闇の話
「それは、視覚的に何も見えない事。
それは絶望に打ちひしがれて希望が見えない事。
それらはどちらも、本当の闇」
退院後、数か月は、体を慣らし、通院しながら、仕事も再開し始めたんだ。
倦怠感は、少し残っていたが、軽い作業ならなんとかやっていた。
後輩たちの指導とかも、会社から頼まれていた。
早く元の体に戻って、また、ばりばり働く事だけを考えながら、養生に勤めたよ。
実際、少しづつよくなっている実感があったんだ。
仕事の量も、少し増やしたりもした。
もちろん今度は、通院もしっかりしていたんだ。
そんなある夜、突然ものすごく体がしんどくなった。立っていられない位に。
そこが、家でよかったと思った。
このまま横になって、明日になっても、治ってなかったら病院に行こう。と決めた。
朝が来た、昨日よりましだ。病院に行くまでもないが、会社は休もうと、電話を入れるとちょうど社長が出て、「出勤は調子がよくなってからでいいから。」と言ってもらえた。その言葉に甘えて少しゆっくりしようと決めた。
しかし、それが最悪の日々の始まりだった。
その日を境に、立ちあがる事も出来ない日と、立ちあがれても、ふらふらしか歩けない日々が続いた。
でも何とか食事は、宅配か、ネット通販で食い繋いでいた。
暫くすると、今度は体に加えて頭までおかしくなってしまった。
動けないままベッドに横になっていると、天井に幻覚が現れるようになったんだ。あきらかに、夢を見ているのではなく、紛れもない幻覚だった。
最初は、カーテンは閉めてあるのにベランダの外の景色が天井に見えた。次に、家の近くでやっている建築現場の景色、かと思えば、昔見たアニメや映画が、次々と見えた。
幻覚を見ると、決まって息苦しくなる。心臓が、耳の横にあるみたいに、どきどきうるさい。
とにかくしんどい。しかし何故か病院に行くという選択肢は、僕の中から消えていた。今考えても何故だか分からない。
次に幻覚は、天井から壁まで範囲を広げ、立体になってきた。
最初は、犬や猫、ネズミなんかが、天井から壁を這いまくる。
しんどい、苦しい。
そこで僕は、間違った選択をした。
苦しさを紛らわす為に、お酒を大量に買い込み、飲み続けた。飲んでいる時は、幻覚も消え、酔いつぶれては眠り、また目を覚ますと幻覚が現れる。そしてまた大量にお酒を飲む。
その繰り返しを続けていると今度は、幻聴が聞こえだした。工事現場の音、映画の音、動物の足音や鳴き声。
さらに体がしんどくなる。
お酒を飲む。さらに、激しい幻覚を見、幻聴を聞く。
まだ、人の理性が残っているうちに、会社に辞表を送付した。ただ、これ以上は、自分が自分でいる自信が無かった。
そして、まともな思考が無くなった僕は、自分の周りの人達に酷い暴言を吐き続け、僕から遠ざけた。それは、彼女も例外ではなかった。それでも近づいてくる人には、さらに、ありえない言葉を浴びせ、酷い態度をとり続けた。
そして、僕の周りには誰もいなくなった。
その頃になると、幻覚、幻聴という人たちが家の中をうろうろしたり、床をくり抜いて入って来たり。 僕がよろよろベランダに出ると、外では、パレードしてたり、向かいのマンションの壁が崩れたり、「お前を殺してやる。」って聞こえたり。
僕は、幻覚、幻聴の恐ろしさや、辛さから逃げる為にもっと強いお酒を、もっと大量に飲んでは寝て、ほとんど食べ物を口にしなくなっていた。
こんな事が続くなら、いっそ死んだ方がましだ。とよろよろでも歩ける時は、死に場所を探していた。何回か、高い団地の手摺によじ登っては止めて、を繰り返していた。
その夜も、死に場所を探していたら、人目の付きにくい4階建ての建物を見つけた。
そこは、今は、使われていない工場兼会社みたいだった。外階段があったから、フラフラしながらも、何とか上がってみると、3階までしか行けなかったが、工場なので、そこそこの高さはありそうだ。今度は、ためらわず飛び降りた。
街灯もなく暗くて見えなかったが、階段のすぐ横に高い木が生えていたようだ。
全く間抜けな話だよ。その木に強く腰を打ったが死ぬことは出来なかった。
何とか、立つことが出来たので、その日は、偶然通りかかったタクシーで家に帰った。
次の日、目が覚めると、腰から下の力が全く入らなくなっていた。しかも、息をするのも苦しい。上半身だけで動こうとしても、周りのものをひっくり返したり、なぎ倒したり、家がみるみるめちゃくちゃになって行った。
ついに、お酒を買うお金も尽きてしまった。携帯電話も止められていた。
それはそうだ、働かずに、消費だけして来たんだから。
それにしても苦しいし、今は、胸と腰がとにかく痛い。
あぁ、このまま死ぬのかな。
………いやだ、死ぬのは怖い。夜中のマンションを上半身の力だけで、外に出た。バリアフリーのマンションでよかったと後々思った。
後は道行く人に助けを求め、救急車を呼んでもらった。
まず、僕のかかり付けの心臓の病院に運び込まれた。そこで検査を受けたが、膵炎である事が分かったので、隣の市の大きな総合医療センターに転送され、緊急入院をすることになった。
今度の入院は、肉体的にはもちろん、精神的にも酷いものだった。
ICUに運び込まれたのだけど、その時の僕は、現実と幻覚が入り乱れて、もはやまともな会話が出来る状態ではなく、錯乱状態に陥り、下半身は動かないので上半身だけで暴れていたらしい。
危険なので、ベッドの上で拘束具を使って、あばれないようにされていた。
そんな中、ある時は、得体のしれない誰かに命を狙われ、またある時は、彼女や、娘に「早く死ね。」と言われ続けた。その時は、現実のものが、何一つ見えていなかったと思う。目に見える全てのものが幻覚だった。
今でも、その時の記憶は、よくわからないまま、頭の中にあるんだ。
働きたい希望、それを許さない病気、しかしそれをも乗り越えたと思った瞬間、深い闇の中へと突き落とされた気がした
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