第四話  朝の隙間時間

 里佳は朝に弱い。


 しかし、昨日は早めに眠ってしまっていたこともあって今朝四時半に自然と目が覚めたのには、夜型という自負のある本人もさすがに驚いた。


 里佳は今、部屋のノートパソコンで小説投稿サイトを開いている。楽しみにとっておいた『プリンケプス』の最新三話を読むためだ。そして、あわよくばさらにもう一話更新されていないかと期待もしている。サイトにログインし、ブックマークに追加してある『プリンケプス』をクリックする。


 結局、さらなる一話は更新されていなかった。この作者は気まぐれにしか更新しないし、明日更新するとSNSで宣言しても、遅れることがかなりの頻度である。仕方ない、と里佳は温めておいた三話を読むことにした。


 ――――……


 ――――――…………


 里佳はついに、配信されているうちの最後の話に到達してしまった。



===


 草原に包まれていた不死川ふしかわが目を覚ますと、近くで不規則にぷち、ぷち、と音がしていた。不思議に思った不死川が原因を突き止めるのに、そう時間はかからなかった。

 よっこいせ、と上体を起こしてみると、不死川のすぐそばに音の正体があった。子どもが不死川に背を向けてかがんでいる。あまりにも小さな身体に、小さな靴。不死川は尻をきながら口を開いた。


「お前さん、何してんふぁ……」

 春眠暁を覚えずとはよく言ったものである。不死川の語尾はほとんどあくびといってよいものになった。

「きれいな おはなだけ、あつめてる」

「ほお、それまたどうして」

 子どもは花をちぎるのをやめ、体を不死川へ向けた。


 三、四歳くらいだろうか。身長が一メートルあるかないかくらいだ。透き通るような肌に自然な巻き髪は天使を連想させる。性別は顔を見ただけでは分からないが、サスペンダー付きの半ズボンやシャツの胸からのぞくポケットチーフから、おそらく少年なのではないかと不死川は思った。


「お前、何番目だ?」

 不死川は相変わらず体を掻いているが、少年だと断定して質問を投げかけた。

「ぼくには ばんごうなんて、ないよ。だってぼく、いらない子だもの」

 少年は不死川など見向きもせず答える。

「……そっか、悪かったな。お前、技量は?」

 不死川は立ち上がると、尻や背中につきまとう草を払いながら続ける。

「いや、やっぱいいや。複数マルチであることに変わりねーよな」

「うん。でも とってもよわいんだよ。だからここに 一人ですまなきゃ いけないんだって」


 不死川はうなずきながら、少年がゆっくり話すことを聞いていた。少年が全部話し終えると、少年の前へ来て言う。

「そっか。坊主にもいろいろあるんだな」

 不死川は少年に右手を差し出した。


「ワシは不死川ふしかわはじめ。はじめにいでいーよ。よろしくな」


===



「いたたた」


 里佳は左肩を回しながらため息をついた。昨夜、風呂から出て以来海斗に発見されるまで、長いこと机に突っ伏したまま眠っていたため、体中が悲鳴をあげている。英語の課題を今日に繰り越したことを思い出した。

「とりあえず、ツイッターでも見よう」


 スマートフォンを手に取った里佳は、手際よくアプリを起動する。里佳はSNSというものが苦手だった。他人の顔色をうかがいがちな里佳にとっては、インターネット上であろうがコミュニケーションはコミュニケーションだ。あまりに真面目に取り組んでしまいそうなので、疲れる前に、とあらかじめ交流しないことにしている。そのためプロフィールで「ROM専」とうたい、鍵付きのアカウントにした。そうすれば里佳は誰からも見られないのだ。


 長いことSNSに夢中になっていたが、一階では海斗が朝食を用意してくれていたため、桃色のパーカーにストレートデニムを合わせてダイニングへ下りた。

 ご飯と豚汁の残りと鮭の朝食を終えると、洗面所へ移動し髪をとかして化粧をはじめる。


 今日もやはり目元を詩音を意識して、はねた目尻に仕上げていく。たれ目かつ里佳の化粧技術では、どうしても一度下がっていって最後にはね上がる目尻にしかならなかったが、里佳はそれでも満足だった。眉を薄い茶色に塗り替え、ほほと唇にはわずかに紅をさす。

 その後里佳は半歩下がって鏡を見た。自分の肩よりわずかに長い髪を見て、今日こそ違った髪型にしようかとしばし悩む。しかし考えても決められなかったし、いつもと違う髪型で通学して人目を引かないか不安になったため、普段通り下ろしたままにした。

 海斗に行ってきますを言い、少し早めだが学校へと向かう。


 里佳の家から大学までは、名鉄めいてつ電車に一駅分だけ乗ってから地下鉄で五駅も移動すれば着く。家から最寄り駅も、最寄り駅から大学も、ともに徒歩一分だ。そのため多少寝坊しても問題はない。しかし里佳は普段兄に無理やり起こしてもらい、早めに大学へ着いて教室で本を読むのをルーティンにしていた。



 里佳は今日も学生のなかで一番乗りに大学に着くと、まっすぐ三階の三〇一と書かれた講義室へ入っていった。四十人分の机と椅子がちょうどよく収まるほどの大きさをしたこの部屋では、あと四十分で一限目の『日本文学演習』が開講される。


 里佳は窓際の一番後ろの席に座るとタブレットを開き、今日触れられるであろう作品を見ておくことにした。

 ホーム画面に追加してあった青空文庫に手際よくアクセスする。おそらく今回は『月夜のけだもの』が扱われるだろうと予想し、里佳はサイト内を検索しはじめた。



 ――――・・・・・・


 

「童話だったんだ」

 とても短い話だった。里佳は十分程度で読み終わってしまった。


「じゃあコミカライズ版でも読もうかな」

 里佳はタブレットを閉じると、嬉々としてスマートフォンのロックを解除した。


 里佳は本当に『プリンケプス』に夢中だった。詩音が「IF世界的なやつ好きって言ってたから」と勧めてくれなければ、このような埋もれている無名の小説に気づくことはできなかった。

 詩音の勧めるものはなんでも正解だと思っているわけではなかったが、この作品は里佳のツボを見事に突いたのだった。話自体も里佳にとっては面白かったが、何より好きなキャラクターができたことで更新が待ち遠しくなっていた。


 里佳の「推し」である不死川ふしかわは、小説自体の主人公である。

 彼にも特殊技量アビリティがあるものの、その実態はまだはっきりと分からない。本人さえも分かっていないのだ。こういった特殊技量アビリティなのである。

 そして、なんと彼は平安後期から生きていることになっており、作者は彼を通して千年弱の時代を書いている。とはいってもテンポは決して遅くなく、小噺こばなしが集まったものに近かった。


 里佳は自分が最後にハートを押した履歴から、漫画の続きを見つけて読みはじめる。描かれていたのはちょうど不死川が荒れているシーンだ。舞台は鎌倉時代。


「うう、漫画になるとグロテスクだなあ」

 そう言いながらも、里佳の視線は画面から外れない。里佳は『プリンケプス』の中でも、この時代の不死川の話がとりわけ好きなのだ。ただ、感情を抑えられない不死川を見ては口元をほころばせる自分は、はたから見たら相当気持ちが悪いだろうと里佳も理解している。


 SNS上の漫画を投稿二つ分読み終え、里佳は視線を室内へ戻す。すでにほとんどの学生が各々好きな席についていた。

 『プリンケプス』は好きだったが、里佳には一つしっくりこない点があった。不死川の一人称である。不死川は最初の頃こそ「僕」、「俺」などと言うが、最近では「ワシ」ばかり多用する。

 不死川が平安後期に誕生したとなると、まず「まろ」は使わないだろう。里佳はなんとなく、「まろ」の時代はそれまでに終わっていると思っている。というか里佳は不死川にそんな一人称を使ってほしくなかった。不死川という人物像とかけ離れているからだ。それを作者も分かっているのか、あるいはその時代の資料が少ないのか、不死川に「まろ」などと言わせないし、「わ」とか「それがし」とも言わせない。

 要するに現代語訳しました、といえば説明がつく風になっている。世に出るプロの小説家たちもそうやって自分の言葉で古い時代を書くことが多いのだから、そこに違和感はない。しかしそれでも「ワシ」とは言わせるのだ。


 里佳は、不死川にはなんとなく「おれ」を使ってほしいと思った。ひらがなの「おれ」である。そのほうがかっこいい、と里佳は頭の中で自論を繰り広げた。

 とはいえこれは人様が書いたものであって、里佳は一読者に過ぎないのだから、この不満点をあえて詩音に話すつもりなどはない。まして作者に宛ててメッセージを送る気だってない。作品の内容に干渉するつもりはないのだ。


 里佳が誰とも話さず『プリンケプス』のことを悶々もんもんと考えているうちに、講義開始を伝えるチャイムが鳴った。


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