ソロハッピーバースデー

みこ

ソロハッピーバースデー

 今まで、誰かに気を使うように生きてきた。両親、姉、友人。

 みんながやって欲しいだろうことを、先回りしてやっておく。

 それで、みんなが満足した。

 そのために、自分の何かを手離すこともあった。……けれど、手離したもの?それってなんだっただろう。


 街を歩く。

 くにゃっとしたパンプス。小さなバッグ。パステルカラーのトレーナー。

 どれも、母のお気に入りで買ったものだ。自分で買うときも母が気に入りそうかどうかを考えて買う。こういう服を着れば、母は「あら、いいわね」と言ってくれる。気に入らないものを買ったときは何も言ってこないけれど、あの視線は苦手。何か思うことがあるなら、口に出して言ってくれればいいのに。

 だから、私は母の気にいる服を着る。

 けれど、今日、そんな必要もなくなった。

 一人暮らしを始めたのだ。

 行きたい大学がたまたま家から遠かった。そんな理由で、ひとりの時間を手に入れた私。

 そういうわけで、自分を謳歌するために街へ出てきたのだけれど。

 さて、困ったな。

 私は、何が好きだったんだっけ。

 まず、自分の好みの服を買おうと思ったのだけれど、思い浮かばず、母の好みとは正反対の派手な服の店に行ってみるのがやっとだった。

「う~ん……」

 いくつか着てみたけれど、私の好みとも違うか……。

 ふらふらと街を歩く。何処へともなく。

 一人になってみても、欲しいものなんてなかった。

 夕方も近くなり、別になにもいらないか、と思い始めた頃、映画館の前を通りすぎた。その映画館の前を通るのは、実は今日4回目だ。特に何も思わなかったのだけれど、その時だけは、なぜだか目についた。

 なんだか物悲しそうな女の子が佇む写真。

 隣の青春恋愛映画と比べると、明るさが全然違う。

 今までは友人達の流行りに合わせてああいう映画ばかり見ていた。でも、今日は違う。

 勢いで、その映画館へ入った。

 コーラとホットドッグを買い、物悲しい女の子の映画を見ることにした。

 ぶいー……と音がして、周りが暗くなる。

 目の前に、画面だけが浮かび上がる。その、没入感。

 こんな気持ちは初めてだ。

 父も母も姉も友人も気にしなくていい時間。目の前の出来事に、集中してもいい時間。

 なんだか新鮮だった。

 映画はやはりポスターに描かれていた女の子が主役の、少し薄暗い画面の映画だった。日本語どころか英語ですらない言葉を話し、その女の子は青春の中での自分の悩み事を発見する。

 物語の後半。街が見下ろせ利階段の上に、その女の子が立つシーンがあった。

 あ。

 あ、と思う。

 あのスカート、すごく素敵だ。

 その主人公の女の子は、白い街並みの中で、一人赤いスカートをはいていた。

 その長いスカートが、女の子の足先へストンと下りている。その姿が、とても素敵だと感じたのだ。

 その感情を自覚した瞬間、私はポロポロと涙をこぼしていた。

 やだ。全然泣くシーンなんかじゃないのに。

 けれど、私は確かにそう感じたのだ。そして、そう感じたのは確かに私だった。

 慌てて小さなタオルを出し、目元を拭う。

 思い出した。

 私は小さい頃、あんな赤色が好きだったのだ。どうして今まで忘れていたんだろう。

 気づけば、そんな大事なことまで忘れてしまっていた。けれど、今日、私は突然思い出した。

 私は確かに、そこで自分の一部を取り戻した。

 自分というものは取り戻せるんだ……。

 手離してしまえばそれきりのものだと思っていた。きっと持っているものも、他人よりずっと少ないと、そう思っていた。

 自分なんてなくても困ることなんてないと、そんな風に考えていた。

 けれど取り戻せた一つが、これほど大切に思える。

 私はまた、映画の画面をじっと見つめて、ポロポロと涙をこぼした。

 私の自我が生まれた。今日私は、私という誰かになった。

 そう、今日は私のハッピーバースデー。

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ソロハッピーバースデー みこ @mikoto_chan

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