第1章 - 1 藤木達哉(2)

1 藤木達哉(2)


 そうしてさらに、事件は起きる。

 停学騒ぎからひと月とちょっと、それは五月の二十日、真夏とも思えるような暑い日のことだった。

 例によって友人のアパートからの帰り道、達哉は自宅を見通せる一本道に入ったところで、いつもと違う光景に気が付いた。

 夜中の二時だ。まさに丑三つ時って時刻だから、普段なら家中が真っ暗になっている。

 なのに、明かりが点いていた。

 門灯どころか、一階すべての窓からしっかり照明が漏れている。

 ――消し忘れ? あのお袋が?

 それとも起きているのか? などと思ったところで、

 ――どっちにしたって、俺には関係ねえさ……。

 そこから両手をポケットに突っ込んで、達哉はまっすぐ家に向かって歩き続けた。

 暴力事件を起こして停学になっても、声を荒げなかった両親だ。特に父、達郎に至っては、ひと言だって声さえ掛けてこなかった。

 一方母、まさみは学校に呼び出され、それなりに〝オロオロ〟していたが、だからと言って「どうしてくれ」とは言ってはこない。

 ――結局あれだ……俺なんて、どうでもいいって、ことなんだよな……。

 なんて感情が、達哉の気持ちをさらに両親から遠ざけていた。

 だから照明が点いていようと、そのまま誰が寝ていようが関係ない。絶対の自信を持ってそう思っていたところが、すぐに大間違いだったと気付かされた。

 ――なんだよ! これってどうなってる!?

 達哉はその光景に立ち止まり、心の叫びが思わず声になりそうになる。

 テレビでも見ようとリビングに入って、ソファーに座る二つの影が目に入った。

 それが両親の姿だとすぐに知れ、驚きの声をあげそうになった次の瞬間、視線の先に、絶対あってはならないものが置かれているのに気が付いた。

 どうして?――と思って数秒……あっという間に事の顛末が想像できた。

 ソファーの前にあるテーブルに、見覚えのある紙巻き煙草とウイスキーのボトルが置かれている。煙草の方は貰い物だが、ウイスキーについてはちゃんと自分で買ったものだ。

 それがリビングにあるってことは、誰かが勝手に達哉の部屋から持ち出したってことになる。なんでだよ!――と、一瞬頭に血が昇ったが、

 ――どっちにしたって、関係ねえさ……。

 すぐにどうでもいいと思い直して、彼はそのままテーブル目指して歩いていった。

 それからさっさと煙草とウイスキーを手に取って、両親に背を向け、さっさと二階へ向かおうとした時だった。

「ちょっと待て……」

 久しぶりに聞く父親の声に、自分でも驚くくらいにドキッとしていた。

「黙ってないで、何か言ったらどうなんだ?」

 次の声でなんとか平静を取り戻し、背を向けたまま彼はやっぱり思うのだ。

 ――お前には、関係ねえだろうよ!

 その次の瞬間、背中にガツンと衝撃があった。

思わず彼はよろめいて、壁に右手をついてなんとか体勢を整える。と同時に、左っ側で抱えていたウイスキーのボトルが滑り落ち、床に激突してドシンと大きな音を立てた。

「何すんだよ!」

「何すんだじゃないだろう! そう言いたいのはこっちの方だぞ!」

 達郎がすぐ後ろに立っていて、振り向いた達哉の目の前にその顔がある。

「だからなんだって言ってんだよ! 痛えなあ! 背中叩いてんじゃねえよ!」

「おまえは……ホント、どうしちまったんだ……」

「どうもこうもねえだろう? 俺が何を吸おうが、何を飲もうが、お宅らには関係ねえだろうよ! くそっ! バットがくしゃくしゃになっちまったじゃねえか!」

「高校生のくせして煙草なんか吸って! 関係ないわけないだろうが! 馬鹿なことを言うな! 」

「ああそうだよ! 俺は馬鹿だよ、そんなことも知らねえのか!? なんだったら、こんな馬鹿野郎な息子はよ、とっとと死んで、いなくなってやろうかあ!?」

 そう言い終わった時突然、達郎の表情が大きく揺れた。

 その顔から怒りの色がスッと消えて、まるで無表情って印象になる。

 だから達哉は思ったのだった。

 ――ちょろい、もんだな……。

 そうして、自ら握りつぶしてしまった〝ゴールデンバット〟を、あろうことか……心配そうにしているまさみ目掛けて投げ付けるのだ。

「こんなもん、もう吸えねえよ!」

 そんな捨て台詞を吐きながら、彼は手のひらにあった塊を力一杯投げつける。

その直前、まさみの視線は達郎の方を向いていた。ほんのチラッと見たせいで、彼女は飛んできた塊に気づかない。

 達哉の声に驚いて、視線を向けたところに直撃だった。

「痛い!」

 まさみがくぐもった声を出し、両手を顔に当てて、うずくまる。

「お前! お母さんに何やってるんだ!」

「うるせい! てめえらが悪いんだろうが!!」

 達哉は達郎を睨みつけ、無表情だった達郎の顔にも怒りの色が舞い戻る。

 ここで更なる一撃でもあれば、達哉のイラつきも少しは違っていたのだろう。

 しかし達哉の怒号を無視するように、達郎はさっさとまさみの側へと駆け寄った。

「どこだ、どこに当たったんだ? いいから、いいから見せてみろ!」

 そんな父親の声を聞きながら、達哉はウイスキーのボトルを拾い上げ、その時チラッとまゆみの方に目を向けた。

 ――嘘……だろ?

 たかが煙草で、どうしてそんなことになる!? そう思ったところで、目の前にある光景はどう考えたって現実だ。

 まさみが覆っていた両手を離し、その顔を達郎へと向けていた。その右目が真っ赤になって、涙袋までが赤く染まって見えるのだ。

 一瞬、喉がクーっと鳴って、身体がズシンと沈み込むような感じになった。

 達哉はそんな状態を振り切るように、右手拳を振り上げて、目の前にある壁に向かって打ち付ける。

 ボコン!――と、物凄い音がした。

 不思議なくらい簡単に、壁に握り拳が減り込んでしまった。

 それからリビングを飛び出して、まるで逃げ出すように玄関から表に飛び出した。「くそっ!」だの「ばかやろう」だのと呟きながら、達哉は暗い夜道をただただ走った。

 ところが五分も走ったところで息も絶え絶えとなり、膝に両手をついて立ち止まってしまうのだ。そのまま地べたに座り込み、そこでやっとさっきの出来事に思いが及んだ。

 ――煙草くらいで、なんであんなのことになるんだよ!

 我ながら、驚くくらいに困惑していた。

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