第1章  -   5 天野翔太(藤木達哉)(2)

 5 天野翔太(藤木達哉)(2)

 



 考えれば考えるほど落ち込んで、自分のことのように腹が立って堪らない。

 ところが吉崎涼が帰った後すぐ、新たな衝撃が達哉を襲う。病室に担当医が現れて、いきなり彼に告げたのだった。

「実は、大事なお話があります」

 そう言いながら、彼は達哉の顔をジッと見つめた。そして軽く咳払いをしてから、小さな声で話し始めた。

「本来なら先に、ご家族の方へご説明申し上げるんですが……」

 達哉がはっきり覚えているのは、正直この辺までだった。

 こんな台詞を耳にして、平然としていられるほど鈍感じゃないし、ここはまさしく病院で、数時間前には意識不明だったのだ。 

 そうして運命の瞬間がやってきた。

「残念ですが、天野さんの胃は、末期癌に冒されています……」

 ――癌? 俺が、癌だって……?

 思わず耳を疑った。

 それからすぐに、

 ――ああ、この身体のことか……。

 などと思うが、ひと呼吸あとにはおんなじことなんだと気が付いた。

 さらに最悪だったのは、あっちこっちに転移していて、すでに手術が出来ない状態だということだ。

 そこから彼の思考能力は一気にダウンしてしまう。

 それからも、なんだかんだと言われたが、彼がはっきり覚えているのはたった一つのことだけなのだ。

「普通に生活できるのは、あと三ヶ月か……半年はきっと、厳しいかと思います」

 つまり半年経った頃には入院していて、それからはきっと、地獄の日々が続くことになるのだろう。

 そうしてしばらくは、いろんな意味で苦しんだ。

 どうしていきなり老人で、さらに死んじゃうってのはあまりに最悪過ぎるだろう。

 何をどう考えても意味不明だし、

 ――俺はあっちの世界で、そんなにひどいことをしたっていうのか?

 だからお仕置きだってことにしても、あまりに〝情け〟がなさ過ぎる。

十七歳から六十一ってのも酷いのに、そこからいきなり死の宣告ってのは神も仏のないってくらいだ。

 そうして落ち込んだまま退院となり、達哉は一週間後に再び病院を訪れた。

治療は一切行わない。

 抗がん剤や放射線治療、そしてさらには免疫療法も必要ないと、彼は医師に向かって言い切ったのだ。

 幸い天野翔太には貯金があって、半年や一年なら普通に暮らすことができそうだった。そんなことを退院後に知って、達哉は考えに考えてそんな結論に至っていた。

 借金を払い終わって、きっと我慢に我慢を重ねて溜め込んだ金だ。

 もちろん残す相手もいないから、気兼ねすることなく使い切れる。

 きっと治療をはじめてしまえば、普通の生活などできなくなってしまうのだ。副作用なんかもあるだろうし、身体が弱って自由が効かなくなるのは目に見えている。

 ――だったら、

 ――どうせ死んでしまうなら、

 ――それまで自由気ままに生きてやろう!

 不思議なくらいスパッと決まって、彼はそんな気持ちを医師へと告げた。さらに吉崎涼を呼び出して、仕事を辞めさせて欲しいと告げるのだった。

 当然彼は大反対で、理由を聞くまで受け入れられない……と言い張った。

 それでも許して欲しいと懸命に告げて、達哉はただただ頭を下げる。  

 そうしてようやく吉崎涼も諦めた。気が変わったら、いつでもいいから連絡が欲しいと言い残し、悲しそうな顔して車に乗り込み帰っていった。

 それからは、朝から晩まで、したいことをして一日を過ごした。

 朝起きて、好きなところを散歩する。

 それからずいぶん遅い朝食を取り、だいたいは本屋に出掛けて気に入った本を買う。

 最初の一週間は、本ばかり読んで一日が終わった。きっと本来の達哉であれば、こんなこと絶対したいなどとは思わない。

 天野翔太としての記憶が戻ったせいか、日に日に達哉だった頃の記憶が薄れ、ふと気付けばただただ天野翔太を生きている。そんなことにふと気付いても、その頃の彼はそれほどショックを受けないでいられた。

 癌だと知って、ひと月近くが経った頃だ。

 いつものように散歩していて、いきなり何かにつまずいた。

 身体がフワッと前のめりになって、

 ――まずい!

 以前の入院騒ぎが頭を過り、慌てふためいて足を必死に動かしたのだ。

 それがかえって大失敗。踏み出そうとした足が地べたをこすって、そのまま頭から突っ込んでしまった。

 思わず「うわっ」と声を上げ、左の頬と地べたがガツンとブツかる。

 あまりの痛みにしばらくうずくまったまま動くことができない。

 そうしてようやく、彼が立ち上がろうと決意した時だ。

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