第9話:魔法適性

 エルトルージェにが案内した部屋に入ってすぐに――「ななな、なんやこの部屋は。めっちゃすごいやん!」、と。雷志は感嘆の声を上げた。

 膨大な数の本が、所狭しと本棚に管理されている。

 ここは書庫なのであろう。試しにと、雷志は身近にあった本を手に取った。

 頁を開き――彼の眉間が瞬く間にシワが寄せられる。

 無理もない、雷志ライシであった頃ならば読めていたであろう――「さすがに読み書きまでできひんってことはないやろ……多分」、と。夢現症候群むげんしょうこうぐんを患う前だった頃の己にわずかな恐怖を抱いて、雷志はこのことを考えないように務めた。わざわざ聞くこともない。


 それはさておき。


 読み書きができなくなってしまった以上、この部屋にある魔法書も無用の長物である。

 白いページにミミズが走ったのか、としか思えない雷志に解読は不可能である。


「アルファベットとも違うし……なんやこれ。なんて書いてあんねん。さっぱりやわ」

「ご安心ください雷志ライシ様。文字の読み書きもこのエルトルージェにお任せください――ふふっ」

「いや、しゃーないやん。その、夢現症候群むげんしょうこうぐんっていうけったいな病気のせいでこないなってしもたんやから。笑うことないやんけ……」

「あ、す、すいません! 決して読み書きができないことを馬鹿にしたのではなくて――ただ、懐かしいことを思い出したんです」

「懐かしいこと?」

「私がメイドとして働くためにって、読み書きができなかった私に教えてくれたのは他でもない雷志ライシ様なんですよ?」

「え? それマジ?」

「はい」


 屈託のない笑みを浮かべるエルトルージェに、雷志は複雑な心境だった。

 いわば教え子に逆に教えられる教師である。


(なんや、ただ教えられるだけってのも悔しいな……今度エルトルージェには漢字教えたろっと)


 くだらないところで張り合う雷志の仮面かおの裏に潜む策士顔にエルトルージェが気付くことのないまま、彼女は中央に鎮座している台座へと駆け寄ってしまう。

 脳内でひたすら難読漢字ばかりを思い浮かべて、雷志もやや遅れて跡を追った。


「これは?」


 大きな台座、見事な球体上の青水晶が鎮座している。

「これは魔法の属性……適性を図る魔道具です。ここに血を一滴捧げることで魔法適性がわかります。ヴォルト家の皆様は、誰も使っていませんけれど」

「ほ~ん……ほな、さっそく試してみよか」

「では、失礼ながら私が」

「へ?」


 何をするのか雷志が尋ねるよりも先に、エルトルージェは事を成していた。

 エルトルージェの手には一振りのナイフが握られていた。

 いつ、抜いたのかがまるでわからない。

 恐ろしいほどの早業に称賛の拍手を送るよりも先に、悲痛な叫び声が室内に木霊した。もちろん声の主は祓御雷志である。彼の白い指先に一筋の赤い線が走ると、そこからぷつりと赤々とした雫が滴り落ちていく。


「おぉぉぉぉぉぉぉっ! おまっ、おまっ、お前なぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」

「も、申し訳ありません雷志ライシ様! 痛みを感じぬようにやったのですが……!」

「いやそうやなくて! やるんやったらまずやるって一言言ってくれや! こっちにも心の準備ってもんがあるんやからさぁ!」

「本当に申し訳ございませんでした! お望みとならばこの命――」

「おっと言わさへんで? くだらんことで命を捨てるとか言わんとってくれ」

「……はい」

「よしっ」


 気を取り直す。雷志は血を魔道具へと捧げた。

 青にほんの少しの赤が混じる。外界からの不純物の侵入に青水晶に変化が生ずる。目を覆うほどの眩い閃光が室内を包み込んだ。


「な、なんやこの光は⁉」

「ご安心ください。すぐに収まりますので」


 エルトルージェの言ったとおり、青水晶より放たれていた閃光は、ものの一秒足らずで収まってしまった。室内は再び正常の灯りを取り戻す。

 青水晶には、文字が書かれていた。もちろん、雷志は読むことができない。通訳をエルトルージェに託した。


「そんで、その魔道具にはなんて書いてあるんや?」

「これは……凄い、でもどうして……」

「お、おいなんやねん。意味深な台詞言われたら気になるやん……ちゃんと教えてくれや」

「す、すいません。ま、まずは結果から――雷志ライシ様は雷属性の魔法が使えません、これは先程も申しましたとおり適性がないからです。ですが今、この魔道具にはある属性の適性が表示されました」

「つまり、俺は魔法を使えるってことやな?」

「はい。しかし、その属性なんですが……何度見ても信じられなくて」

「どういうことや?」

「……雷志ライシ様の属性は闇です」


 信じられないとばかりに何度も魔道具と顔を交互に見るエルトルージェに、雷志は一時の不安を憶える。


(なんか、とんでもないことになってる……?)


 エルトルージェが示した反応に、理解ができないわけでもない。

 闇……この単語一つから浮かび上がるのは、悪というイメージが強い。

 これは創作界隈においてもよくある手法だ。悪魔や魔族など、闇との関連性が極めて強いキャラクターであれば相応でも、人間が扱うことで邪法と結び付けられる。


「も、もしかして……闇属性っ言うんはそんなにヤバいんか?」

「その、どう申し上げたらよろしいでしょうか……。私も未だに驚きが取れないのですが。まずこの世界において最初に生まれた魔法は光と闇、と言い伝えられています」

「…………」

「朝と夜、太陽と月……世界で最初に創造された、この世の根源ともなる二極属性。私を含めてヴォルト家が扱う魔法属性はその後から生まれたと言い伝えられています」

「えっと、つまり……?」

「率直に申し上げますと、雷志ライシ様は二極属性の一つが適正なのです。私が知る限りでは、二極属性を適正に持つ人間は恐らくいないかと思います」

「……めっちゃレアやん」


 不安から一点、雷志は拳を高らかに掲げた。

 今の彼の心中は歓喜で満ち溢れている。他の人間にはない、現時点においては唯一無二の属性が自分にはあった、恐らくは前代未聞にして世界を震撼しかねない事実からやってくる優越感は計り知れない。

 現に雷志の口からはヤバい、の一言しか出ていなかった。

 歓喜に失われてしまった語彙力では、月並みかつ低能っぷりを見せつけかねない台詞が限界であった。


「俺めっちゃヤバいやん! これでこのクソ家族にもわからせられるな。エルトルージェ!」

「は、はい!」

「早速俺は魔法の特訓するで! すまんけど教えてくれるか‼」

「は、はい!」


 俄然やる気が出てきた――「これから忙しくなるでぇ」、と。雷志は意気揚々と書庫を後にした。

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