第1章 - 1 藤木達哉(3)
1 藤木達哉(3)
何があったって涼しい顔だった父親が、喫煙くらいで怒り出し、それに加えてまさみの顔だ。瞳なんかわからないくらいに真っ赤っかに染まって、
――あれは……血が出てったってことだよ、な……?
まるでゾンビ映画に出てくる死人のような眼球で、どう見たって〝大ごと〟だって印象だった。
「くそっ!」
誰に言うでもなくそう呟いて、彼はそこでようやく周りの風景に目を向けた。
するといきなり目の前だった。
目の前にある電信柱のちょっと先……二、三メートル前方に黒い塊があるのが見える。
よくよく見れば、コートか何かを着込んだ男が背中を丸めて、地べたに這いつくばっている。それは普段の彼ならなんて事ない……横目で眺める程度の光景なのだ。
たまたま目にしたってだけで、こんな光景はきっとどこにだって転がっている。達哉はいつものようにそう思い、男から視線を外して立ち上がる。それからゆっくり歩き出し、すぐに彼の視界から男の姿も消え失せた。
ところが十メートルも歩いたところで、達哉の歩みがピタッと止まった。
T字路の少し手前で立ち止まり、彼はいきなり振り返るのだ。それから元来た道をゆっくり戻り、うずくまる男の前で立ち止まる。
暫し男のことをじっと見つめて、達哉はようやく声にした。
「おい、どうしたんだよ……どっか、痛えのか?」
しかし男からの返事はまるでなく、達哉は男の背中をチョコンと押してみる。
すると触れた背中がビクッと動いた。それから目覚めたばかりのように伸びをして、男は「ふわ〜」と大あくびをしてみせる。そうしてゆっくり上半身が起き上がり、男が達哉を見上げてなんとも言えない笑顔を向けた。
その瞬間、達哉は呆気に取られた顔をする。
――こいつ! どっかで見たことがある!
と思うが早いか、あっという間にしまい込まれた記憶が思い浮かんだ。
薄汚れたコートに白毛混じりの長い髪。そしてなんと言っても、ゲジゲジ眉毛の中央にある大きなホクロは忘れようたって忘れられない。
「お前、あの時のジジイ……」
「ほう、覚えていてくれましたか?」
「こんなところで何してるんだ? くそっ、なんでお前が……」
――ここにいるんだよ!!
そう思うと同時に、彼は正座する老人に向けて、足を思いっきり蹴り込もうとする。
その瞬間、老人の顔が目に入った。目を細め、眩しそうに達哉を見上げるその顔が、微かに笑っていたのである。
その時不意に、まさみの顔が思い浮かんだ。
まるで似つかぬシワクチャの顔に母親の笑顔が重なって、彼の足先は地面を擦ったところで動きを止めた。
――もしも、蹴り上げたせいで大怪我したら?
突然、血だらけの眼球を思い出し、なぜかそんな恐怖に襲われたのだ。
すると一気にムカつきの感情が消え失せる。
「お前なんかな、とっとと、どこかで死んじまえって!」
それでも捨て台詞のようにそう言い放ち、達哉はいきなり踵を返して走り出す。
一気にT字路まで走り切って、そのまま右の道へとカーブを切った時だった。
その瞬間、まるで爆音のような音が響き渡った。
「え?」
と思って反対を向くと、すぐ目の前にまで大きなダンプが迫っている。
――ああ、クラクションだったんだ
妙に冷静にそう思え、そんなのと同時にブレーキ音が耳に届いた。
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