雨の話


 「雨って不思議だね、。今までどんなに乾いた空気でも、土でも、濡らしていく、時には心まで。」


 でも、何故か僕が家を出ていってからの方が、よく一緒に出掛けたりするようになっていた。彼女の家にもよく行って3人で遊んだり、ご飯を食べたりしていた。

 家には猫が2匹いて、僕にもよくなついていた。

 1匹は僕が彼女の家に住む前からいた。

 もう1匹は、娘が小学3年の時に、家の近くの遊園地に、移動動物園が来ていて、1匹の猫の里親募集をしていたんだ。娘が、「欲しい、連れて帰りたい。」と言い出した。その移動動物園は、遊園地の出入り口の近くにあったので、彼女が娘に、「もし帰るまで、その気持ちが変わらなかったら連れて帰ろう。もちろん世話はあなたがするんだよ。」と言っていた。

 僕も、猫や犬は大好きだったから、異論はなかった。

 ひとしきり遊園地で遊んで帰ろうかという時、娘が「私が世話をするから、やっぱりあの猫を連れて帰りたい。」と言った。

 彼女と、僕は頷いて移動動物園に向かった。着くとあの猫がいない。動物園の人に聞いてみると、もう、貰われていったとの事だった。娘は、声を上げて泣き出してしまった。僕と彼女が、「仕方がないね。縁が無かったんだよ。」と言っても娘は泣き止まず、困った僕たちを見て動物園の人が「本当は、この子はうちで育てるつもりだったんだけど、大切にしてくれるかな?」と、貰われていった猫とそっくりな子猫を娘の両手の平に手渡してくれた。まだ、娘の両手に余る位の小さな子猫だった。

娘は、泣き笑いに変わっていた。

 2匹の猫は、性格が真逆で、元々いた猫は、大人しく、いつも誰かの膝の上でゴロゴロ言っているような子で、娘が貰った猫はやんちゃで家の中をいつも走り回っていた。

 でも不思議なもので、2匹はすごく仲が良かった。あ互いの毛繕いもよくしていたな。


 娘は、高校2年から3年になろうとしていた。バスケットボールでは、県選抜選手に選ばれていた。


 珍しく、暫く出張の無い時期だった。僕は、風邪をひいてしまい、健康だけが取り柄だった僕は、会社を早退して病院に行ったんだ。

 やはり風邪だった。

 けど、心音がちょっとおかしいと言われたので診て貰った。脈が不規則な”心房細動”と言うものだった。ただ、今は大したことないから、そんなに気にすることもないと言われ、その日は風邪薬を貰って帰ったんだ。次の日には、風邪も大分よくなったので、出勤することにした。


 普段と言える日常がそこにあって、忙しい仕事、楽しい彼女と娘との時間。充実していた。

 とその時は思っていた。


 その後、出張の絶えない時期が続いていた。台湾や、マレーシア、シンガポールなど東南アジアの出張もよく行くようになっていた。時々アメリカや、ヨーロッパにも、言っていた。

 そんな時は、会社の方針でもあった休みも、なかなか取れなくなっていった。

 しかも立場上、夜は毎晩接待で飲み歩いていた。

 必然的に、彼女や娘と会う時間も無くなっていった。彼女も、娘が高校を卒業すると、出張の仕事を入れ始めたから、なおさらだった。

 そんな日々が、何年か続き、彼女の方が家にいる時間が少なくなっていた。

 その後の僕は、出張の込み合う時期もあれば、比較的無い時期もあった。


 娘は、高校卒業後、バスケットボールに限界を感じ、美容師の専門学校に進み、美容師になった。そして、1年も経たないうちに家を出て、1人暮らしを始めた。


 そんな時日本は、また大変な災難に見舞われた。東日本大震災である。

 数日後僕は、大手電機メーカーや東京電力等の依頼で現地に向かう事になった。

 猫たちの世話は、近所に住む彼女の母親にお願いすることにした。

 洒落にならない現場だと分かっていたので、会社からは、僕一人だけ行く事にして貰った。

 僕は、仙台に常駐し、週1回福島へ行く事になったんだけど、言葉を失くすとは、あの事だろう。仙台空港は、ようやく滑走路の瓦礫を脇に山積みにしていた。空港の周りは、木の上に車が引っかかっていたり、川にセスナ機が落ちていたり、家という家は、全て津波にめちゃくちゃにされていた。海に、近付こうとしても瓦礫の山で近付けない。それを見て、途方に暮れた事を今でも、昨日のように思い出すよ。

 福島は、行ける所が限られていたので、原発の悲惨さだけが印象に残っている。防護服は、最後まで着慣れなかった。

 1年程の派遣だった。

 仙台から帰り、日常が戻った。相変わらず彼女は出張ばかりだったけど、週末には必ず帰って来ていた。基本車での出張だった。その為に車も、荷物をよく詰めるミニバンを買っていた。現場も1か所になったみたいだった。月曜日の朝出発して、金曜日の夜帰って来る生活を続けていた。

 そんな生活が数年続いた。

 僕は、自分の出張がない時は金曜日が待ち遠しかった。

 そんなある日、娘が貰った方の猫が、腎臓の病気になった。週1回点滴を射ちに動物病院に行かなければならなくなってしまったんだ。

 動物病院までは少し距離があり、お母さんにはお願いできないので、彼女と話し合って、週1回行ける方が行く事にした。

 そんなある日、彼女から、「シンガポールの長期出張が入ったんだけど、いってもいいかな?」と話があったんだ。ちょうど僕も出張が無い時期だったんで、「いいよ。」と返事をした。


 それから数日後の朝の事だった。

 体がおかしい。横になると息が出来ない。立っていても苦しい。座ると、何とかましになった。

 何日か前から、息がしづらい時があると思っていたが、あまり気に止めていなかった。

 まず会社に連絡を入れ、車の運転は危ないと思った僕は、タクシーで近くの病院に行った。血液検査やら、心電図やら、レントゲンやら、CTやら診て貰うと、「今すぐ心臓の専門医に行きなさい。」と紹介状を書いてくれた。「わかりました。じゃぁ。」と立ちあがって行こうとすると、「タクシーを呼ぶから、車イスに座ってなさい。」と言われ、待っていると看護師さんが車イスを押してきてくれた。その時はまだ、大袈裟だなぁと位にしか思っていなかったんだ。

 程なくしてタクシーが来た。紹介してくれた循環器専門の病院に着き、受付に紹介状を渡すと、すぐに車イスを押した看護師さんが来た。車いすに乗ると、急いで救急処置室に連れていかれ、ベッドに横になったが、横になった途端息が出来なくなった。背中を少し起こしてもらうと、息が少し出来るようになった。

 そこでは、さっき診て貰った病院以上にいろいろ診て貰った。

 先生曰く「今すぐ入院してもらいます。」との事!

 …んっ、だめだ、猫がやばい。彼女は今シンガポールだ、動物病院に連れていける人がいない。彼女が帰るまで猫を入院させなきゃ。

 僕は、先生に、猫を動物病院に連れて行きたいと事情を説明したが、「あなた自身が今どうなるか分からない状態なのに、無理です。」看護師さんも「あなたも、猫ちゃんも共倒れになったらどうするの?」と言われたが、でも、どうしても猫だけは、見捨てるようなことは出来ないとしつこく食い下がると、事情が事情だけにと、自己責任の念書を書き、何とか行かせてもらえるようになった。タクシーに乗り、無事猫を入院させることが出来たんだ。

 病院を出る時、「戻ったら車イスで迎えに行くから、受付に声をかけて椅子に座って待っていてください。」と、言われていたので、受付に声をかけると「2階のICUに行って下さい。」との事。あれ、聞いていた話と違うと思いつつ、言われた通りICUへ行くとちょうど入口に看護師さんがいたので「受付で言われて来たんですけど。」というと、少し慌てて名前を聞かれた。名前を言うと看護師さん達がベッドへと連れて行ってくれた。

 話の行き違いがあったんだろうね。

 ともあれ入院生活のスタートだ。


 幸せという快晴の元を歩いていたら急にどしゃ降りの雨に打たれた気がした。

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