第13話 指先の感触

僕と十女は保健室を後にして、箒とちりとり、そしてバケツを持って中庭の連絡通路を歩く。


十女とは他の生徒と同じで、小学校からの顔馴染みだ。同じクラスになった事も何度かあった。特に仲が良かった訳でもないし、喋った記憶は殆ど無いが、10年以上知り合いをしていると、どんな性格くらいかは知っている。


だから、一緒に歩いていても気不味いといった感情は湧かなかった。


太陽は高々と僕らを見下ろしており、生暖かい風が十女の短い髪を揺らした。


ーー十女ちゃんを宜しくね。


最後保健室の去り際で西華先生にそう託された。それは体調の悪い彼女を送り届けろということだと僕は結論付けた。


それにしても西華先生は結構スパルタな所がある。手負いの男子生徒と体調不良の女子生徒2人で危険な割れた硝子の後処理をさせるなんて。普通、教師がやるべきだ。


ただ生徒も少なければ、教師も少ない神委高校だから仕方がない。このまま放置するのも危ないし。


「これは酷いね。」


十女が引き気味に言う。


硝子貼りの扉は、そこに元々何も無かったかのように吹き抜けている。広範囲に広がった硝子の破片は、キラキラと宝石のように薄暗い廊下に佇み、一種の映像作品を作り出していた。一部の血の付いた硝子は、それはそれで味が出ている。


「一体何があったらこうなるの。」


僕は彼女に事の転末を説明した。


十女は、顎に手を当てて考える。

小麦色の健康的な体躯をした彼女は、どんな姿でもどんな場所でも芸術的な美しさを魅せた。


「普通そんな事ある? なんか変だけど、旅人が言うなら本当なんでしょうね。」


懐疑的な反応を示した彼女だが、嫌味な言い方だとは全く感じない。本当に言葉通りの意味だと思う。しかし、僕には少々引っ掛かる所があった。


「西華先生の頼みだから、ぱぱっとやっちゃお。」


彼女は率先して硝子が撒かれた廊下に入っていった。


僕が危険を伝えても冷めたように、「大丈夫じゃないかな」と言って聞かない。西華先生に任された手前、彼女ひとりに危険な真似はさせれない。


直ぐに続いて僕も硝子をかき集めた。


「なんか最近多いよね。」


「何が?」


ちりとりで集めた硝子をバケツに入れながら答える。

硝子のぶつかり合う音が心地良く感じた。


「こういうの。……こういうおかしな事故。」


「事故?」


「故意だったの?」


僕は手を挙げて否定する。


「私保健室通いだからさ。西華先生から色々聞くんだよ。」


そうなんだ、と一言返す。

事故といえば、さっきも救急車が来て生徒が運ばれていった。腕のあれはどう見ても重度な怪我だし、不自然といえばそうだ。


だって蛍光灯が腕に刺さる事なんて普通あり得ないだろう。


僕は考えた末、結局偶然だろうと決め付け、黙々と作業をする彼女を見た。


「体調は平気なのか?」


保健室に彼女が来た時からそうだが、見た目は至って健康だ。


「保健室通いなんだろ? なんだか悪いから後は僕がやっておくよ。」


遠くに散らばった硝子が残っている。それが1番大変だけど、元はと言えば僕が割ったような物だし、体調不良の十女にやってもらうのは気が引ける。


「そう、そうね。じゃあ、私は座ってる。」


座れるような場所は近くにはない。彼女は僕を背にするように、コンクリートで固められた連絡通路の地べたに座った。


お尻をべったりと付け、脚を開ける。身体を前に倒したり、横に倒したりと身体が折り曲がる。凄い柔軟性だ。陸上部ではよく行っている準備体操だろうか。


「ん、早くやりなよ。最近部活行けてないから、鈍らないようにやってるだけだよ。」


いつの間にか背中を捻って僕を見ていた。癖っ毛の前髪が斜めに垂れる。隠れていたおでこが少し開けて、彼女の綺麗な顔が見えた。


なんだかこそばゆい気持ちになって、直ぐに掃除に戻った。


数分間程度で掃除を終わらせて、連絡通路に戻る。脚を開いた状態の彼女は、身体を前屈させていた。


「ん、終わった? じゃあ、ちょっと手伝って。」


僕が残りの硝子をバケツに入れたのに気付いて振り向き、手招きをした。


細い指先に招かれるように、僕は近くに寄っていた。


「背中押してもらっていい?」


「え?」


「ほら、早く。」


言われるがまま、彼女の背中に触れた。なんだか魔法のように僕は自然と彼女の言いなりになっていた。


洗練された細くて、小さな背中。女性の身体はこんなにも小さい。


西華先生も見ない間に、大人びてはいたけど、違和感を覚える程小さく見えた。


高校生にもなると、男女で体格差がこんなにも違うなんて。


僕は戸惑いつつも指先に力を込める。肩甲骨が大きな凹凸となって、僕の親指にその感触を残した。


「もっと強く。」


僕は自身の体重も乗せて彼女の背中を押す。

するとぐんぐんと彼女の身体は沈み込み、終いには地面についてしまった。


「はあ、気持ちがいいね。有難う。次脚やって。」


「はい、ここ持って。外に、こうググッと。」


指定されたのは右脚。太腿は丁度黒のスパッツに覆われているが、その先は靴に届くまで小麦色の肌を露出させている。


どこを持てばいいかと、あたふたとしている僕を見て、

「別にセクハラだって叫んだりはしないよ。男は嫌いだけど、免疫はあるの。」


意味深な発言にモヤっとした気持ちになりながらも、意を決して彼女の脚に触れる。


左手で太腿を押さえ、右手で脹脛を外側に引く。程良く筋肉の付いた彼女の脚に指先が食い込む。つま先に掛けて綺麗に細くなる脚は、若干内側に沿っているのが分かった。


ぐいぐいと引くにつれて、彼女の脚は殆ど180度に開いた。開いたことで脚は伸ばされ、太腿を隠していたスパッツも引っ張られる。小麦色より少し色素の抜けた、一層透明感わ増した肌が露出する。


「ん、どうかした?」


と彼女に声を掛けられるまで見惚れてしまっていた。


しかし、もう一度それを見た。一瞬赤い何かが見えたから。彼女の決め細かい肌に全く毛穴なんて見える筈もないが、赤くなったそれは、毛穴の周囲でぶつぶつと内出血を起こしていた。


痣だ。


ーーお腹の腫れは未だ治っていないね。それどころか、新しいのも出来てるじゃない。


西華先生はそう言っていた。


部活で付いた痣だろうか。


隠すためにスパッツを履いている?


もしくは……。


彼女の身に何が起きているのか。今は知る善もない。

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