、もはや限界は、すぐそこまで来ていた。


 次の生活保護受給日まで後3日程だ、支給されたらとにかくここを出よう。誰かに訪ねて来られても面倒だしね。

 それまでの3日間は、残り少ないお金でお酒を買い飲み続けた。そして3日後、保護費を全額下して家を出た。電車で都心まで出て、昼間も滞在できるカプセルホテルに泊まり、お酒を飲んでは寝てを繰り返した。あの時、あれ程、死ぬのが怖かったのに、また今も、お金が尽きたら死のうと思っていた。死ぬときは、家に帰りベランダから飛び降りよう。6階なら死ねるだろう。

 ついにホテル代が尽きた。後は、残ったお金でお酒を買って帰って、飲み終わったら死のうと、家に帰った。

 家で、怖さをしのぐお酒を数日飲んでいたら、今度は、またあの病気の痛さと苦しさが再発したんだ。

 僕は、あぁ、このまま死ねたらどんなにいいかと思い眠るまでお酒を飲んだ。しかし、目が覚めてしまった。あぁ、まだ死んでいない。でももうベランダまで行く力も残っていない。このまま死ぬのを待とうと決め、横になっていた。

 …まただ、また死ぬのが怖くなってきた。いや、もうすでに怖いと思っていた。

 しかし、携帯も止まっている。

 それにしても、死ぬのが怖いという力はすごいと後で思い知ったのだが、僕は、家の近所の交番に助けを求めに歩いていたんだ。

 救急車で行きつけの病院の救急処置室へ

 不幸中の幸いで心臓へのダメージはそれほどでもなかったそうだ。その時にはもう、痛みも引いていた。

 ただ、とにかく、しんどくて仕方ない。

 そのまま入院することになった。


 入院して少し経った頃、社会福祉の人達、市役所の人、臨床心理士さん、病院内にある地域連携の人などが集まってくれて、僕の支援会議を開いてくれた。僕は、ありのままを話し、只々謝るだけだったが、最終目標は仕事をする事、という事だけは、みんなに告げた。「今後の事は、退院までに決めましょう。」と言ってくれて、「私たちも連携してサポートするから。」と言ってくれた。

 それからも、幻覚、幻聴は、消える事もなく、入院生活が続いた。しかし、もう、怖いという事は無く(また出たか)位に思えるようになっていた。

 でもやはり困ったのが、幻覚とわかってはいるけど、先生や看護師さんと会話の間に現れたりするのは、やめて欲しかった。

 それから、テレビでやっていたラグビー・ワールドカップの大事な試合を台無しにしてくれた。あと、困ったのが、書類を書くのに通常の何倍もかかってしまう。慣れてきたとはいえ、この幻覚達にも困ったものである。


 退院後の事は、固まりつつあった。まず、この病院への通院は最優先。次に、僕は、何かあるとアルコールに逃げるという事で、アルコール依存症の診断が下されていたので、退院日にそのまま精神科の病院に行く事に。これは、地域連携の人が、近隣の、アルコール依存症を見てくれる病院の資料を、集めてくれ、その中から精神科の病院を決めたんだ。

 そして、次に地域訪問サポートの人が2人隔週で様子を見に来てくれる事になった。さらに、心臓リハビリも週2回通う事が決まった。

3週間ほどで退院が決まり、精神科の病院へは、市役所の人と地域サポートの人が病院まで迎えに来てくれて、、一緒に言ってくれることになった。

 

 荒波ばかりだった僕の海も、、ようやくいろいろな人の力を借りながら、自分の舵で船を進めていけそうな気がした。

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