第12話 未熟な腹部
「ごめんなさい。」
「いいのよ。誰も悪くない不幸な事故なんだから。」
それから……。
気不味い沈黙が続く。喧嘩してそれきり会っていなくて、今日漸く仲直りしたみたいな、そんなもどかしい時間。
ただただ互いに思い詰めていただけだというのに。
僕の父親は、当時神委家当主だったトラの父親を交通事故によって殺してしまった。それは今から6年前、僕が中学に上がる直前の出来事だった。
神委家は、名前の通り地名を苗字としている。ただ地名が苗字になった訳ではない。神様に委ねられた選ばれし人である、初代神委が荒れ果てた地を開拓し繁栄させた事で、その名を取って神委市と呼ばれるようになった。約500年前だそうだ。
地元では歴史の時間によく教わる。ここまで繁栄出来たのは奇跡だと、歴史や地理の教師が手放しで褒めていたんだから、相当凄い人だったんだろう。
西華先生やトラ達は、その初代の子孫にあたる。先生はああ言っていたが、神委家は別に王様のように振る舞っている訳でも、そのように優遇されて訳でもない。多少老人から崇められている程度だ。しかし事故とはいえ死亡させてしまった事は直ぐに広まり、地元の新聞には大々的に取り上げられた。
それを境にトラは学校に来なくなり、西華先生は他県へ引っ越し、妹達は未だ小学校低学年だった。もちろん一家で誠心誠意謝罪して、形式上の責任は取った。が、僕は彼ら彼女らに直接会う事が出来なかった。当然恨まれていると思ったからだ。
僕は向き合う事もせず逃げ出した。
6年経った今、ずっと自分の中で封印していた話を他でも無い、ずっと謝りたかった彼女から持ちかけられた。
凄く嬉しかったし、凄く悲しかった。彼女もこんなに責任を感じていたなんて思いもしなかった。
僕が本来真っ先に謝罪すべき所を彼女に先を越された。
トラや、今中学3年生に上がったであろう双子の妹達には、ちゃんと会いに行って、ちゃんと謝ろう。僕はそう決心をした。
沈黙を破るように、背後のドアからノック音が鳴った。
コツコツと爪で鳴らす様な不気味な音が響く。
西華先生は慣れたように呼ぶ。
「はーい、入っていいよー。」
それを合図にゆっくりと扉が開く。
僕は振り向いて、図らずも助け舟となったその人物を確認する。
短目のスカートから太腿を隠したスパッツを覗かせる体育会系の女子生徒。ショートに切った髪を内側外側にも跳ねさせて、癖っ毛の前髪を手で払う。一見すると可愛らしい男の子にも見える。
社交的な見た目とは裏腹に、彼女に対する僕の印象は違った。
「あらあら、十女(とおめ)ちゃんじゃない。」
西華先生は、座って段々と猫背気味になっていた背中を伸ばした。
扉を持って、半身をまだ保健室の外側に出している十女は、僕を一瞥した。
「入ってもいい?」
「ええ、いいわよ。こっちにいらっしゃい。」
許可がおりると、十女はホッとしたように保健室に入室する。
陸上部に所属している彼女は、ブレの無い綺麗な歩き方で歩み寄る。一条さんとはまた違った魅力があり、僕は彼女を見つめていた。
ほんのりと小麦色の肌が、保健室の窓から差し込む太陽光に晒された。
「今日はどうかしたの?」
西華先生が訊く。
「ちょっと気持ちが悪くて。少し吐き気もあって……。」
お腹を摩りながら十女が答える。
「あら、それは大変ね。……えっとそうね。」
西華先生は何かを探した様子をして、閃いたように僕を見た。
「旅人君はもう大丈夫そうよね。そっちのベッドにでも座っていて。」
指で指された先には2つのベッドがあった。ベッドこそ質素なものの、汚れ、皺ひとつ無いシーツに綺麗に折り畳まれた布団が置かれていた。西華先生の几帳面さと真面目さが伺える。
座るのに若干の抵抗を持ちつつ、立っているのも申し訳ないので、僕は言われがままに座る。
僕の時と同じで、十女は西華先生と対面する形で診察が始まった。
「じゃあ、ちょっとごめんね。」
そう言った西華先生の手が十女の首筋に触れると、ぴくりと肩を震わす。
冷たい、と呟いた十女の言葉を無視して、西華先生は続ける。
「うーん、とりあえず体温測ろっか。」
結果は特に熱があるわけでもなく、季節の変わり目だろう、という結論に至った。後はちゃんとした病院で診てもらう様にとの事だ。
特別な何かをした訳でも無いが、体調不良の件は十女も納得を示して診察は終了した。
ように思えたが、西華先生は更に続けた。
「じゃ、服脱いで。ついでにお腹も診ておこっか。」
「うん。」
十女はさも当たり前のようにセーラー服を持ち上げる。シャツの上からでも分かる、きゅっと引き締まったお腹が伺えた。あまりの自然な流れについつい見惚れてしまったが、次の瞬間には僕に気が付いた十女が上着をおろした。
「旅人君、昔と違って影が薄くなったね。十女ちゃんもそう思うでしょう?」
「う、あ、はいそうですね。でも……」
「でも、私は今の旅人の方がいい。」
十女はおどおどと答えたが、照れた様子は無い。彼女にとっては特に他意は無い発言だったのだろう。
「あらあら。」
しかし西華先生には伝わらなかったようで、にやにやと僕をちら見する。
「ともあれ旅人君はあっち向いててね。」
当然僕はそれを受け入れ、後ろを向いた。
だが、僕はこれでも思春期であり、背後の神妙な事象に対して敏感になっていた。
十女が入室した扉を見ながら、注意深く耳を傾ける。
服が擦れて脱げる音、スカートに仕舞ったシャツが引っ張られる音、お腹に手が触れる音。
まるで見えているかのように僕の脳内では鮮明な映像が映し出される。チラッと見えたお腹の括れは特に。
「お腹の腫れは未だ治っていないね。それどころか、新しいのも出来てるじゃない。一生傷にならなきゃいいけどねー。」
「ごめんなさい。」
「十女ちゃん、前にも言ったけど何かあったら力になるからね。身体は大切にしてよ。」
「うん。」
歯切れの悪い十女の返事を最後に、診察は終了した。
「もういいわよ」と西華先生からの許しをもらって僕は振り向いた。
十女は俯いている。西華先生は、どうしたものか、と思い耽る。
西華先生の机に置いたデジタル時計は、午後1番の授業終了時刻の10分前を示していた。
「十女ちゃん。今日は休みなさい。」
意を決した様に言う。
「うん、分かった。」
十女はそれを受けいれる。
「旅人君も休みなさい。後廊下の硝子、十女ちゃんと一緒に掃除してきて。」
僕は脚を組んで大人の色気がある西華先生から、サボりの許可を頂いた。十女も了承したようで、僕に眼で合図を送った。
十女と西華先生には、ちょっとした信頼関係があるように感じられた。
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