第10話 手厚い看護

割れた硝子が地面に散らばり、太陽光が反射して暗い廊下をイルミネーションのように飾り付けた。


僕の目は眩み、光を遮る人物は黒い影となって現れた。


「ちょっと、何をやっているのですか?」


人影は近寄る。ジャリっと硝子の音に臆すること無く、僕に手を差し伸べる。


透き通った手が反射した太陽光に灯される。白く細い腕。それは僕の左腕を掴み、引っ張り上げた。


「大丈夫ですか? もう、血だらけじゃないですか。」


人影が一条朱音さんだと気付いたのは、その時だった。


蹴られた左頬がじくっと痛んだ。


僕は彼女の声につられて身体を見る。白いカッターシャツの袖を折り曲げていた事が災いした。シャツは絵の具を溢したように血塗られ、腕から鮮血が滴っている。


自分の傷に気付いた時には、ヒリヒリと身体が熱くなるのが分かった。


ううっと唸る。


「もう、早く行きますよ。」


呆れたように彼女が言うと、僕の腕を掴んで引っ張る。


彼女の綺麗な手に血が滲む。


ーー私や私の物に触らないで下さい。


彼女の言葉を思い出す。

思いの外それがトラウマとなっていた。


僕は掴まれた腕を引き払った。

彼女は怪訝そうに僕を見る。


「え、何? どうしたんです。」


「その……。」


はっきりと言う事も出来ず、口をつむぐ。


「ほら。」


白い手が差し出される。僕の目に映る逆光の彼女は、とても美しく見えた。


自然と僕は血の付いた手でそれを握った。


ひっぱられるようにして中庭に向かって歩く。


はっとして顔を教室棟2階に向ける。そこには誰も居ない。

あれは、気のせいだったのだろうか。


僕は顔を戻し、また彼女の後ろ姿を見た。ゆらゆらとまるで空気抵抗が無いみたい揺れる髪。太陽に照らされてより一層の艶を僕に見せた。よく見ると彼女の髪は茶色がかっている事にも気付いた。


中庭の奥へとどんどん連れて行かれ、着いた先には鉢植えが並んで脇に水道があった。


「さ、服脱いで。」


振り返り僕を見る。天然なのか、その双眸は発言に反して真剣だ。


固まる僕を見て、

「はあ、私に蹴られた位でそれですか。分かりました。私がやりますから、じっとしていて下さいよ。」


彼女が僕に近寄り前屈みとなる。彼女の服が少し垂れ、胸元が見えそうになって僕は慌てて手を出した。


パチンッと僕の腕は弾かれる。


「任せて下さい。まったくもう。」


呆れた口調で僕を睨む。


「あの、一条さん?」


「どうしました?」


返事をしながら僕のカッターシャツのボタンを外す。


「触るなって……そう言われた気がするんだけど。」


「この状況で何言ってるんですか!」


普通に怒られた。

そして、

「ごめんなさい。さっきはちょっと言い過ぎました。これでも反省しています。」


そう言ってボタンを外した彼女は、僕からシャツを取り上げる。

僕はなんだか胸の何処かに刺さった棘が抜けたようで安心した。


「刺さってますね。」


「え?」


彼女は僕の右手首を見て言う。


「ほら、小さな硝子が手首に。」


そう言われて確認すれと、たしかに右手首に光輝く硝子が見えた。


「抜きます。」


「え、いやそれは、ちょっと待っ……」


彼女は膝を地面について硝子を掴み上げ、僕の了承も待たずに引っこ抜く。


「いっ!!」


声を上げる。

体内から異物が抜ける独特な気持ち悪さがした。


引っこ抜かれた硝子は、僕を傷付ける為と思える様な鋭利な形状していた。


透明な硝子に、真っ赤な血が付着している。

傷口からは表面張力を超え、徐々に膨らみながらその形を崩して血が流れでる。


「あ、もしかして抜かない方がよかったやつかな。」


小さな声が聞いてとれた。

寒気は僕の汗と共に吹いた中庭の風が攫っていった。



彼女は水道の蛇口を開いて水を流す。


「はい、これで洗っといて。今保健室の先生呼んで来ますから。」


彼女は立ち上がると、教室棟の方に走り去っていった。


いつも嵐の様に去っていく。

そんな風に思いながら、僕は硝子で出来た血を洗い流した。


程なくして、神委高校に救急車が到着する。

これは僕のでは無かった。

2年の教室で蛍光灯が破損して生徒に突き刺さる事故が同時刻に起きていた。

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