沼の話


 「危ない、汚い、ドロドロ。多くはそんなイメージなのだろうね。

 でもね、そこでしか生きられない生き物もいるし、植物もある。

 中には、それはとてもきれいな花を咲かせる事だってあるんだよ。」


 拘置所を出た僕は、行く当てもなく、ふらふら日払いのバイトを転々として、カプセルホテルで寝泊まりする毎日を過ごしていたんだ。(当時は、ネットカフェなんてなかったしね)

 家は留置所にいる間に退去していた。手続は、不動産屋さんに面会に来てもらって、済ませる事が出来た。

 いつ終わるか分からない裁判で、家賃を払い続けるお金もなかったしね。

 しかし、引っ越し業者に、家の中のものを処分してもらったり、清掃業者を頼んだら、ずいぶんお金がかかってしまい、ほとんどお金が無くなってしまったんだ。

 拘置所に保管してもらっていた荷物もほとんど処分してもらった。

 この頃の僕は、この状態を辛いとか、どうにかしたいとか、全く思わなかった、と言うより、全てがどうでもよかった。

 日払いのバイトを転々としていたが、こんないなかでは給料も安く、いよいよお金も果て、公園や廃墟で寝泊まりする日もあった。季節も夏になっていたから、それはそれは暑かったよ。

 そんな生活も暫くしたある日の夜、いつも寝泊まりしている公園の脇に、キーを付けっぱなしの車が止まっていたんだ。周りを見渡しても誰もいない。思わず僕は、その車に乗り込み、エンジンをかけ、走り出していた。燃料計を見ると、ほぼ満タンだった。

 気が付くと、以前僕が住んでいた都会の方へ向かっていた。そして、少し手前の街で車を止め、朝を待った。

 本屋が開くのを待ち求人誌を立ち読みして、日払いのバイトを探した。さすがに都会は割のいいバイトが多かった。早速その日の夜勤から働ける所と、次の日に日勤出来る所を見つけぶっ通しで働いた。

 その次の日からは、夜勤、日勤を問わず、出来るだけ長い時間働ける所を探しては働いたよ。

 暫く寝床はサウナになっていた。

 その頃の僕は、今まで生きて来た事を、全て無かった事にしたかった。

 僕は、何のために生まれて来たのだろうって、僕の周りにも、僕の中にも何もない孤独に苛まれながら、時間が過ぎていた。

 ついには、働く事にも意味を感じなくなっていったんだ。

 それからの僕は、さらに腐っていく一方だった。

 置き引き、ひったくり、車上荒らし、店の閉店後の忍び込み、挙句の果てに、留守宅に押し入ったりまでした。

そんな生活も長く続く訳もなく、半年くらいで捕まったんだけど、その時、宿泊していたサウナ中騒然となったんだ。

と言うのも、前回の逮捕時に暴れまくって捕まったのもあって、合計10人以上の刑事さんや警官がなだれこんで来たからだった。

 でも、今回僕は、何の抵抗もせず、むしろ自分から手錠をかけられに行ったんだ。

 前回同様パトカーに乗せられ、最寄りの警察署の取調室へ、場所は違っても手続きは同じだった。

 ただ今回は、件数も多く、現場検証も有ったので、留置所には1か月程留置された。今回は、留置所から雑居部屋だったので、たまらなく鬱陶しかった。

 その後、拘置所に移送されたが、やはり雑居部屋だった。

 件数は、多かったが、否認している訳でもなく、難しい案件も無かったが、長引くはずのない裁判が長引き、判決まで1年近くかかってしまった。

 なぜなら、その間、世の中では大変な事が起きていたんだ。

 世に言う、阪神淡路大震災である。拘置所の中でも大騒ぎになっていた。舎房のラジオが再び鳴ったのは、次の日だった。阪神地方が大変な事になっているのを、その時初めて知った。

 話を戻そう。つくづく警察官や、検事さんは、正義の為と言いながら、ひとのあらの裏の裏まで調べて、少しでも綻びがあれば、重箱の隅までつつく。

 やっていて、自分でも嫌な仕事なんじゃないかなって思ったよ。

 判決は、懲役2年の実刑判決。執行猶予中だったから、それも併せて3年2げつになる。

 拘置所に戻ると、2週間、控訴するかどうかの期間が与えられる。それを過ぎると、生活は1変した。私服から、拘置所が用意する服に着替え(もちろん下着も)、かなりの生活制限も課せられる。部屋も同じ立場の人達の雑居部屋に変わる。そこは、服役する刑務所が決まるまで、軽作業をしながら待つ場所なのだ。

 ただ、僕のような26歳以下の者は、少年刑務所に行くため、26歳以下で部屋が割り振られる。日中は、27歳以上の人達と違い、別の建物に集められ、軽作業に加え、適性検査を兼ね、講習がある。ある程度行きたい刑務所の希望も聞かれる。少年刑務所は、刑務所によって仮釈放期間が大幅に変わって来るんだ。

 もちろん、刑務態度や素行にもよるが。

 僕は、希望通りの刑務所に行く事が出来た。といっても、僕は仮釈放とかは考えずに、ただ希望欄に書いた刑務所に決まっただけだが。

 程なくして、刑務所に移送された。そこは、とても古いレンガ造りの2階建ての建物で廊下が放射状に延びていた。


 その建物を見ながら、とうとうこんな所まで来るようになってしまったと、もがいても、あがいても這い上がれない、底なし沼に沈んでいく気がした。

 

 

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