第21話 我が手に奇跡



 

「……」


 暗闇の中で深い獣の呼吸音が聞こえる。それと同時に、世界中の何者よりも強い生命力と他を凌駕する威圧感を感じた。

 油断すれば、俺ですら本能的に足が震えてしまう。

 その場から動かず、暫く立ち尽くしていると目が暗闇に慣れて来た。


 いや、周りが月の光に照らされるように明るくなったのだ。


「……久しぶりだな」


 俺の視線の先には、天からの月明かりを浴び銀色に煌めく体毛を持つ巨大な狼が眠っていた。その銀色の体毛に覆われた四肢や胴体には黒い鎖が巻きついている。


 だが、それが逆にこの狼の存在感を高め神秘的な威圧感さえ放っているように感じる。

 この狼は、世界に3体しか存在しない〈神獣〉と呼ばれる獣だ。


 多くが謎に包まれる〈神獣〉だが、お伽話では〈神獣〉の力は神すら凌駕すると言われている。


 未だ眠っている狼だが、俺が一歩を踏み出そうとすると大きな欠伸をした。


「ふぁぁ〜〜〜〜」


 どうやら目覚めていたようだ。


「随分と長い間眠っていたな。リン」


 眠そうな半目だったリンの目は、俺に向けられる頃には鋭く細まっていた。


「いつ起きようが私の勝手だ」


 不機嫌そうな表情から発せられる強暴性が宿ったこの声だけで、心の弱い者は意識を手放してしまうだろう。


「それに、危うく死にかけていた様ではないか」


 値踏みするかの様な視線を受けて、先程までの記憶が蘇る。

 俺は、明日羽の放った業火を相殺出来ず……負けたのか。


「相変わらず、弱いな貴様は」

「……」


 実際に明日羽に負けている俺は、リンの言葉を否定出来ない。

 するとリンは、鋭い牙の生え揃った口をわざと俺に近付け喋り出しだ。


「お前の記憶は、私と一部共有している。貧弱な貴様は、哀れで滑稽であったぞ」


 凶暴な顔付きになったが、おそらく俺への嘲笑の笑みを浮かべているのだろう。


「……それで、俺はどうなった?」

「奴の火は、私が破壊してやった。貴様もしぶとく生きているぞ」


 どうやら、まだ俺は死んではいない。

 戦いがどうなったかは分からないが、戻って明日羽と戦って俺は勝てるのか。それに、最後に明日羽の放った業火は常軌を逸していた。【暴食王】の〝暴食解放グラトニー〟で相殺すら出来ず、リンが介入しなければ間違いなく、俺は死んでいた。


「あの業火。あれも、魔法なのか?」


 リンは、蔑む様な視線を俺へと向けた。


「地を這う蟲如きが、焔の真名を知った所で無駄だ」

「それは、負け犬に教える必要は無いって事か?」


 そんな俺の言葉すら、リンは嘲笑う。


「牙を捨てた貴様が、獣である犬を名乗るか!」


 リンの考えている事は、昔から分からなかった。

 いや、世界が創造された時より生きている〈神獣〉の考える事など分かる訳がない。


「貴様は、獣ではない。単なる哀れな敗者だ」

「……確かに、俺は負けた。だから、否定はしない」


 俺が、『敗者』である事を認めると、リンはつまらなそうに尻尾を振るう。


「ふぅ。まぁ、私にとって、今の貴様などどうでも良い。私は、強き獣意外に興味がない」


 目覚めが迫り、意識が薄れて行く。


「……良いか、契約者トウヤ。貴様は、牙を砕かれたのではない。自ら、牙を捨てたのだ」





□□□□□



 明日羽の業火が直撃する瞬間、リンの力によって破壊された業火の爆発によって姿が隠れ、暴走し続ける【暴食王】の力で、魔力と生命力が著しく低下した事で、偶然にも死を装う事が出来ていた様だ。




メデルは俺の姿を見て、泣き出してしまった。


「良がっだ、よがったですぅー!」


 俺の服に縋り付く様にして泣く、メデルを引き剥がすのを諦めてリツェアとヴィルヘルムを見る。

 リツェアは応急処置が済んでいたが、顔色が悪く、無理をしているのが一目で分かった。ヴィルヘルムに至っては相当な重症だ。ただ斬られた訳ではなく、内側から焼かれたのだ。軽症である筈がない。


「ヴィルヘルム。お前の体は、内側から焼かれている。このまま回復魔法をかけ続けても、延命にしかならない。……おそらく、助かる見込みはない」


 俺は、ヴィルヘルムの目を見ながらはっきりとそう告げる。


 きっと、ヴィルヘルムが怨嗟や失望を混ぜた罵声を俺に向かってぶつけて来ると予想していた。

 無理矢理着いて来たのはこいつらだが、人とはその程度の弱い生き物だ。自分の中の負の感情、世の不条理を他人にぶつけて自分を正当化したり、嘆き、他人を引きずり落とす事ばかり考える屑ばかりだ。だから、こいつも同じだと思っていた。


「……そうか。なら、殺してくれ」

「…………何?」

「殺してくれ、と言ったんだ」


 ヴィルヘルムの覚悟を決めた視線が、俺を捉え逃そうとしない。メデルは口元を隠し、嗚咽を堪えている。リツェアも、血が滲む程に拳を握り締めていた。


「これ以上お前達に、迷惑はかけたくない。それに、魔物に食い殺されるのも勘弁したいのでな。だから、せめて貴殿に頼みたい」


 俺は、ヴィルヘルムの事が理解出来なかった。

 

「…………俺に着いて来た事を後悔してないのか?」


 俺の言葉にヴィルヘルムは「何を今更」と応える。その表情は、何故か、晴れやかだった。


 何故だ、理解出来ない。


「貴殿と共に戦った事に後悔はない。こうなったのは、俺が弱いからだ。……だが、1つ後悔するとすれば、これから先、貴殿と旅が出来ない事だな」


 冗談を言った後の様に笑うヴィルヘルムに、俺は戸惑っていた。


 どうしてだ?どうして、リツェアもヴィルヘルムも俺の為に傷付いたのにそんな顔をする。

 ヴィルヘルムは、人間を怨んでいると言っていた。大切な何かを奪われた筈だ。それなのに、どうしてヴィルヘルムは、俺を憎まない。俺が救えない事を、俺が無力である事を。




 ヴィルヘルムの覚悟を決めた目を見ていると、嘗ての元仲間との会話を思い出した。



『なぁ、俺だって戦えるんだ。そんな命懸けで俺の盾になる必要なんてないんだぞ?』


 俺の言葉に、盾と剣を構えて素振りをする凛々しい女性が振り返った。


『ふむ、確かにな。だが、トウヤは人間の希望であり勇者なのだ。もしもの事があっては困る』

『……そうか』


 結局、自分は守る側ではなく、守られる側なのだと思った。


『しかし、それは建前だ』

『え?』

『私が、護りたいから護っているんだ。それ以上の理由など必要ない。だから、私の前では決してお前を殺させはしない!』

『でも、俺が救おうとしているのは……』

『どれ程困難な道であろうと、私がトウヤを支え、我が盾と剣が、苦難の道を切り拓く』

『……』

『我が騎士の誇りと、我が希望である勇者の元に誓いを立てよう』


 そう笑顔で俺に誓いを立てた、嘗ての元仲間の女性の姿が目の前のヴィルヘルムと重なった。


 何で、今更こんな事を思い出すんだ。


 目を閉じ、数度一定の呼吸を繰り返す。

 一瞬湧き上がった何かは、充分な時間を掛け俺の凍てつく様な心の中に消える。


「さぁ、頼む」


 目を開き、再度ヴィルヘルムを見る。

 焼き斬られた所為で出血の量が少ないが、鼻腔に入り込む肉を焼いた後の特有の臭いと焦げた様な臭い。それが、俺の記憶を更に蘇らさせる。


 焼き払われた人、村、街、国。

 手を伸ばし1人でも多くの命を救おうとした筈の俺の腕の中で、失われていく多くの儚い命。死の瞬間まで家族を呼ぶ少女、仇を取ってくれと遺言を残し死んだ青年、黒焦げとなった我が子の前で泣き崩れる女性、復讐を誓う人々。他にも数多の悲鳴と怒声、助けを懇願する人々の光景が、何度も繰り返し俺の脳内に映し出される。


 俺が捨てた筈の感情が沸き上がる。


『…………救え』


 懐かしく、最も身近に感じる強い意志の籠った声に背中を押され、俺は医神の力を発動する。そして、俺ではない、誰かの心が俺の口を開かせる。

 だが、声は小さく、この場の俺以外の誰にも聞こえる事はなかった。


「死なせない」


 俺から放たれる翡翠色の様な幻想的な光。光は、波動となり命を優しく包み込む。


「〝医神の波動アスクレーピオス〟」


 その効果は絶大だった。


 塞がらなかった傷が一瞬で塞がり、高熱を持って焼き斬られた傷口にホタルの様な薄緑色の光の群れが集い、失われた筈の組織が再生して行く。

 まるで、時間が巻き戻って行く様な光景と神秘的な奇跡の光を呆然と眺める2人に対して、力の根源を知っているメデルだけは涙を流し、医神への祈りを捧げていた。


「これがアスクレティア様と主の光。何て美しく、慈愛の籠った魔力」







 全ての生命を慈しみ、優しく抱擁する母の様な温かみを持つ光。それを天界で見ていた白衣を纏った少女ーーアスクレティアもまた、慈愛を込めた視線を水面に映し出される少年に向けていた。


「やっぱり、とーくんはこうでなくちゃね」


 そう言って、映し出される少年に向かって微笑んだ。




□□□□□




 傷が完治した2人と向かい合う様にして立つ。メデルは、俺より半歩程後ろの位置で立っている。


「今回の事で分かっただろう?俺と一緒にいる事は危険だ」

「そう見たいね」

「だから…」

「俺と一緒には来るな、か?」


  正直、この2人がどうなっても良い。

 

 だが、あの時の様に過去の事を思い出す感覚を味わうのが嫌なだけだ。


「悪いが、俺は貴殿と共に行くぞ」

「私も借りを全部返すまでは、何処までも着いて行くわ」

「……どうして其処までする?」


 2人の事が理解出来ない。


「だから言ったでしょ。助けて貰ってばかりは、嫌なのよ」

「俺は、弱い。誇りも何もかも失った。だが、貴殿と共に旅をする事で、何かを得られそうなんだ!」


 2人の本気を俺は悟る。


「俺が生きてると分かれば、また襲われるぞ?」


 俺の言葉に、2人は真剣な表情で返す。


「次は負けないわ」

「それまでに、強くなれば良い」


 どちらも前向きに決意を示す。それどころか、死にかけた筈なのに、明日羽に怯える素振りすら見せない。

 2人を説得出来る様な言葉を俺は持っていない事を理解した。メデルに目配せすると、力強く頷いてくれた。


「……はぁ、好きにしろ」


 ホッとしたのか、目の前の2人は露骨に表情を緩める。


「それじゃ、改めて自己紹介をしましょう」


 メデルが一歩前に出て俺と並ぶ。


「俺は、トウヤ・イチノセ。100年前に召喚された勇者だ」

「主は、《神導の勇者》と呼ばれていたんですよ」

「っ、貴殿があの伝説の勇者だと!?だが、それなら色々納得が行くな」

「……やっぱり」


 少なからず、2人は俺が100年前に『魔人』と呼ばれた勇者である事に驚いていた。


「名前は知っていると思いますから省きますね。医神に使え、トウヤ様に忠誠を誓いし白蛇の聖獣、メデルです。今後ともよろしくお願いします」


 そう言うなり、光に包まれたメデルは白蛇の姿に戻り、頭を下げる。そして、直ぐに幼女の姿に戻った。それを見た2人の反応が、俺の時よりも大きかった事が若干引っかかった。


 だが、聖獣は一生かかってもお目にかかれるか分からない程の存在なため、しょうがないのかもしれない。


 結局4人で旅を再開する。それぞれ思いを胸に、決意と覚悟を秘め歩き出す。


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