糸の話


 「細いものが1本だと、すぐにプツンと切れてしまう。でも、それを何本も捻じり、糸にするとなかなか切れない。

 そんな糸でも1本だとなかなか見えづらい。でも、それを何本か編んでいくと布になり、よく見えるようになる。

 結局、糸は強くなる。」


 その刑務所は、刑務所でありながら、国から認可された職業棟訓練校でもあった。日中は、刑務作業をする者と、職業訓練をする者に分けられるんだ。

 職業訓練は、希望を出し、暫く様子を見て、問題が無いと判断されれば認められた。

 スタートの時期は、科目によってばらばらだったが、年1回、科目によっては年2回。期間も科目によって1年から2年。

 期間が過ぎたら、次の希望を出すか、刑務作業をするかを選ぶことが出来た。

 訓練の種類は、板金や左官、木工や電気、塗装や理容なんてものもあり、10種類以上あった。

 僕の場合は、かつての職歴と幾つかの資格を持っているという事で、逆に刑務所側から、「電気でやらないか?」と、半強制的に電気科に入れられたんだ。

 僕も断る理由が無かったのだが…

 しかし、懲役は懲役である。規律も厳しく、特に夜はただの1懲役囚だ。

 そうやって、僕の懲役生活が始まった。

 この刑務所は、職業訓練生を実習生と呼び、訓練所を実習場と呼んだ。建物も科目ごとにそれぞれ独立してあった。

 僕の実習場は、基本2月スタートの2年間、まず初歩の資格試験の受験者が、8月の筆記試験や12月の実技試験に落ちたら、もう1年延長が認められる。逆に、合格したら、次の段階の為に、もう1年の延長が認められた。

 しかし、僕はすでに両方の資格を持っていたのだが。

 実習場には時間割があって、午前の2時間は、全員刑務作業で、電気ポンプの組み立てや、電卓の基盤のはんだ付けなどして、残りの2時間は、教科書を使っての勉強(実習場内には教室もあった)。午後は、1時間教室で勉強した後、残りの2時間半は、実技実習だった。

 僕は、通常の実習スタートのタイミングよりかなりずれた5月に、実習所入りしたんだけど、その意味がすぐに分かったよ。

 この実習場には、電気を教える教官がいない、他の実習場は、外部からほぼボランティア的に、地元の会社の人達が教えに来てくれているんだけど、数年前に電気を教えてくれる人が辞めて、いなくなったそうだ。そこで、若手の刑務官の1人が簡単な方の資格を取って、教えていたそうだが、誰がどう考えてもそんなに甘いものではない。

 つまりは、僕に講師役をしろと言う訳だ。

 冗談じゃない!ただでさえ、若い血の気が多い犯罪者の集まりだ。揉め事でもおこったらどうするんだ。

 それに、運よく僕が1番年上だったけど、それでもみんなと同じ立場の懲役囚に教えてもらうのは嫌だろう。と思っていたら、先手を打たれた。

 実習担当の刑務官に「目標は、年1回ある資格試験に1人でも多く合格させる事。その為に、刑務官を2人教室に入れ、何かあればすぐにつまみ出す。」と言うものだった。何も起きない事を祈りつつ、もうやるしかないのだろうなと思った。

 数日後、教室で僕は、”指導補助”という、訳の分からない腕章を付けて、15人程の前に立っていた。偶然にも全員が、初歩の試験の受験者だった。

 まず、みんなの実力を知りたくて、小テストをやってみた。

 やばい、2年目の人もいるはずなのに、このままじゃ、残りの時間も考えると、4分の1も受からないぞ!今までどうしていたんだ?

 みんなが受ける試験は、初歩だけど、電気理論、電気数学、電気の法律など、範囲は広い。教え方を考えなくては…何より時間が無い。8月の筆記試験まで後、約3か月、僕が少しでも間違えた教え方をしたらアウトだ。

 出来るだけ効率のいい勉強法を自分なりに考え、出来るだけ分かりやすく教えた。

 後は、みんなのやる気に賭けるしかない。願わくば、部屋に戻ってから復習とかもして欲しい。

 意外だったのは、みんながいたって真面目に僕の話を聞いてくれた事だった。時々、小テストもやっていたが、みんなだんだん分かってきてくれた。このまま続ければ全員いけるかもしれない。

 実技試験の実習は、筆記試験が終わるまでせず、社会に出てから実践で使える実習をした。時には、建築家と木工科と合同で、実習室の中に小さな家を建てたりした。

 ただ、工具や、機械設備が1昔前のものだらけで、きっとみんな社会に出たら戸惑い、暫くは通用しないんだろうなぁと、少し気の毒に思えた。

 いよいよ8月、筆記試験本番の日を向かえた。会場は、刑務所の近くの大学だった。

 その日は、みんな刑務所が用意したワイシャツとスラックスに着替え、赤色灯のついていないマイクロバスで会場に向かった。

 試験が終わり、帰って来たみんなの顔はどれも微妙だったな。

 2週間から1か月の間に、合否の通知が来る。とにかく祈るしかなかった。

 その間は、全員午前中は刑務作業だった。昼からは、実技試験の対策も少しずつ入れるようにしていった。ただ、筆記試験に落ちた者はその日から刑務作業に切り替わるのだが。

 結果が届いた。…全員合格…みんな本当によく頑張ったと思う。

 後は、冬の実技試験だ。でも、実はあまり心配していなかったんだ。試験対策に入ってから少しの間だったけど、このまま続けていければ、これならいけるって確信が持てていたからね。

 12月が来て、実技試験も終わった。結果は、やはり全員合格だった。合格率100%だよ。因みに一般の合格率は毎年60~70%なんだよね。

 次の年も全員合格だった。

 その間僕も、ちゃっかり、危険物とかボイラーとかの資格を取っちゃったけどね。

 それから、実は、ずっと並行してやっていた、刑務所内の電気設備の保守点検も、大体終わらせたよ。

 前の年に合格した人の中には、次の段階の試験を受ける人もいたけど、教えている途中で仮釈放が決まり、出所したんだ。この刑務所では、異例の仮釈放期間の多さだったらしい


 今までは、ほとんど見えなかった僕も、これからは細い糸達が紡ぐ布切れ位にはなれるのかなぁ。

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