第12話:決着

 雷志の魔法は誰の目にも映らない。だからこそ奇怪、相手が突然倒れたり痛がったりする光景は見ている者でさえも混乱と恐怖へと陥れていく。


(ホンマに、ラノベとかの主役らしくないなぁ……)


 雷志がそう愚痴るのは、無論己の魔法に対してである。

 闇属性の魔法――その性質は相手に強烈な幻を見せ、精神を攻撃するというもの。先の書庫にてエルトルージェが口にしていたとおりの力が雷志本来の力であった。

 この事実に気付いたのは、書庫でのやり取りの後から実はそう時間が経っていない。


(これってステータスっちゅうやつなんかな……)


 頭の中に思い浮かべれば、テキストが表示される――俗に言うステータスというものである。

 体力や魔力などなど、細々こまごまとした情報が記載されているが雷志の関心がそちらに向くことはない。

 ステータスなどというものは、所詮は飾りものにすぎない。

 数値が高かろうとも、結局勝敗を決するのは経験や技術だ。基本情報だけで有頂天となり踊ろされているようであれば、まず生きていけない。

 彼が注視すべきは技能――力の扱い方ただそれのみ。

 『幻術』――これは対象者の精神に大きく作用させる。精神と肉体はどちらも欠かせてはならない。例え肉体が無傷であろうと、精神こころが崩壊してしまえば事実上死んだのも同じだ。


「ほら、どないしたんや? お前が散々馬鹿にしくさってた兄貴は、まだ一撃すらもろてへんで?」

「な、舐めるなぁぁぁぁぁぁぁ!」


 憤慨したアルスが杖を構えた。


「トニトルスサギタ!」

「うおっとと⁉」


 先端より小さな稲妻が放たれた。咄嗟に横に飛び退いたことで雷志は直撃を避けている。


(い、今のは無詠唱魔法ってやつかいな……。こりゃ厄介やで)


「僕が……僕がお前なんかに負けるわけがない。僕は天才だ、この家を背負っていける男なんだ、お前なんかに……お前なんかにぃぃぃぃぃぃぃぃッ‼」

「危なっ! ってどこ狙っとるんやこいつ……!」


 半狂乱になって魔法を連射するアルスに、もう雷志の姿は映っていなかった。その証拠に先端が向けられた先には使用人や、果ては両親がいる。

 しかし、彼らに直撃することはない。

 この決闘が行われる前、彼らの父が予め防御魔法を展開している。

 従って周囲への心配をする必要はない。それでも、例え防御魔法越しといっても目の前で着弾すればやはり怖いものは怖いだろう。

 手荒なことに慣れているエルトルージェはともかくとして、メイド全員が彼女のようとはいかない。短い悲鳴を上げて、身体をびくんと震わせていた。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「アルスよ落ち着くのだ! 相手をよく見るのだ!」


 父の必死の叫びも、アルスの耳には届いていない。


(お前はクズで性根が腐っとるクソガキや。せやけど、俺を負かしたるっていうその根性はなかなかなもんやで)


 飛んでくる魔法を避ける傍らで、雷志はそんなことをふと思った。

 雷志の幻術は、彼の詠唱によって大きく作用される。これは他の魔法にも言えたことであるのだが、異なっているのは相手の精神へ如何に干渉できるか。

 強靭な精神力であろうとも、枯れ枝のようにもろくあっさりと折れるほどの幻を見せる。雷志の修練はまずここより始まった。

 そうしていきついた先が、ラップであった。

 この世界には存在しない概念にして、詠唱の難易度を上げるのに適していた。幾多のライムを踏み、違和感のない表現フロウを紡ぎ、それでいて相手を攻撃ディする。

 ラップには詠唱と同等の要素が含まれている。


(しっかし、俺もまだまだやなぁ……)


 雷志はラップに関しての知識こそあれど、実戦は今回が初であった。

 先の詠唱ラップも辛うじて口に出すことができたものの、途中で何度も噛みそうになってその都度に顔を強張らせた。リズムも時折ズレて発生する違和感に詠唱ラップもまくし立てられる。

 まだまだ修正の余地がある。加えて特訓もまた然り。


「さてと……そろそろ、終わらなアカンな!」


 雷志は思いっきり蹴り上げた。

 魔法使いの弱点は、肉弾戦であること。王道的ともいえる設定を雷志は逆手に取ったのである。現にアルスは雷志に何度も殴り飛ばされている。

 受け身すらも満足に取れなかったことから効果は絶大である、と判断するにはこれ以上にない材料でもあった。

 しかし、この行動には多くの怪訝な眼差しが雷志へと集められる。周囲の反応は極めて正しい、距離にしておよそ七メートルと少し。こんなにも距離が空いているにも関わらず、蹴り技という近接技に持ち込んだ雷志の意図がまるでわからない。

 当たるはずがない。


(蹴りが届かへんことぐらいわかっとる言うねん!)


 そう、当てるつもりなど雷志には更々なかった。

 アルスの顔面を蹴ったのは、雷志が履いていた靴であった。魔法の雨から逃れている際にわざと半履きにしておいたのである。要するに靴飛ばしによって、彼の魔法を中断させたのだ。

 相当な勢いがついていたものだから、正面から靴と衝突したアルスの鼻からはつぅ、と赤い雫が垂れていく。

 絹を裂くような悲鳴が室内に反響した。母親のものである――「うるさっ!」、と。雷志もたまらず耳を塞いでしまう。

 ともあれ、この絶好の機を逃してはならない。

 ひるんでいるアルスに向けて、雷志はマイクを手に詠唱ラップをする。


「もう終わりかいなつま『らへん』、せめてもたせて三分間作れもせぇへんで『ラーメン』。暴いて『さーせん』、ホンマの実力真っ赤な楕円『赤点』。なしやで『和戦』、つけてしもたで俺の怒りの『発火点』。『長年』の暴力社会に終止符を打つ、跡形もなく燃え尽きろ外道裁く黒き『魔炎』!」

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁあぁっ!」


 アルスが断末魔にも似た叫び声を上げた。

 熱い熱い、とのたうち回りもがき苦しんでいる我が子の姿に、とうとう母親が卒倒してしまった。

 父親も先まであった威厳もすっかり顔から失せてしまい、見えない何かに苦しんでいる息子にただただ唖然とした様子で立ち尽くしているばかり。

 それは使用人たちも同じこと。どうにかしろ、とこの場で命令が下されたとしてもどのようにすればよいのかがわからない彼らに、成す術はない――「さてと、そろそろえぇか」、と。雷志は指をぱちり、と鳴らした。アルスが見ている幻術を解除したのだ。


「やれやれ……」


 腐っても、法律上アルス・ヴォルトは血を分けたたった一人の弟である。

 認めてはいない、が殺してしまう気は雷志もない。今回の決闘は、井の中の蛙だった彼に大海を知らせるのが主な目的である。

 目的は無事果たせられた。雷志はマイクをしまうと、彼の元へと歩み寄る。

 起き上がる気力さえも喪失しているのか、うつぶせに倒れたままアルスは動こうとしない。途切れ途切れに声をもらしているが、とても会話ができそうな状態ではかった。それでも構わずと雷志はアルスに声を投げる。


「気分はどうや? 今まで下に見とった相手にボコボコにされたのは」

「…………」

「お前が普段使用人らにしとるんはこういうことや。理不尽な暴力をいつされるか、いつ痛みがくるか、皆ビクビクしながらすごしとったんや。力ってのはな、俺が偉そうに言えた義理やあらへんけど、強く自制せなあかん。名家の息子で才能がある奴やったら尚更のことや」

「……う……」

「お前は馬鹿やない、ホンマに俺よりずっと才能がある奴やったんやなぁって、なんとなくやけどこの戦いでわかった。せやからお前はもっと賢くなれ、誰にでも模倣できるような奴にな」


 最後までアルスから返答はなかった。だが、最後に意識を手放した寸前で、彼の目が優しい感情いろを心なしか示してくれた。


(なんや……そんないい目ぇできるやんけ)


 これが自分の気のせいでないことを祈りつつ、雷志は今度は放心状態にあった父親の元へと歩み寄る。

 雷志が眼前に立っているというのに、父親は未だ唖然とした表情を浮かべたまま佇んでいる。まるで案山子だ。余程この現実を受け入れられないでいるらしい。

 気付きつけとばかりに雷志は大声で父を呼んだ。


「クソ親父‼」

「ッ……!」

「散々落ちこぼれと言っていた人間が、そっちが優秀やと思っていた奴をぶっ飛ばした――これでどっちが家を継ぐかは、わかってるやんな?」

「ぐ……ぬぅ……」

「……なんてな、今のは冗談や。安心しぃ、最初っからこの家を継ごうだなんてこれっぽちも考えとらへん。継ぐんはそこで倒れとる馬鹿弟でえぇやろ」

「…………」

「せやけど、今のままやったら間違いなく破滅させるだけや。子供の俺が言うんも変な話やけど、今一度見直した方がえぇと思うで?」

「……ライシ」

「ほな、あいつのことは頼むわ。俺も本気でやってしもたさかい、あれはしばらくの間は満足に動けへんやろうし」


 言いたいことは言えた。

 口を堅く閉ざした父を置いて、雷志は実技場を後にする。

 やや遅れて、エルトルージェが追い掛けてくる。


「…………」

「あ、あの……雷志ライシ様?」

「……ん? あぁすまん。ちょっとボケっとしとったわ。どないかしたん?」

「いえ、その……お体の方は大丈夫ですか?」

「おぉ! 平気も平気、どっこも怪我もしとらへんで」


 大丈夫とばかりに雷志はその場でポージングを取ってみせた。見せるだけの筋肉は、悲しいかな。至って標準な肉体を晒しても女子は寄り付かない。


(魔法の特訓だけやのぉて、こりゃ筋トレもせなあかんなぁ……)


雷志ライシ様……?」

「ん? なんでもあらへんよ。今日の昼飯がなんやろうなって考えてただけや」

「あ、それでしたら今日は……――」


 追々筋肉を身に付けていくと一人固く誓った。

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