第11話:決闘

「クソッ! クソクソクソッ!」


 廊下をどかどかと荒々しく踏みつけるように渡る彼を、またか、とでも言いたげな目線で使用人達は黙って頭を下げた。

 彼らの心情は、いつ向けられるかもわからない矛先に恐れていた。どうか自分に八つ当たりをしてきませんように、と彼らはひたすらに祈る。

 足音が、止んだ。それもほんの少しの時間だけ。

 再び足音が廊下に奏でられる。

 次の瞬間、一人の使用人がびくりと身体を打ち震わせた。足音の主の行き先が、その使用人へと変えられたのである。

 使用人メイドは酷く怯えていた。もっとも顔にもしも表してしまったものなら、更なる酷い仕打ちが与えられる。

 彼女は頭を深々と下げて、ぎゅうっ、と目と口を閉じた。


「おいそこのメイド」

「は、はい! 如何なさいましたでしょうかアルス様」

「……なんかムカつくんだよね。ボサッとしている暇があったら手を動かしたらどうなんだい!」


 完全な言いがかりであった。彼がやってくる前から、このメイドはずっと自分の役目をまっとうしていた。

 掃除をしている最中なのは、彼女が手にしている掃除用具が説明してくれている。

 しかし、メイドが弁明することはなかった。仮にも相手は主人の子息である。

 例え自身に非がなくとも肯定しなくては生きていけない立場であるのが使用人だ。メイドには、嵐が過ぎ去るまで耐えるしか術がない。

 罵声の雨に、ひたすらメイドは耐えた。

 その時である。


「相変わらずお前はクソみたいなことしかできへんな」


 家畜を捻り潰したような、ぐぐもった声が廊下に鳴り響いた。

 誰しもが唖然とした顔をして、突如現れた新たな波乱を見やる――落ちこぼれであると烙印を押されても逆境に挫けない、強く優しい心を持った少年。


「お、お前は……」

「おーおー少しはマシな顔になったんちゃうか?」

「この、落ちこぼれが……!」

「兄貴は敬えって……まぁ、あの親やったら教えへんやろうな」

「き、貴様……!」

「騒々しい、また貴様か……」


 場の空気が一瞬にして凍った。

 ヴォルト家当主の登場に使用人らの顔も恐怖が滲む。


「出たなクソ親父……」

「親の口の利き方すらも忘れたか」

「お生憎様。アンタに育てられた記憶がこれっぽちも俺にはないですわ。まぁ、そういう意味ではこの夢現症候群むげんしょうこうぐんには感謝せなアカンな」

「何……?」

「と、父様! ここは僕にやらせてください! こいつは……この出来損ないを僕の手で裁かせてください!」

「アルス……」

「前から気に入らなかったんだ……何もできないくせに、ただ愛想を振りま得ているだけのお前がこの家でのうのうと暮らしているのが……!」


 殺意のこもった目を向けるアルス。

 視線の先に立つ少年は、けらけらと笑っていた。この時を待ちわびていたとばかりに笑う彼に、怪訝な眼差しがいくつも浴びせられた。




 快晴だったはずが、いつの間にか雨雲が立ち込めていた。

 今にも雨が降りそうな気配は、同時に今日のような日にはもってこいのシチュエーションだ。

 屋敷内の実技室では雷志はアルスと対峙していた。これより二人は決闘を行う。


「覚悟はできているよね? 合法的に落ちこぼれを消せるんだ……これほど嬉しいことはないよ」

「はいはい」


 意気込んでいるアルスとは対照的に、雷志は心底どうでもよいと言いたげに大あくびをする。

 決闘する者としては不遜極まりない態度ととして捉えかねない彼の態度は案の定、アルスの神経を逆撫でさせる。

 真っ赤な顔がアルスの怒りをこれでもかと表していて、されど怒りをぶつけられても雷志の態度が変わることはない。


「くっ……いつもそうだ。魔法が使えない、この家に生まれておきながら落ちこぼれのくせに……出来損ないで生きる価値すらもないのに、のうのうと生きているのが気に食わないんだよ!」

「何度でも吼えとけや。今日でお前の腐った性根、叩き直したるさかい覚悟しとき!」

「はっ! 魔法が使えないお前がどうやって僕を倒すんだ――父様、合図を!」

「……これよりライシとアルス、二人の決闘を行う。我々は手出しを一切しない、また……不慮の事故でどのような結果が起きようとも認めるものとする」


 周囲がざわついた。当主の言葉……あえて、不慮の事故の部分を強調するように口にしたのは、暗に雷志を亡き者とするため。

 決闘は両者が全力を賭して行われる者であり、例え命を落としたとしても致し方がない、こう言ってしまえば体よく聞こえはしよう。

 堂々と死ねと実の親に言われたも同じ雷志は、静かに懐に手を伸ばした。


「……なんだよ、それ」

「これか? これは俺の杖や」

「杖ぇ? 馬鹿なのかお前。魔法が使えないのに杖なんか持ったって意味ないだろ!」


 嘲笑うアルスに、雷志が静かに告げる。それはどこまでも冷たく、冥府の底から響くような声だった。


「お前は……死ぬ覚悟はできてるんか?」

「な、何……?」

「あぁそれと、俺のこれは杖やない。どっちかって言うとマイクやな」

「マイ……ク?」

「それは、今から教えてやるわ」


 マイクを手に雷志は言葉を紡ぐ。


「才能に溺れた憐れな『操り人形ドール』、天才やと笑えんその『ジョーク』。愚弟のしつけ面倒やけどきっちり『怒る』、言霊の拳骨を『落とす』。お前に上がる敗北の『コール』、誰しもがこの結果を『予想』。無様に這いつくばるお前に心『躍る』、ここじゃ俺が絶対すべてまかり『通る』‼」


 力強く、暴力的な詠唱が唱えられた――次の瞬間。


「ぐわぁぁぁぁっ‼」


 アルスが顔面を地面に叩きつけた。

 突然すぎる自傷行為は周囲に大きな困惑をもたらす。彼の味方である両親も、息子の奇行には驚愕している。


「……何をしているのだアルス」

「アルスちゃん!」

「あ、ぐ……い、今のが見えなかったのですか⁉」

「なんだと?」


 アルスの一言に、両親はおろか誰しもが互いに訝し気な眼差しを向け合っている。

 ただ一人だけ、この状況下の中で不敵な笑みを浮かべている者がいた。雷志だ。


「どうしたんや? もう終わりかいな」

「ぐっ……お前、今僕に何をした⁉」


 ようやく立ち上がったアルスの足はふらついていた。

 憎悪や困惑、負の感情で歪んだ顔にも大量の汗が噴き出ている。雷志は涼しい顔でアルスの問いに答えた。


「何って、俺の魔法を使っただけやけど?」

「ふざけるな……今のが、魔法だって⁉ あんなもの僕は知らない、見たこともない!」

「せやから今から見せてやるんやろうが――井の中の蛙大海を知らずって言う諺が昔からあってな。それを今からお前の身体に叩き込んだるわ」

「ぐっ……な、舐めるなよ!」


 アルスもここで臨戦態勢に入った。愛用してきた杖を手に彼もまた詠唱に入る。


「“唸れ我が雷よ、代々より受け継がれし雷神の――”」


「研ぎ澄まされたライムは正に『日本刀ポンとう』、ぶった切ってやるわお前のその『煩悩』!」

「ぐぅぅっ!」


 またしてもアルスが片膝を着いた。

 歯を強く食いしばっている様に、観戦している者達はますます混乱に陥った。

 確かに雷志は詠唱をした、しかし唱え終わってからも肝心な魔法がまだ、発現されていない。

 にも関わらず、アルスが膝をついた。彼の身体には、少なくとも確認できる範囲では外傷を負った様子はない。

 ついに父が彼に喝を飛ばした。


「何をしているのだアルスよ! 貴様、それでもヴォルト家を継ぐ者か⁉ なんたる体たらくか……!」

「アルスちゃんどうしちゃったの⁉ しっかりして!」

「と、父様……母様……」


 両親からの激に、アルスは再び雷志と対峙する。

 この時、彼の体力は既に大きく消耗していた。呼吸が著しく乱れていて、脚もおぼついていない。

 否が応でもアルスは一つの現実を受け入れられなければならなかった。

 散々コケにしてきた相手であるだけに、羞恥心と怒りが彼の心中にてどろどろと混ざり合っていく。


(信じられない……まさか、あの落ちこぼれが本当に魔法を使えるようになってるなんて……⁉)


 ありえない事実を前に、アルスは戸惑っていた。

 ある日突然魔法が使えるようになった、それも謎が多く自分を二度も膝を着かせたともあれば、彼の兄に対する評価が脅威として認識し直されるのは至極当然だった。

 杖を構える傍らで、アルスは沈思する。もちろん兄が突然魔法を使えた理由についてだ。

 兄……ライシ・ヴォルトが魔法を使えなかった原因は、未だに解明されていない。何度も検査や教育が施されてきたが改善される兆しはなし、やがて両親はライシ・ヴォルトへの関心を失った。

 諦めたのである。

 何をやっても才能の欠片さえも開花しない子供に時間を費やすだけ無駄である、そう判断した両親をアルスは肯定している。

 魔法の名家とだけあって、落ちぶれることは後の人生に大きく影響を及ぼす。

 一度でも力なき者として思われてしまったら、その時は――没落は絶対に避けなくてはならない――「僕がヴォルト家を守っていく」、と。齢五歳にしてアルスは一人決意した。

 幸いなことに、アルスには魔法の才能があった。

 習得からわずか二年にして極めてしまう彼を、両親は神童を呼ぶ。

 魔法学園【ヴァルハラ】でも常に一番を死守し続けている実績が、彼が本当の天才であると自他共に認めさせる要因となった。


(僕は……天才なんだ。あんな、あんな才能がない出来損ないとは違うんだ!)

「ちょ、調子に……調子に乗るなぁぁぁぁぁぁっ!」 

「歪みに歪んだ『上下関係』、強制的に矯正する愚弟の『固定観念』”。兄より勝る弟はいない……なんて言わへんけど敬え『ボケが』、弁え立場お前は家畜それをしつける俺はマスター『トレーナー』。頭が高いで跪けや豚『野郎』、このライムは|強烈一打お前『たおす』‼」

「がぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」


 アルスの身体が大きく吹き飛んだ。

(ま、まただ……また奇妙な怪物が僕の前に……!)


「な、何をしているのだアルスよ! 先程から何を遊んでいるのだ!」

「アルスちゃん相手はあっちよ!」

「な……っ! 父様も母様も、あの怪物が見えていないのですか⁉」

「か、怪物だと? そんなものどこにいるというのだ!」

「アルスちゃんしっかりして!」


 戸惑うしかない両親に、アルスがはっ、とした。

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