第二章 頂(いただき)の洋館
第六話 Cup 'n Saucer
「僕に何を求めるのだろうね、このお嬢さんは」
誰かの声がして、里佳は目を覚ました。見覚えのない椅子に横向きにして預けられた体を動かしてみた里佳だったが、思っていたよりも自然に動かせることに気づく。
里佳が勢いよくまぶたを開くと、目の前には二人の男が映った。
「誰……?」
かさついた声が思いのほか小さく漏れた。里佳は自分の喉が渇ききっていることを認識する。
里佳には上体を起こして二人の男を観察する余裕があった。
目の前にいるすらりと背の高い男のほうは、薄いベージュのウェーブがかった長髪を低い位置で束ねている。ややつり目だがまつげが長く、整った顔立ちだ。その顔は女性のように、いや女性以上に
その男が身にまとうヴィクトリア
もう一方の男は里佳の右手にいて、中肉中背より少し背が高いくらいだった。シンプルな黒いハイネックのトップスを腕まくりしている。左腕には、透明感のない紫色に白のマーブル模様をした
ハイネックには黒のパンツを合わせており、ざく切りの髪まで黒かった。髪は無造作極まりない切られ方をしており、整えるということにまるで興味がないようだ。きつねのように細くて瞳の小さい顔にはまだ少年のなごりがあるが、それ以外に特に目立つ点はない。強いて言えば、不愛想だ。
「僕は
華美なほうの男が言った。その声は甘く透き通っており、聞く者に柔和な印象を伝える。里佳はいまだ索田をまともに見ることができない。
「は、はい。はじめまして……。
里佳には置かれた状況が分からないので、こう返事するしかなかった。それに、里佳にとって索田はあまりにも美麗すぎた。
里佳は一言だけ話すことができたものの、どうしても正面の索田の顔を見ることはできず、中肉中背の和登が立つ奥を見る。
里佳は少しだけ首を上げた。高い天井もやはり象牙色をしていたが、なんらかの模様が施されているようだった。里佳のちょうど上ではクリスタルのシャンデリアがこうこうと輝いている。
自分の背中、この部屋の奥には
次に里佳は真下を見る。深いロイヤルブルーのカーペットが、大理石のローテーブルや里佳のいる
「櫛江里佳さん、か……」
里佳が現在時刻に
「和登くん、里佳ちゃんのために飲み物を持ってきてもらえるかな」
「分かりました。櫛江さん、温かい紅茶でも構いませんか」
里佳に全身黒いほうの男が話しかける。里佳は今はじめて和登が話すのを聞いたが、見た目に反して丁寧な物言いなのだな、と思った。
「えっと、はい。構いません」
「ストレート、レモン、ミルク、いかがなさいますか」
「それなら、ミルクで……」
里佳にはまだ状況が飲めない。索田は目の前で優雅に座っているし(ただ椅子に腰かけているだけである)、和登は軽く頭を下げるとどこかへ行ってしまった。何が起こっているのか分からないまま索田を見ると、里佳に向かって爽やかなスマイルをくれた。里佳は首から上に熱がこみあげてくるのに気づいたが、視線をそらしてとりあえず気になっていることを問う。
「あ、あの、索田さん、でしたっけ。ここはいったいどこなんでしょう」
索田は里佳がたどたどしく話すのを笑顔で見届け、答えてくれた。
「ここは僕の屋敷の応接間だよ。君は屋敷の外、ちょうどその玄関の外側で倒れていたのさ」
索田は里佳の背後を指さす。里佳がその指の先を見ると、荘厳な造りの大きな扉があった。こげ茶色のいかにも重そうなそれは、今は固く閉ざされている。その先がどうなっているのか、どこへ続いているのか、里佳には心当たりがなかった。
「それは失礼しました……なんだか記憶が混濁しているみたいで。私はさっきまで大学の一限を受けてて……」
索田はくすくす笑って言う。
「まさか。もうとっくに夜も更けているよ。君を見つけたのは四時間ほど前だが、ずっと眠っていてやっと意識が戻ったところなのだよ。僕にも何がなんだか分からないよ」
「ええっ。四時間前って、朝どころか日も暮れてるじゃないですか」
そうだよ、と索田は目を細める。その通りだ、君は何を言っているのだ、とでも言いたいのだろうか。里佳はなんとなく馬鹿にされているような気がしてうつむいた。
しかたがないから状況を頭のなかで整理しようと里佳が決めたとき、和登が戻ってきた。白いエプロンを身につけ、二人分の豪華なティーセット一式をトレーに乗せて運んでくる。
「お待たせしました」
和登はカップとソーサーを二人の前にセットするとそばにポットを置き、最後に角砂糖が入れられた陶器を中央に置いた。里佳が一連の動作をただ眺めていると、和登がポットを傾けて里佳のカップに紅茶を注いでくれた。向かい側では索田が自分の分をカップに流し込んでいる。ミルクティーの香りがテーブルのあたりに一斉に立ち込めてきた。
「ロイヤルミルクティーにはしなかったんだね」
索田が和登に話しかける。
「はい。しばらく寝ていて喉が渇いているでしょうし、おそらく胃も空なのでコクのあるものは避けるべきかと」
「君は本当にやさしいな。もっと振る舞いに出したらいいのに」
「……俺は別に、やさしいなどと言われる人間では……」
里佳は紅茶に口をつけず、ぼうっと二人のやりとりを見ていた。これは夢なのだろうか、時代をさかのぼってしまったのだろうか、などといろいろ考えている。索田が一口飲むのを見て、里佳も同じように一口だけ飲んだ。
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