第17話 目玉の行方

僕は19時頃に家に着き、案の定両親からの追及があった。しかし、学校からの連絡は来ていなかったという事なので、適当な嘘をでっち上げた。


さっと夕飯を済ませた後、20時30分頃に僕は抜け出す様にして、もう一度外へ出る。


大切な身体一部を預かっていた、あの木箱が気掛かりだ。




「遅い! 遅い遅い遅いおっそーい! 何でもっと早く来ないの! 今何時だと思っているの!」


木箱は僕が来た事に気付いてか、蓋をばこばこいわせて唸っている。彼女の目玉を連れて歩いた事で、時間感覚を何となく思い出したのか、非常に待ち侘びていた様子だった。


「ごめんごめん。これでも、今日はいろいろあったんだよ。」


むぅーと声を上げて拗ねる木箱。膨れ上がりは流石にしないものの、木箱がミシミシと音を立てる。


僕は先週に木箱と出会ってから、ここへは、これで3度目の訪問になる。毎度蓋を開けて欲しい、という要望がある。出来るだけご機嫌を取る為に今回は直ぐに蓋を外す。


音を立てて木箱が開いた。


いつ見ても悪寒が走るような肉の塊が血の水槽に沈んでいる。しかし、人の形を保っていないから幾分かマシに見えてきた。


「それで、今どこにいるんだ。あの目玉の方は。」


「持って行かれちゃった……。」


「え、誰に?」


「あの転校生によ! 教室から出たと思えば、私を無理やり握りしめて」


一条さんが持っているのか……。


「旅人が寝てるのが悪いんだぞ!」


声を荒立てて彼女は言う。筋肉と思われる部位が収縮して動いたような気がする。


「勝手に飛び出して行くからこうなるんだ。」


「そんな事言ったって、暇だったんだから仕方ないでしょ! ばかばかばかばかー。」


彼女の大袈裟な拗ね方とは対照的に静かな肉の海が広がっている。ミシミシと箱の外側で音がする以外は、ほぼ置物に等しい。


「あんまり怒ると箱が壊れるぞ。」


少し嫌味っぽく言ってやると、メキッと嫌な音を響かせた。


「あ、うそうそ。ほんとまずいって……。」


慌てて僕は木箱に近寄った。

木箱は黙りを決め込んでいる。


たがしかし、魚の居ない水槽は寂しい。早いところ取り戻してやらないと。


「それで……、目玉は今、転校生の家の中ということか??」


「ちがうちがう! 私の身体を握りしめて、今でもずっと学校にいるよ」


「ただ、学校の何処にいるかまでは分からない。真っ暗な部屋に居るのは確かなんだけど。」


うーん、と僕は唸る。

やっぱりそうか。薄々気付いては居たけど、彼女はやっぱり2人存在する。どちらが本物かは知らないが、きっと目玉を持っているのは最初に会った方だ。


理科棟か教室棟か、何階にいるのかを尋ねても、連れ去られる際に振り回されて分からなかったらしい。


これは困った事になった。全ての教室を探して回るのは非常に骨が折れそうだ。そもそも、鍵が無いから教室の中までは探しに行けない。あくまで外から覗くだけに留まる。


今日は諦めるべきか……。

いや、この子はそれじゃ怒るだろうな。


「この子、幽霊だよね! どうして!? 転校早々死んじゃったの?」


「いや恐らく。……というか、ほぼ確実にあの転校生は2人存在する。だけど、心臓の鼓動が無いのはやっぱり幽霊だったからなのか。」


「え、ほんとに!?」と木箱が驚く。血の水は微かな波紋を生じさせた。


一条さんがずっと目玉を待っていてくれるとは限らない。最悪の場合、目玉を持ってどこか遠くに行かれる事だ。


僕は木箱に手を付いて考える。

ゆっくりと水面に沈む髪の束が揺れ動く。


やはり、今日行かないとダメか……。


「え? まって、心臓の鼓動ってどうやって測ったの?」


1番ネックだったのは、学校の中に侵入する方法だが、それについては解決する方法を思い出した。今日か、明日ならぎりぎり使用できる裏技だ。


「ねえ、旅人ー。」


愛らしい声で鳴く。

僕が身体を引くと、僕で作っていた影が離れ、木箱に街灯が晒される。赤と白の入り混じった筋繊維が輝いた。


「大丈夫、必ず回収しに行くから。」


「いや、うん。それは助かるけど、心臓の鼓動の件は? え、触ったの? 合法? 違法?」


「合法も違法も、あれは不可抗力だ。」


あれは回避不能だ。決して手を抜いていた訳ではない。彼女は不服そうな表情、をしているように僕はそう感じとった。


「ふーん、別にいいけどー。……それじゃあ、取り返してきて!」


「……後ね、ちゃんと転校生の事も助けてあげてよ。あの子ずっと泣いていたから。」


暗闇で独りぼっちの一条さんを自分と重ねたのだろう。僕は自分に枷を付けるように、しっかりと了承の意を示して、ここを後にした。




薄暗い学校が遠目に見える。非常灯で赤く灯された廊下が非常に気味の悪さを象徴しているが、この中に幽霊がいるのを最初から知っている僕は心構えが違う。木箱とも約束したことだし。


閉じた門を何なく乗り越えて、僕は校舎の裏へと回る。教室棟を下から見やってから中庭へと急ぐ。


月明かりに反射する黄色い線が数本暗闇に光っていた。


僕の割った硝子貼りのドアが、誰かの手によってテープが貼られていた。置きっぱなしにしていた硝子のバケツも片付けられている。


恐らく西華先生の仕業だ。


丁寧に鍵を保護する様に貼られているテープを外し、僕は手を入れて内側の鍵を開いた。


静寂に金切り音を立てて開いたドアをくぐり、僕は理科棟に入った。



街灯と月明かりによって照らされた外とは違い、明暗がはっきりとした廊下に出た。窓から日足の様に差し込む月明かりは、雲によって隠され、僕の勇気を削ぎ落としていく。


校舎に不法侵入した罪悪感と、幽霊の存在を自覚している事による更なる恐怖感が入り混じって僕に襲いかかる。


見回りの人が居たらどうしよう。それが幽霊だったらどうしよう。そういった思いが、僕の中に込み上げてくる。


自然と忍び足になって、廊下を歩く。一条さんの幽霊が何処に居るか分からない今、取り敢えず1階から調べる事にした。


長い廊下を順番に歩き、扉に付いている窓から室内を見る。そして耳を澄ます。


だが、一条さんの姿は無い。


教室の数は多く、昔の神委高校には多くの生徒が在籍していた事を物語っている。それを証拠にいくつかの教室は使用されておらず、埃を被っている。


されが余計に僕の恐怖を煽っていた。


1階に一条さんは居ないと暫定し、僕は2階3階へと移っていった。


理科棟へ侵入して数十分が経過した。気付いたら忍び足も罪悪感も無くなっており、堂々と音を立てて教室を覗いて行く。


居ない。どこにも居ない。夜間の涼しさの割に僕の額からは汗が滴り落ちる。


そもそも1階から3階のここまで確認したといっても、覗いただけであり見過ごしている可能性が非常に高い。


もう見つからない気がしてきた。


それでも暗い廊下をずんずんと歩み続ける。


絶望感に打ちひしがれそうになっている僕は、3階の最果てとも呼べる理科準備室の前に辿り着いた。


理科棟は取り敢えずここでまでだ。


この部屋に窓は一切無い。何度か入った事はあるが、細長い部屋に古い書物や、埃の被った器材が所狭しと置かれているだけだ。


木箱の言っていた環境に1番マッチするのはここだ。


扉に耳を付けて、中の様子を聴く。




「……スン。」




「うゥ……。」




聴こえた。

泣き疲れたように、鼻を啜っている。


胸を撫で下ろして、僕は扉にもたれ掛かる。

スライド式の扉は、予め設けられている遊びで揺れて、ガタッと音を出す。


「はっ! ……へ、だ、だれ?」


鼻声混じりだが、一条さんの声に間違い無い。


「旅人だ! 覚えているか? 昼間に会ったと思うが。」


「た、旅人さん!?」


立ち上がった勢いで床に放置されている瓶を揺らす。そんな音が扉の向こうから聴こえた。


「ここ開けてくれないか?」


彼女は床に置かれている物を蹴り飛ばしながら、扉の前まで来た。


ガチャっという音を立てて、扉が僅かに揺れ動く。


僕は扉を開いた。


その瞬間。


雲に隠れていたであろう月が顔を出した。一層輝きを増した月明かりが、窓から差し込み理科準備室を青白く照らす。


目玉を両手に握りしめて、眼の周りが赤みがかった一条朱音が立っていた。

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