第1章 - 2 平成三十年(2)

 2 平成三十年(2)


 ――結局、俺が見てたのは、ぼんやり色が付いていたって、とこだよな……。

 そんなふうに思うくらいに色鮮やかで鮮明で、まるで実際にそこに人がいるかのように見えるのだった。

 それから達哉は意を決し、表の世界を見てみようと思う。部屋にあったジーンズを履いて、ランニングシャツのままアパートの外へ出ていった。

 あの頃、もちろんコンクリートの家だってあったし、アメリカ映画に出てくるような洒落た建物だって少しはあった。

 しかしだいたいは木造の茶色い家で、屋根は圧倒的に瓦作りだ。

 ところが驚くくらいに景色が違った。家々の違いも然ることながら、なんといってもコンクリートが多すぎる。

 大きなマンションだけじゃなく、道路も電信柱もコンクリートでできている。土剥き出しの道なんて、いったいどこにあるのかっていう印象なのだ。

 そんな中、少し行ったところに小さな公園を発見する。

 ――まさか、機械仕掛けのブランコが、あったりするのか?

 あまりに色鮮やかなジャングルジムがはっきり見えて、これも見慣れたものとはぜんぜん違った。それでもまさか、地面がコンクリートってことはないだろうと、彼はそのまま公園入り口に立ったのだ。

 するとやっぱり地面は土で、ブランコも派手な塗装以外は普通と変わりがないようだ。そんな公園の中央で、小さな男の子がたった一人でサッカーボールを蹴っている。きっと小学校に上がったばかりくらいだろう。それ以外は人っ子一人見当たらない。

 もしも今日が平日ならば、子供が遊んでなくたって不思議はない。太陽もそう高くはないし、少なくとも昼を過ぎてるってことはない筈だ。

 ――今日は、何曜日なんだろう?

 そう考えるままに、彼は男の子の方へ歩いていった。

 そして満面の笑みを浮かべて、何曜日なのって聞いてみる――と、思っていたのだが、事はそう単純ではなかったらしい。

 気付いた男の子がボールを追うのをやめて、ジッとこちらを向いている。

 だから良かれと思って、彼は歩く速度を早めたのだった。

待たせちゃ悪い――単純にそんなことを考えて、小走りですぐそばまで近付いた。それから「ヨッ!」という感じで手を振り上げて、さっきの質問を思い浮かべた時だった。

 男の子の視線が宙を彷徨い、顔がいきなりクシャクシャになった。

「えっ」と思った次の瞬間、「ママーママー」と声を限りに叫び始める。

 彼は慌てて駆け寄って、今にも泣き出しそうな子供の前にしゃがみ込んだ。

「どうしたの? どっか痛い?」

 そう声にして、男の子の頭に〝いい子いい子〟をしようとしたのだ。

 するとその時、いきなり誰かが視界の中に飛び込んできた。差し出したその手が振り払われて、あっという間に誰かが男の子を抱き上げる。そのまま数メートルくらい彼から離れ、そこでやっとその人物は顔を達哉に向けたのだ。

 その顔は明らかに恐怖に怯え、達哉を睨み付けながらひと言だけ声にする。それから子供を力一杯抱き締めたまま、公園入り口へと一目散に駆け出した。

 彼はポツンと残されたボールを見つめ、告げられた言葉を心に何度も思うのだ。

 ――うちの子に、触らないでください。

 どこかで見ていた母親が、我が子が誘拐されるとでも思ったか?

 ――うちの子に、触らないでください。

 それとも、浮浪者か何かと決めつけて、病原菌でも感染ると怖がったのか?

 どっちであろうとだ。

 ――そりゃ、そうだよな……。

 素足にサンダルで、妙にダボダボのくたびれ切ったジーンズに、まさに下着って感じの伸びきったランニングシャツ姿。そんなのだけだって「えっ」って感じだろうに、彼はガリガリの老人で、異様に身長だけが〝ばか高い〟のだ。

 あれだけショックだった筈なのに……、

 ――くそっ!

 男の子に近付いた時にはそんな姿のことなど忘れ去っていた。

 きっと十七歳の達哉であれば、あの子もあそこまで怖がらないだろうし、母親だってあんな言い方しなかった筈だ。

 ――くそっ! くそっ! くそっ!

 腹が立って仕方がなかった。

 ――こんなことなら、事故で死んだ方がマシだったじゃないか!?

そんなことばかり考えながら、彼はアパートへの道をわき目も振らずに歩き続けた。

 そして部屋に入った途端、涙が溢れ出て止まらなくなった。

 ――どうしてなんだ!? どうして、こんなことに、なったんだ!?

 希望が微塵も見出せず、息する意味さえ疑わしい。

「誰か、教えてくれ……頼む! 頼むから……」

 誰に言うでもなくそう声にして、彼はせんべい布団に突っ伏し、泣いた。

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