第8話:新たな日常

 そして、現在――。


 エルトルージェが用意してくれた朝食を堪能する。

 家畜である、と吐き捨てていったように彼らに雷志ライシと共に食事をしたいという気持ちは更々ないことがわかった。

 こちらから願い下げである。食事はもっと、楽しむものだ。

 会話を交え家族団らんの時間を過ごしてきた雷志に、会話もない黙々と済ませるだけの食事は、どうも受け入れらない。

 郷に入っては郷に従え、という先人が残していた諺があるのは重々理解しているも、やはり――「あんな奴らと飯食ったらせっかくのうまい飯もまずくなるわ」、と。雷志も強い姿勢を貫く気概でいる。


「お、これめっちゃうまいな」

「それは雷志ライシ様が好物な料理です。よかった……雷志ライシ様がまた、私の料理で美味しいって仰ってくださって」

「いやいや、お世辞抜きでうまいでこれは。日本人好みの俺でもめっちゃ好きやわ」

「ニホ、ン……? 雷志ライシ様、それは?」

「あん? あぁ、俺が過ごしてきた国の名前や――夢現症候群むげんしょうこうぐんっていうのも面白いな。どうやったら日本の夢なんか見せられんねんって」

「その、もしよろしければ教えていただけませんか? 私は、今の雷志ライシ様のことをもっと知っておきたいです」

「う~ん、うまく話せるかどうかわからへんけど。それでもえぇんなら」

「はい、聞きたいです!」

「んじゃ、どっから話そっかな――」


 まるで幼子のように強い関心を宿した瞳は、きらきらと輝いていて眩しい。

 盗賊という生業をしていたのが実は嘘だったのではないか、自分はからかわれているだけでないか。エルトルージェの瞳に宿るイエローダイヤモンドが、心なしかいつもより輝いているように雷志の目には映った。

 咳払いを一つして、雷志は語り始める。

 己が何者であるか、どのような時間を過ごしてきたか。記憶の中にある情報という情報を、エルトルージェに語り聞かせる。


(なんや、めっちゃ懐かしく感じるわ……)


 それは二度と故郷の土を踏めないとわかってしまったからだろうか。

 時間にしてみれば、まだ一日しか経過していない。

 懐かしい、というには些か離れている時間が短すぎる。

 けれども遥か遠い昔のことであるかのように、言葉を放つ度に雷志に時の流れの残酷さを錯覚させた。

 一方でエルトルージェは、雷志の話をとても面白そうに聞いている。少しでも興味を持てば間髪入れず質問をしてくるし、回答が得られれば満面の笑みで喜びを表してくれる。


(これがエルトルージェの、ホンマの姿か……)


 メイドとして務めている彼女は、やはりと言うべきか少しばかり固いところがある。

 主従関係を弁えている、と言えばしっかりと仕事をこなしているとしてエルトルージェには称賛を送るべきである、が。


「エルトルージェ」

「はい雷志ライシ様、如何なさいましたか?」

「……お前は俺をどんなことがあっても支えてくれるって、言ったよな? あの言葉、嘘やないな?」

「当然です。私の主は雷志ライシ様だけなのですから」

「せやったら二つだけ、条件がある」

「条件……ですか?」

「そうや――俺はいずれこの家を出る。期間はだいたい一か月後ってところやな。こんな家で暮らしとったらストレスで過労死してしまいそうやわ。せやからエルトルージェ、条件……って言うかお願いやな。まず一つ目、俺に色々とこの世界のことを教えてくれへんか? あぁ歴史とかはどうでもえぇし、生きていく上で必要な分だけで構へんし」

「も、もちろんです! このエルトルージェにお任せください!」

「ありがとうな。ほんで次やねんけど……もし、俺がこの屋敷を出たら、その時は普通に接してくれへんか?」

「は、はぁ……」


 言っている意味がよくわからない、とでも言いた気な彼女に雷志はくすりと笑う。


「つまり、この家を出たら俺はただの一般人になるってことや。俺は二度とこの家には戻らん、親子としての縁も完全に切る――まぁ祓御雷志として生きるんやからそこはえぇわ。まぁ、要するにアレや……そ、その、同年代やえんし、普通にしてくれる方がありがたいって言うかその……そういうことや!」

「よ、よくわかりませんが、私はライシ様のお傍にいてもよい、ということですよね……?」

「いやなんでそんな不安な顔すんねんや。俺が言いたいのは主従関係としてじゃなくて、その相棒的な? 信頼できる仲間的な……そんな関係が作れたらえぇなってことや! 今もせやけど様付けで呼ばれんのはどうも落ち着かへん……」


 自分が凡人であることを弁えているからこそ、雷志はどこまでも普通をエルトルージェに求めた。

 エルトルージェはと言うと、うんうんと唸ってしまった。


(いや、そんなに悩むようなこと言うてへんはずなんやけどな……)


 とは言え、今まであった習慣を捨てろと言っているのも同じだと、雷志はこの場になって気が付いた。

 それならばエルトルージェが戸惑うのだって彼は受け入れなくてはならない。

 身に着いた習慣というものは、一度着いたら簡単には剥がれてくれない。

 エルトルージェの反応を見やる限りでは、すぐにといかないのは明白であった。

 こればかりは、気長にやっていくしかない。人間の適応能力とは大変優れている、いつから彼女も慣れてくれると信じて――「んじゃ、ちょっと聞きたいことあるんやけどえぇか?」、と。雷志は話題を切り替えた。

 寧ろ今から話す内容が本題であるといって過言ではない。


「俺に魔法を教えてくれへんか?」

「え?」

「あぁ、何言ってんのやこいつってのはよぉわかっとる。俺……いやライシ・ヴォルトは魔法が使えへん、せやから次期当主の座はあの馬鹿に、俺は邪魔者扱いってのがこの家に敷かれとる上下関係ヒエラルキーや」

「…………」

「なぁエルトルージェ、俺は魔法が使えへんのか?」

「……はい」

「それは、ヴォルト家の代名詞でもある雷属性だけか?」

「えっと……」

「あぁすまん。せやったら質問の仕方を変えるわ――魔法が使える人間は、他の系統を使えることは可能なんか?」


 雷志ライシが落ちこぼれである由縁は、雷の魔法が使えないことにある。

 曰く、雷属性の魔法は扱いが極めて難しいとされていて、その難易度から扱えるのはなんとかできても、極められる人間は極稀であるという。そういう意味ではヴォルト家が如何に優れているかも、本当ならば期待していた息子が出来損ないである現実に落胆する両親の気持ちが、わからなくもない。

 雷志ライシは雷の魔法が使えない――ここで思考を根底からひっくり返す。魔法が扱える、と仮定するならば雷に拘る必要はないのだから。

 雷志からのこの質問に、少しの間が空いてエルトルージェが答える。


「す、素晴らしいです!」

「え? なんかそんな驚かれること言うた?」

「もちろんですよ! 雷志ライシ様が仰るとおりです。どうして今まで私も気付かなったのか、自分でも不思議なぐらいです!」

「わ、わかったから! わかったからちょっと落ち付こかエルトルージェ」


 興奮した面持ちでひたすら称賛してくる彼女を、雷志は静かに制した――「あっ」、と声をもらした後、一人暴走していたと気付いたエルトルージェは顔を赤面させて素直に従った。

 同様に、雷志の頬もほんのりと赤らんでいる。面と向かって誰かに褒められた経験は、親以外になかった。つまり褒められていない雷志は、純粋な称賛を送られて気恥ずかしくなっていた。

 咳払いをして、改めて雷志はエルトルージェを続きを促した。 


「あ……、えっと。恐らく不可能ではないと思います。一度も試したことがないので、どうなるかは私にも予測できませんが」

「せやったら早速初めていこか。一秒でもこんな場所からおさらばするためにも、俺にはどうしても魔法が……戦える力がいる」

「で、ではご案内しますね」


 先導するエルトルージェに、雷志はついていく。

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