第5章 - 2 行方(5)

 2 行方(5)




「もう、驚いちゃいましたよ! でも、打撲だけでホントによかった」

「こっちこそ驚いたって、あんなところで自分の名前を呼ばれるなんて、まさか思ってもいなかったからさ」

「もう! 少しは感謝してくださいよねえ〜……だいたい、わたしが来てなかったら、あれからどうするつもりだったんですか?」

「そうだなあ〜 やっぱり、あのままハイキングコースを行ってたかもしれない。今度は滑らないようにさ、慎重にね……」

 そんな返事に、千尋は呆れまくって翔太のことを睨み付けた。

 そこは旅館からすぐの居酒屋で、カウンターに四人掛けテーブルが二つだけっていう小さな店だ。

 あの時、「大丈夫だ、なんでもないから」と言う翔太をタクシーに乗せ、千尋は運転手に告げたのだった。

「ここから一番近い救急病院までお願いします」

 間髪入れずに否定の言葉を発する翔太に向けて、タクシーの運転手までがここぞとばかりに言ったのだ。

「そのコートの感じだと、お客さん、けっこう激しく打ち付けてるから、ちゃんと診てもらっておいた方がいいと思うよ、わたしもね」

 なんとも優しい言い回しだが、そんな言葉で翔太の方も渋々納得したようだった。

 そうして治療を受けて、二人が病院を出た時にはすでに陽が傾いている。

 病院の前にはタクシーがそのまま停車していて、運転手は出てきた二人にすかさず声を掛けたのだった。

「どうするね? 駅に行きなさるかね? 一泊するなら、安くていい旅館があるから紹介するけど」

 そんな声に、千尋が一気に飛び付いたのだ。

「あ、お願いします! その旅館、一泊いくらですか?」

 慌てて否定する翔太だったが、

「どうせ天野さん無職なんだし、わたしも明日はバイト、お休み貰っちゃったからぜんぜん平気〜」

「大学はどうするんだよ!」

「何言ってるんですか? もう十二月ですよ? 大学なんて自主休講でえす! それより、行きたいんでしょ? 荒井さんって人が見つかった場所……明日さ、朝早く起きて行ってみましょうよ〜」

 などという言葉に乗せられて、翔太も渋々受け入れる。

 そうして連れて行かれた小さな旅館は、古い建物の割には清潔感があっていい感じだ。

 さらに加えて、運転手が告げた言葉に千尋が飛び上がって喜んだのだ。

「ふた部屋でも、ひと部屋分の料金でやってやってよ」

 二人を出迎えた上品そうな女将にそう告げて、運転手はタクシーに乗って消え去った。

 素泊まりで六千円。もちろんふた部屋での値段だから、金のない二人にとっても有り難いこと〝この上無し〟だ。

 最初、千尋は驚くことを言っていた。

「ねえ、ひと部屋にしてもらってさ、三千円にしてくださいって言ったら、してくれるかな? どう思う?」

 本気とも、冗談ともつかない顔でそう声にしてから、目を丸くしている翔太を置き去りにして女将のところへ行こうとする。

 さらに慌てて制止する翔太に向かって、

「あ、天野さん、何か、よからぬことを想像しちゃってます? わたしなら、ぜんぜん大丈夫なのに〜」

 などと言い、本気で残念そうな顔をした。

 とにかく、そんなこんなで泊まることになったが、いきなりだから夕食はない。そこで女将に教えてもらってやってきたのが、歩いて十分ほどの居酒屋だった。

 奥にある四人掛けテーブルに二人は腰掛け、生ビールと熱燗をそれぞれ頼む。ツマミは野菜炒めと湯豆腐で、それとは別に、千尋はとんかつ定食まで注文したのだ。

「わたし、貯金ばっちり下ろしてきたから、今日の払いは任せてね」

 そう言ってから、千尋はさらにメニューへ目を向ける。

 そうして翔太の熱燗が届いたところで乾杯し、千尋はジョッキをテーブルに置くなりハイキングコースのことを声にした。

「だいたいさあ、ハイキングコースに行くなんて、わたし聞いてなかったよ」

 そこからどんどん機嫌が悪くなり、終いに口を突き出し翔太のことを睨み付けた。

 朝一番の授業が休校となり、居てもたってもいられなくなった千尋は、思い切って翔太のことを追いかけてきた。

「藤木くんに教えてたでしょ? お友達の実家の住所。それをね、わたしもしっかりメモってたのよ……」

 なのにハイキングコースなんかに入られちゃったら、翔太に会える可能性はゼロだったろうと、

「明日は、わたしもご一緒しますからね」

 ご機嫌斜めって顔はそのままに、そう言って千尋はプイっと横を向いたのだ。

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