山の話


 「行けども行けども、登れども登れども、頂上が見えない山がある。

 少し歩けば頂上に着いてしまう山がある。

 誰にも手を付けられず、登ろうとすると、命を落とす山がある。

 整備され、ピクニック気分で登れる山がある。

 人は、自分で選んでも、選ばなくても、どこかの山に立たされる。」


 僕と彼女は、社長が逃げる前に、残っていたお金で、働いていた人たちの給料と、仕入れ業者、そして下請けさんの支払いを、社長達にはばれないように、密かに済ませていた。

 「間違いなくこの会社は潰れる、その前に最低でもそれだけはしておこう。」と2人で動いていたんだ。

 倒産時には、土地や建物、工場設備などの資産は残っていたものの、金融機関から借り入れた、僕からすれば、莫大な借金が残されていた。

 社長は失踪して行方不明になっていたので、その借金は、会社の保証人である僕だけにのしかかる事になった。

 借金総額約1億2千万円、それに対し会社資産、約4千万円。

 資産のうちから、弁護士費用を出し、倒産の手続きと、僕の自己破産の手続きをした。

 後、法的な費用を差し引き、結局8千2百万円の借金が残ったが、会社資産の差し押さえと、僕自身の自己破産と免責の決定が下りこの件は幕を下ろした。

 つくづく彼女と籍を入れていなくてよかったと思ったよ。

 僕と彼女は、会社に異変が起きた時から、無給で働いていたので、すぐに働く必要があった。

 彼女は、下請けだった会社から声がかかり、働くことになった。娘もいるので、定時で終われて、出張もしなくていいとの事だった。

 僕は、逆に仕事を貰っていた顧客から声をかけて貰った。こちらは、もちろん残業も、出張もありの会社だったよ。給料は、ありがたい事に、彼女も僕も、満足のいくものだった。


 娘は、小学6年生になっていた。小学4年生から、ミニバスケットボールを始めていたが、僕がバスケットボール経験者だという事は黙っていた。仕事が忙しかったけど、言ってしまうと、絶対に肩入れする事が分かっていたからね。ただ、時間が合えば練習や試合は見に言っていたよ。

 新しい職場にも慣れた頃、休みが合ったので、娘の練習試合を見に行っていたんだ。その日は、ヘッドコーチと話す機会が結構あって、つい専門的な話をしてしまい、経験者だとばれたどころか、中学の時、全中までいった事まで知られてしまった。

 案の定「ぜひ、コーチになって欲しい。」の一言。その時は、保留という事で帰ったんだけど、後から帰って来た娘に、今まで言わなかった事を、めちゃくちゃ怒られてしまった。「でも、コーチはやって貰うからね!」と言われてしまい、その日のうちに、ヘッドコーチに連絡を入れた。ただ、娘が卒業するまでと、時間が合う時だけという条件を付けた。

 すると、娘が卒業するまでの大きな大会は、夏と冬の2回で、特に冬の大会が、1番大きいのだと告げられた。この時は、夏に差し掛かろうとしている時期だったのでちょうどいいタイミングだったのかもしれない。コーチにもそう言われた。

 ミニバスケットボールとバスケットボールのルールは、僕には、ずいぶん違って感じて、覚えるのに必死だったな。ただ、技術面は、ほとんど変わらないので、教える事には、あまり影響は無かったよ。


 僕が入った会社は、やはり電機の会社で、設計、板金、製造の部門があり、後は、事務や経理の人がいた。社員は30人足らずの会社だったが、大手の電機メーカー数社と取引のある会社だった。

 僕は、製造に配属された。仕事は、とにかく忙しかったが、会社の方針で、平日の残業はいくらでもしていいが、土曜日は定時(17時)、日曜日は休み。基本的にこれは、守るという事だった。

 出張も多かったが、相手は大手メーカーがほとんどだったので、土日の出張は、ほぼ無かった。

 今まで、出張といえば、1人で行っていたが、この会社はほとんどが複数人だった。

 僕が、出張になれている事を、会社も知っていたので、この会社でも、出張が多かった。内容的に1人で充分な時でも、若手を補佐に付け、上司から「勉強させてやってくれ。」と言われて、2人で行くことが多かったな。

 会社の方針のおかげで、土曜日の夕方と、日曜日は、ミニバスケットボールのコーチが出来た訳だけど。

 

 娘は、レギュラーでさらにエースだった。夏の大会は、大きな地区のベスト4という、いい成績だったけど、悔し涙を流していたな。それから、厳しい練習に耐え、夏に破れなかった地区を冬には突破したが、県のベスト8で大会を終えた。

 涙は流していたが、何か清々しい顔をしていたよ。


 仕事は、相変わらず、出張、出張の毎日だった。ただ、翌週へ持ち越す場合でも、週末には、帰っていた。

 移動は、これも会社の方針で、よほど近くない限りは、車での移動はせず、公共の交通機関を利用して、現地でレンタカーを借りていた。荷物は、少々お金がかかっても、あらかじめ現場か、宿泊する宿に送っていたんだ。

 実は僕は、これだけ出張でいろんな所に行ってるにも関わらず、飛行機と船が苦手で、でも飛行機は、離着陸とエアポケットさえ我慢すれば、耐えられたんだけど、船だけは、乗船したとたん気持ちが悪くなって、エンジンがかかってからは、ずっと、トイレで吐いて、甲板で風に当たって、またトイレの繰り返しで、もうこれは、どんな大きな船で、風が凪いだ海を航行してもだめだったよ。

 でも、パワーボートや急流下りなら平気なんだけどなぁ。

 

 娘は、中学生になっていた。クラブは相変わらず、バスケットボールを続けていた。

 娘の中学は特殊で、小学校と隣り合わせになっていて、合同の学校行事も多く、特に運動会は、小学1年生から中学3年生までが同じグラウンドで混ざって行われていた。見ていて違和感しかなかったな。

 という事で、ここの小学生は、ほぼここの中学校にスライドしてくる。と、いう事は、バスケットボール部も、ほぼ同じメンバーが上がって来ていた。嫌な予感がする。

 やはり、コーチの話が来た。今度は、顧問の先生からだった。

 でも、そこには「はい、やります。」と言っている僕がいた。本音の所では、楽しみでもあったんだ。


 仕事も、私生活も充実していた。いや、していたはずだった。


 娘が中学2年になって暫くした頃、彼女から「今すぐにとは言わないけど、別々に暮らさない?」と言われた。

 頭が真っ白になりながらも、「何故?。」と聞いた。思い当たる節が全くない。いくら聞いても理由は答えてくれなかった。ただ「嫌いになった訳じゃない、むしろまだ好きな気持ちでいる。」と言っていた。僕は、別れたくは無かったが、彼女の意志は強く、娘が中学卒業のタイミングで、僕は家を出た。別れた理由は、今になってもわからないままだ。


 その山はきれいで、登ってみると楽しくて、でも、下りは先の見えない霧の中を歩いているようだった。


 

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