坂の話


 「気付かないくらい緩やかだったり、怖い位急だったり。

 当たり前だけど、同じ坂でも登ってから後ろを振り返ると、そこは下り坂なんだよね。」


 結局刑務所には2年程いたから、3年2げつの刑期だったので、約1年2か月の仮釈放を貰った事になる。その間にまた犯罪を起こせば、仮釈放が取り消されるんだ。

 仮釈放には、身元引受人と、住む所が必要になって来る。それらが無い場合は、そういう施設もあるのだが、仮釈放が大幅に遅れる。

 それから、仮釈放された人には法務省から指名された保護司さんと呼ばれる人のお世話にならなければならない。それは、一定期間に一度、保護司さんの元を訪れ、近況報告をしたり、アドバイスを貰ったりするんだ。

 話は戻るけど、僕の仮釈放が決まってから、あまりこういうケースは無いらしいけど、保護司さんが面会に来てくれて、息子さんが身元引受人になり、住む所は、暫く保護司さんが経営している会社の寮を用意してくれるという事で、僕の仮釈放は、スムーズにいく事になったんだ。

 僕の担当になった保護司さんは、60代半ばの男の人で、ちょっとした鉄工所の社長さん。その会社は、昔僕が住んでいた所から少しだけ離れた所にあった。息子さんは40歳過ぎで、お父さんが引退したら後を継ぐと言っていた。

 会社の寮は、会社の敷地内にあった。個室で、風呂とトイレは共同、無料で住まわせてくれ、10人程住んでいた。

 仕事は、釈放された2日後に、あっさり見つかった。やはり電機屋にした。面接で、経験も資格もあると言うと、明日からでも来て欲しいと言われた。もちろん刑務所から出て来た事も隠さず言ったよ。でも、それでもかまわないと言ってくれた。

 その会社は、寮から歩いて15分位の所にあり、4人でやっている製造のみの、小さな会社だった。

 仕事は楽しかったし、一生懸命働いた。

 保護司さんとは、毎朝毎晩あっていたから、日々の報告もこまめに出来ていたんだ。

 無料で住まわせてもらったおかげで4か月もしないうちに、家を借りる資金も出来たよ。

 新しい家は、鉄工所のすぐ近くで借りたんだ。

 寮を出た後もよく保護司さんを訪ねていたよ。とてもいい人だったな、ただ話を始めると止まらないタイプの人だった。

 僕の就職した会社は、小さいながらも、社会保険や福利厚生もしっかりしていた。

 社長と弟さん、あと1人は社員で、もう一人は下請けさんだった。経理や事務は、社長の奥さんが時々来てやっていた。

 僕は、社員として雇ってもらった。仕事だけど、どうやら僕は、設計より製造の方が向いているみたいだ。社長も試用期間は無しでいいと言ってくれた。

 弟さんは、1癖も2癖もある人だったけど、後の2人とは上手くやっていけそうだ。

 また、こんな充実した日々が来るなんて、思わなかったな。

 ありがたい気持ちで一生懸命働いたよ。

 社長は、面倒見のすごくいい人で、よくご飯を食べに連れていってくれたし、その後飲みにも連れて行ってくれたなぁ。

 そんな毎日が続いていたある寒い冬の日、その日も社長が、「今日もいくか!」と誘ってくれた。焼き肉をご馳走になり、そのまま社長の行きつけのスナックに飲みに行く事になったんだ。閉店まで飲んで、社長はタクシーで帰って行った。「送っていくぞ」と言ってもらえたが、僕は酔っぱらって、体が暖まっていたのと、家まで15分程歩けば帰れるからと、「大丈夫です。」と断ったんだ。

 家に着いてから、着て行ったコートをスナックに忘れて帰って来た事に気が付いた。一気に酔いが醒めた気がした。

 コートのポケットには家の鍵と財布が入っていたんだ。

 僕は取り敢えず、歩いてスナックに戻る事にしたんだけど、1度酔いが醒めると、とにかく寒い。おまけに風まで強くなってきた。頑張ってスナックまで戻ったが、もうママも帰った後みたいでノックしても何の反応もなかった。

 この辺りには交番もない。

 どうしようと悩み、会社まで行って、どこか風よけになる所を探そうと歩き出したが、歩いているうちに、もう体が寒さに耐えられない所まで来ていた。

 気が付くとそのあたりには、路上駐車している車が何台か止まっていた。その中にロックのかかっていない車があった。僕は思わず少しだけの時間、風よけにその車に乗り込もうと、ドアを開けた時、「ちょっといいですか?」と制服を着た警官に声をかけられたんだ。

 最初は、ただの職務質問をするつもりだったんだと思う。僕もそれだけだと思い、ありのままを話した。

 すると、「とりあえず交番で話を聞くから。」と、パトカーに乗せられた。パトカーは、暖かかった。

 交番に着き、もう一度同じ話をした。

 名前と住所を聞かれたので答えると、奥にいた警察官が何やら電話でどこかと話していた。「暫く待っていて。」と言われるがまま待っていると、パトカーに乗るように言われた。「どういうことですか?どこにいくんですか?」と聞くと、「後で分かるから。」…嫌な予感しかしなかった。幼い頃の1番嫌な記憶が、あの母や兄の目がフラッシュバックのように思い出された。

 着いたのはやはり警察署だった。

 取調室に入れられると、すでに刑事さんが2人中にいた。

 座るように言われ、座ると、正面の刑事さんが、「車上荒らし未遂の現行犯で逮捕するから。」と、無茶苦茶な事を言って来た。「違う!説明もした。明日でも社長とママに聞いたら、コートを忘れた事も分かるから。」

 ここでの1泊は覚悟したが、「だから何?そんなもの、何の証拠にもならない。お前は、何度も盗みを働いた過去がある。たしか、車も盗んでるよな。今度も、キーが付いていたら盗んでいただろう。」とにかくベルトと腕時計を外すように言われたが、「やってないものは、やってない。」と抵抗すると、無理やり外された。

 翌日から、取り調べが始まった。刑事さんから何を言われても、ありのままを正直に答えるだけだった。

 コートと鍵と財布は、帰って来たが、否認している間は接見禁止になり、外部との連絡もさせて貰えなかった。暫くすると国選弁護人が面会に来た。しかし、僕の話を信じないどころか、「罪を認めれば、情状酌量の余地はあるよ。」と言って帰って行った。「誰がそんな嘘を認めるもんか!本当にやってないんだから。」と嘘だらけの調書には、一切署名も拇印も拒否した。

 被告人否認のまま、取り調べも終わり、拘置所に移送された。前回と同じ拘置所だった。

 裁判になり、4回目の出廷で判決が出た。検察側の求刑通り、懲役1年、判決理由は、当時現場にいた警察官の証言のみのもので、僕は100%嘘つきというものだった。僕は、即日控訴をした。分かっていたけど、高等裁判所でも棄却。でも僕は、上告までした。最高裁判所でもやはり却下。最後の、異議申し立てまでしたが、結果は、やはり変わらずだった。裁判は、1年半かかった。

 そして僕は、前回貰った仮釈放の1年2か月と併せて、2年2げつの懲役が確定した。


 1番下から頑張って登ったと思ったら下り落ち、また頑張っても今度は突き落とされる。この坂はいつまでたっても、登り切れないのかな?

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