家の話


 「1人の所もあるだろう、2人や3人の所も、あるいは大勢いる所も。

 おそらく、多くの人は、多少賑やかで明るい家がいいって言うんだろうな。そうは、思わない人だっているのにね。」


 ベッドに着くなり入院着に着替えさせられ、横になると、呼吸が出来ないからと、背中の部分を少し起こしてくれた。

その後は、酸素マスクやら、心電図やら、数種類の点滴やら血圧計やら血中酸素濃度を計る奴やら、色々つけられ、すぐにテレビの医療ドラマでよく見るような、管やコードだらけになっていた。

 一通りセッティングが終わると、看護師さんに、「普通に歩いてICUに入院して来た人、初めて見た。」と言われ、少し笑われた。

 程なくして、主治医の先生が来てくれた。

 僕は緊急入院した事。病名は、うっ血性急性心不全という病気である事。それに伴い心肥大や僧帽弁不全、更にはもともと持っていた心房細動という不整脈を悪化させている事。今は心臓が3分の1ほどしか機能を果たしていない事。

 それからこれからの治療方針等。出来るだけ分かりやすく説明をしてくれた。主治医の先生と一緒に診てくれる先生も同席してくれた。

 先生たちが、病室を後にしたら、次は看護師さん達が、入院についてや、僕がしてもいい事やダメな事、動いていい範囲についての説明をしてくれた。

 出来る事は、起床時間に目を覚ます事。消灯時間に寝る事。3度の食事。トイレ…ただし、小は尿器(しびん)、大は簡易便器(おまる)。動いていい範囲はベッドの上だけ。

 この病院のICUは、全てのベッドが完全に部屋で仕切られた個室なんだけど、部屋の中を歩くのもだめだし、テレビも部屋に備え付けられていたけど、酸素マスクをしていたので眼鏡がかけられず、見る事が出来ない。

 つまり、じっとしておきなさいという事だった。

 一通りの説明が終わったらもうとっくに夕食の時間は過ぎていたけど、看護師さんが、レンジで温めて、持って来てくれた。でも、その日は朝から何も食べていなかったが、半分も食べられなかった。

 後は、入院に関する書類に必要事項を書いた。書きながら(そうか、もうすぐ僕も50歳か)と思い、大量の書類を書いていた。中に入院保証金として前金で5万円が必要という書類を見つけて、どうしようと悩んでいるうちに消灯時間になった。

 酸素マスクから漏れる音と顔に当たる酸素が気になって、あまり眠れなかった。

 次の日は、検査に次ぐ検査で忙しかったが、息苦しさは随分ましになっていた。

 その次の日の朝、突然彼女が来た。予定じゃまだ、シンガポールにいるはずなのに。

彼女の話を聞くと、向うで作業をしていたら、他の業者が結構大きな事故を起こし、全ての作業が中止になったらしい。そうなると、向うに居ても仕方なくなり帰って来たそうだ。

 彼女には僕の入院の事はLINEで知らせていた。心配して来てくれた彼女には申し訳ないが入院保証金の5万円を借り、入院に必要な身の回りのものを僕の家から待って来てもらった。足りないものは、、病院の売店で買って来てもらった。かかったお金は、退院後の清算という事にして貰った。

 偶然とはいえ、タイミングが合い、本当に助かった。

「じゃぁ、猫を引き取りに行くね。また来るからね。」と言い彼女は帰って行った。

 その翌日には酸素マスクも外れ細い管だけになり、点滴も徐々に減って行った。

 容態が落ち着いてきたという事で、入院後1週間で一般病棟へ移った。彼女も度々来てくれたのもあり、大分気持ちも楽になった。

 リハビリも、ICUにいる時は、、部屋の中をゆっくり歩くだけだったが、一般病棟に移ってからは、ちょっとした廊下を歩く事が出来、いい気分転換になった。

 検査は引き続き、色々した。中でもカテーテル検査が印象的だった。血管の中にチューブを通して、心臓をみる検査。血管内を何かが動いてるのが分かり、何か変な感じだったな。

 そうしているうちに、検査も減っていき、リハビリは、エアロバイクみたいなのに乗り、心臓への負荷を増やしていった。

 こうして、順調に治療は進み、入院後、1か月半で退院した。

 しかし、退院後も、通院での検査が続いた。

 最初は、1週間に1度、次に隔週、月一度と、間隔も、広くなっていったんだ。。経過も順調だった。

 仕事は、退院後すぐに復帰したよ。

 1か月もすれば、元の仕事量位には戻っていた。ただ、出張は暫く行かないようにと、会社からのお達しがあったが、病院の検査も順調だったので、無理のない出張は、少しづつ入れて貰うようにしていった。

 退院後、彼女とは毎週土日は大体一緒に過ごしていたが、娘とはほとんど会う機会が無くなっていた。美容師という仕事柄、休みが全く合わなくなっていたし、娘の家は、少し離れた美容室の近くだったので、なおさらだった。正直寂しかったよ。ただ彼女は、3週間に1度、娘の働く店でカットやカラーをしに行っていた。

 それからしばらく経った頃、仕事はまた繁忙期を向かえていた。出張も例外ではない。

 僕はまた、出張、出張の毎日が続いた。日中は仕事、夜は接待のあの日々が戻って来た。

 出張と、病院が重なる日も何度か出るようになっていた。最初のうちは、出張か診察の日をずらしてもらって、なんとか、通院していたが、それが何度も続くと、上手くスケジュールが調整出来なくなってしまい、ついに病院に行かなくなってしまったんだ。

 当然薬も尽きていたんだけど、僕は、仕事のペースを緩めず働き続けた。

 結果、体が言う事を聞かなくなり、立ちあがる事もままならなくなって、ただただ心臓が暴れるのを、感じていた。

 何とか救急車を呼び、病院に運んでもらった。

 冷静にかんがえれば、心不全の人間が、薬も飲まず、無理に働き続け、夜は、接待とは言え飲み続けたら、結果はどうなるか、分かり切ってる事だけど、その忙しい状況に入ってしまった僕は、根拠のない”大丈夫”に支配されていたんだと思う。

 幸い心臓へのダメージはまだましな方で助かったんだけど、体の倦怠感がすごくて、なかなか抜けなかった。だからか、今回はリハビリ中心の入院になったんだ。

 結局1か月程の入院になったんだけど、その間も、彼女は、よく見舞いに来てくれたよ。


 元気な時は、ほとんど仕事でビジネスホテル。病気になれば病室、僕にとって家って何だろう。たまに帰っても1人きりだったしね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る