道の話
「誰かが言っていたことを思い出す。道は繋がっていると。確かに僕もそう思う。ぬかるんでいても、険しくても、たとえ分かれ道で迷ったとしても、最後には、そこには繋がっていると。」
3~4日経つと、現実の自分と、おかしくなった自分が同居(という表現しかできない)し始めた。徐々に、検査も出来るようになった。
毎日朝からいろんな検査をしたよ。特にエコーは、毎日した。
その時の僕は、前回の入院より多くの管やコードを付けられ、尿もチューブで排泄し、食事はせず、鼻から胃まで管を通しそこからドロッとした栄養を摂っていた。水さえ口から入れる事は許されなかったんだ。
検査の結果は、やはり急性膵炎だった。ただ、、大動脈解離も見つかった。大動脈は背骨に沿った大きな動脈で、3層構造になっている。その1番内側の層が腰から両ももにかけて裂けていたそうだ。
足が動かない原因は、大動脈解離で裂けた時のショックで一時的に動かなくなったのか、精神的なものか分からないが、リハビリをしていく事になったんだ。
しかし、おかしくなった方の僕は、いつまでたっても、僕の頭の中から出て行かなかった。でも、まともな方の僕が、病院の人とコミュニケーションをとれるようになっていた。
2週間程でICUから一般病棟に移る事が出来たが、大きな問題が残されていた。
入院費だ。もう、僕にはお金が無い。そこで僕は、病院にお金が無い事を話し、生活保護を受けたいという事で、市役所と連絡を取って貰った。しかし、暫くの間、市役所からは何の連絡もなかった。
僕は、膵炎の治療と、下半身のリハビリをひたすらしていた。
いろいろ繋がっていた管やコードは、大分外れて、食事も摂れるようになっていたし、何より、水が飲めるのが嬉しかった。
ただ、歩けないから、検査とリハビリ以外の時間は、ベッドの上で、じっとしているしかなかった。お金もなく、テレビは有料だったので見られないし雑誌や新聞を買う事も出来ないしね。おかしくなった自分と対峙するのに必死だったな。
3週間くらい経って膵炎も落ち着いて来た頃、市役所の人が来た。
僕は、このままでは、病院代も払えないし、退院後も生活できないと、ありのままを言った。市役所の人が持ってきた膨大な書類を作成し、改めてお願いをした。市役所の人は、「暫く待っていてください。」と言って帰って行った。
その後は、リハビリに重点を置いた。動かなかった足も少しづつ動くようになってきたんだ。
膵炎もすっかり良くなったよ。ただ、大動脈解離は、循環器の分野なので、かかり付けの病院に転院してから治療をすることになった。
リハビリも順調に進み、ベッドから車イスへの乗り移りは、1人で出来るまでになっていた。
ただ、あれから1か月くらい経つのに市役所からは何も言ってこない。
相変わらず、リハビリを頑張って、歩行器を使って何とか前に進めるようになった頃、転院が決まった。
問題の、入院費は、事情が事情だけに、事後清算という事になった。
転院後、間もなくして市役所の人が、「生活保護が決定した。」と報告に来てくれた。。転院前の入院費も、すぐ支払ってくれるとの事だった。僕の生活費も数日後に持って来てくれると言ってくれた。
ただ、僕にとってはここからが大変な入院生活になったんだ。
入院後、家賃が払えなかったのと、生活保護条件で今の家賃では、上限をはるかに超えていたので、家を出なければならず、病院から帰る所が無い。
早く歩けるようになり、病院から外出許可を取って、家を探さなきゃ。
生活保護には、生活費と、家賃、医療費を保護してもらえることになったんだけど、問題が山積みで。
でも、そうこうしているうちに、体の方は、リハビリの甲斐があって、何とか歩けるようになって、外出許可が出るまでになったんだ。
大動脈解離は、暫く経過観察となった。
となると、まず、家を探さなきゃいけないんだけど、保証人と携帯電話が必要で、でも僕には、両方無い。しかも、携帯電話を持つには、働いていなければ、保証人が必要だ。市役所からも、連絡取るのに携帯電話は、何とかして欲しいと言われるし。
さて、まず、携帯電話を何とかしなきゃ。
でも、これに関しては、本当はだめらしいけど、生活保護受給で通したら、例外的に認めてくれた。ただ、誓約書は、何枚か書かされたけどね。
次は、家だ。これが相当厄介だった。収入は、生活保護受給ですんなり通ったんだけど、保証人がいない。保証人がいない人の為に保証人を肩代わりしてくれる会社(当然有料)はあるんだけど、生活保護の人にはなかなか、なってくれない。最終的に市役所の人に、不動産屋さんに同席してもらって、なんとか、家賃保証会社に了解してもらえた。そうこうしている間に随分時間がかかってしまった。でも、その間、車の処分や、ガレージの解約や、細々した残務をすることは、出来たのだけど。ただ、その間もずっと壊れた自分とも闘いながらだったから、本当に大変だった。
ともあれ、新しい家も契約して、いよいよ退院日を向かえたんだ。
退院後は、訪問看護や地域の訪問サポートの人も時々来てくれるらしい。
新しい家は築年数は古いが、内装のリノベーションをしたばかりだった。広さも前の家より広い11畳の1Kで6階建ての最上階。外装も、半年後にきれいにするらしかった。新しい家には、布団とテレビだけは運び終わっていて、何とか雨風だけは、しのげそうだ。
この道も暗く険しかったが、何度も迷い何度も間違いながら、ようやく少し明るい道にたどり着いた気がした。
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