第1章 -  2 平成三十年(4)

 2 平成三十年(4)

 


「俺も、翔太さんと知り合って、たった三年ですから、なんでも知ってるってわけじゃないけど、それで、よければ……」

 二人の出会いは出先の現場で、吉崎涼は吉崎工業社長の息子だ。

 建築とは無関係の会社で働いていた彼は、父親の病気によって呼び戻される。

「三年の実務経験さえ終わらせれば、チャチャっと主任技術者にもなれるし、そうすりゃ現場監督なんて楽勝だって、俺、あの頃、マジでそう思ってたんですよ……」

 ところが現場で働く作業員と、彼は全く以って上手くいかない。

「実際、見下してましたもん……どうせ馬鹿ばっかだって、みんなのこと……」

 そんな気持ちは、あっという間に現場全体に知れ渡ってしまうのだ。

 さらに偉そうな態度とは裏腹に、吉崎の指示、行動には的外れなことが多々あった。作業員からの指摘にも、素直に認めるどころか「勝手にしろ」という態度。

 そうして当然、彼の言うことなど誰もがちゃんと聞かなくなって、工事はどんどん遅れていくのだ。

「そんな時に、翔太さんに俺、助けてもらったんです」

 翔太は作業員一人一人を説得して回り、もちろん吉崎涼へも叱咤した。

「翔太さんって、背は高いけどガリガリでしょ? 俺、学生時代ボクシングやってたからさ、チョロいもんだって思っちゃって……」

 結果、吉崎涼は一発のパンチも浴びせられない。

「俺、慌てちゃってさ、近くにあったスコップを振り上げたんだ。そしたらさ、いきなり翔太さんの一発でダウンですよ。で、気が付いたら親父が側に立ってて、翔太さんから電話があったって、俺のせいで、翔太さんが辞めちまうって言いやがる。だから、どうしてだよって聞いたら、社長の息子をぶん殴って、それでも働いてたら、みんなにも〝示し〟が付かないだろうって、翔太さんがさ、そう言ったって……まったく、実際、クソって思ったよ。でもさ、完全に……俺の負け、ですよね」

 吉崎涼は翔太のアパートまでやってきて、頭を下げて頼み込んだ。

「もちろん、俺の気持ちもあったけど、まあ、みんながさ、怒っちゃって、翔太さんを辞めさせるんなら、みんなも辞めるって、親父のところに怒鳴り込んできて、大騒ぎだったんですよ」

 そんなことから少しずつ、吉崎涼も作業員らと打ち解けて、特に翔太とは、驚くくらいに仲良くなった。

「でも、こんなのも、ぜんぜん覚えてないんですか?」

 そんなことを言いながら、吉崎は妙に嬉しそうな顔をする。

 しかしこんなにガリガリで、ボクシング経験者を一発で気絶させる。なんとも驚くような話だが、いったいどんな人生を送ってきたのか?

「俺って、どんな人生を、送ってきたんだろうか?」

「そう、なんですよね……翔太さん、うちに勤める前のこと、ぜんぜん話してくれないからな、よくね、みんなと話すんですよ。きっと、何人か殺してるんじゃないかって」

 それできっと、三年前くらいまで務所暮らしだった。

「まあ、それは冗談ですけどね。でもホント、不思議っすよ。翔太さん頭いいし、すっげえ人間としても素晴らしいのに、どうしてこんな……あ、まあ、そう新しくないアパートにさ、いい歳こいて、ねえ……」

 いい歳こいて、こんなボロアパートに一人暮らし。

 きっとこうなった理由はしっかり存在するのだろうし、それは人に話したくないような過去なのかも知れない。

 ただとにかく、彼のお陰で〝とりあえず〟のことは知ることができた。

「明日、またクルマで来ますから。もし行けるようなら、現場まで一緒に行きましょう」

 そう言ってくれた吉崎だったが、もちろん仕事に行く気などさらさらなかった。

 だからその翌日、彼が現れるよりぜんぜん前に、シャツとジーンズに着替えてアパートを出た。

 事故があってこうなったんだから、もう一度、同じように事故に遭いさえすればきっと戻れる。達哉の出した結論はこうで、これがダメだったら――などと考えたところで始まらないのだ。

 あの日、八雲の家から走ったから、事故に遭ったのは都立大学駅と自由が丘の中間辺りだ。天野翔太のアパートは東京の外れにあって、駅周りの発展から取り残されたような多摩川沿いの住宅街にある。

 いくら未来だって、三千円あればタクシーでだって足りるだろうが、それでも彼は大事をとって電車に乗ろうと駅に向かった。

 そこで目にした光景こそが、まさに初めて目にする未来の姿だ。

 彼は何度も息を呑み、目を点にして驚いた。

 ――凄え……。

 なんて言葉が口から漏れて、駅周りに広がる光景すべてに目を奪われる。

 ――ここが、〝二子玉川園〟かよ!?

 何度か来たことのある東急線の駅が、まるで別物になっていた。デカさがまったく比較にならず、視界に収まりきらないビルがいくつも並び、連なっている。

 さらに改札口までやってきて、駅名までが変わっているのに気が付いた。

 ――〝二子玉川〟って、まさか、遊園地がなくなったってこと……なのか?

 本当に、自分は未来に来てしまった。

 そんな事実を「これでもか!」ってくらいに突き付けられて、達哉の心は情けないほど縮こまってしまうのだ。

 達哉の時代にだって券売機は自動だったし、自動改札機もあるにはあった。

 電車ももちろん石炭じゃない。ドアだってちゃんと自動で開閉してた。あの頃ちょうど新玉川線が開通したばかりで、ステンレス製の車両も記憶の中にちゃんとある。

 ところが何から何までぜんぜん違った。

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