第17話 ただでは転ばない





 買い物をして家に帰ると、鍵が閉まっておりヴィルヘルムやリツェアの魔力も感じない。という事は、2人も何処かに出かけているのだろう。


 鍵を開け、中に入りキッチンに向かう。そして、俺は買って来た材料をアイテムボックスから取り出しキッチンに並べる。


「良し」


 元世界にいた頃から、俺は料理が趣味だった。最近は、お腹を満たす事を第一に考えて料理をしていたが、今日は久しぶりにお菓子を作ってみる予定だ。


「はぁー」


 生の新鮮な牛乳や卵は、なかなか売っておらず、探すのに苦労した。


 着ていた黒いコートをアイテムボックスにしまい、手を洗い、調理器具の確認を済ませれば早速料理開始だ。

 まず、バターを常温で柔らかくして砂糖を入れて良く混ぜ合わせる。更に、卵黄を入れ混ぜる。

 その間に、薄力粉を振るっておく。そして、バターの中に薄力粉と牛乳を入れ棒状に纏め冷凍庫で冷やす。


 久しぶりだったが、上手く出来るかな。

 味はプレーン、アーモンドを砕き入れた2種類だ。


 冷やしたら、今度は一口サイズに切り分け後はオーブンで焼く。更に、俺はその間にもう一品スイーツを作る。


「……」


 無駄な音がない部屋の中、鍋の中から聞こえる音と漂って来る甘い香り。


「うん、良い感じた」


 鍋の中とオーブンから漂う甘い匂いが絡み合い、至福の香りを奏でている。

 楽しい時間というのはあっという間に過ぎるものだ。


「ふー、楽しかった!」


 バタバタと廊下を歩くリツェアが、キッチンへとやって来た。両手には、紙袋を持っている。

 どうやら、俺と同じで早速買い物をして来たようだが、多過ぎないか。


「良い匂い、何を作ってるの?」

「……出来てからのお楽しみだ」


 その時、頭の中に直接メデルの声が届いた。


『主、家族への挨拶は済ませました。召喚して頂いてもよろしいですか?』

「……分かった」


 その後、召喚したメデルと散歩から帰って来たヴィルヘルムを混ぜだ3名が、お菓子が出来るのを今か今かと待ち構えている。

 俺は1人静かに料理がしたかったんだが。


 露骨に、大きめの溜め息を吐いた。



 焼き上がったクッキー更に並べ、3人の元に持って行く。ソファーの前のテーブルには、4人分の紅茶が注がれ準備万端といった所だ。


「味は保証しないぞ」

「いえいえ、とても美味しそうです!」


 目をキラキラさせ、涎が垂れかけているメデル。


「まぁ、食べようか」

「「「頂きます!!」」」


 早速、3人がクッキーを頬張り、俺もクッキーを頬張る。サクッとした軽い食感。噛む度に、口に広がる甘い香りとバターの香り。


 うん、美味い。


「美味しい!!これが、クッキーですか、主!」

「あ、ああ、普通のクッキーだ」


 何をそんなに感動してるだ……。


 メデルは、次々とクッキーを口に詰め込んでいる。


「かなり美味しいけど」

「この絶妙な甘さとアーモンドの香りが堪らないな!」


 ヴィルヘルムもメデルに負けじと、クッキーを食べている。

 多めに作って保存しておくつもりだったが、今日で無くなりそうだな。


 その時、家の玄関がノックされて、3人の手が止まる。


「足音は3人だ」

「私が行って参ります」

「一応、私も行くわ」


 そう言ってリツェアとメデルは部屋を出て、玄関に向かった。

 飲んでいた紅茶のカップを置いた俺に、ヴィルヘルムが話しかけて来る。


「雪は誰だと思う?」

「顔見知りだよ」


 ヴィルヘルムは俺の言葉を聞き、少し考えたようだが俺が、「顔見知り」と言った事と入口から聞こえた声に、直ぐに訪問者が誰だか分かったようだ。


「何のようだろうな?」

「さぁな」

「貴殿にも分からないのか」

「俺を何だと思ってるんだ」

「トウヤだろ」


 俺は『元勇者』とでも言われると思っていたのだが、『トウヤ』と言われ少しだけ温かい何かが内から湧き上がった。

 正直、最近、自分が分からなくなっている。


 今の俺は、嘗ての勇者おれを否定している生き方だ。

 だが、どうしても心の何処かで勇者おれを否定しきれずにいる。

 寧ろ、正反対の感情を持っているのかもしれない。


 俺は、一体何なんだ。

 異世界人、勇者、救世主、先導者、それとも、魔人なのか。


 この世界に来て何度か考えたが、結局答えが出た事は一度もない。


「雪、どうした?」


 ヴィルヘルムの声で思考が止まる。


「……何でもない」


 それっきりヴィルヘルムとの間に会話はなく、近づいて来る複数の足音を待っていた。

 扉が開けられ、そこには興味津々に部屋を見回すカシム達が立っている。そして、3人と同じように、目の前に置いたクッキーを凄い勢いで食べていた。負けじとメデルたちもクッキーに群がる。


「それで、何のようだ?」


 俺の言葉で、全員が食べる手を止める。

 メデルは、ハムスターのように頬が膨れたままだ。


「それも何だが……。まずは、改めて感謝する」


 カシム達は、揃って俺たちに頭を下げた。


「おめぇ等がいなかったら、俺達は今頃くたばってた。助かった、ありがとう!」


 事実、俺達がいなければカシム達のパーティーは全滅していただろう。


「そこで、お願いがあってだな……」

「お願い、ですか?」


 カシムたちは一度深呼吸をする。


「どうか、俺たちを鍛えてくれねぇか!」

「私、弱い。だから、強くなりたい」

「皆さん、お願いしますぅ」


 ヴィルヘルム達の視線が俺に集まる。どうやら、今回の事は俺に一任するらしい。


「……分かった。ただし、俺たちの依頼にも付き合って貰う。それでも良いか?」


 あの大量の薬草採取の依頼には、人手が多くて困る事はないだろう。それに、一応金級冒険者だ。そこまで、足を引っ張られる事もない筈だ。


「ああ!よろしく頼む」

「よろしく」

「ありがとうございますぅ」


 3人は、俺からの条件を即答で了承した。

 その後の話し合いで、カシム達のパーティーもその日毎にくじ引きをして、パーティーを2組に分ける事に決まる。

 指導者を固定する方法も提案したが、それぞれから意見が欲しいと言われたので、カシム達の意見を尊重する事にした。


「分かった」


 確かに、一理あると俺は思い、その日の話し合いは早々に終了した。

 その頃には、多めに焼いた筈のクッキーの皿は空になっていた。


「言い忘れていたが、この依頼は雇い主のフォンティーヌ商会からの依頼だから報酬は出ないぞ?」

「報酬はいらねぇよ……てか、何つった?」

「フォンティーヌ商会」


 商会の名前を聞いて、カシムが明らかに動揺しているように見える。隣の2人も似たような感じだ。


「何で、そんな大商会から大量の依頼が入ってんだよ!!」

「俺達が、フォンティーヌ商会の専属冒険者だからだ」

「「「はぁぁあああ!!?」」」




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