第6話:ありのままの自分で

 道中、この家の使用人であろう人々とすれ違った。全員が憐れむような目を雷志に向けている。それさえも気に留められないほどに、冷静さを失っていた。


(嘘や嘘や嘘や嘘や嘘や……‼)


 これまで祓御雷志が歩んできた人生を真っ向から、すべてを否定された。

 それを拒絶するように雷志の脳裏にはこれまでの日々が鮮明に蘇っていく。

 楽しかった、つらかった、他愛もなかった……色んな時間を過ごしてきたが、すべてかけがえのない大切な思い出ばかりである。

 作り話では決して紡ぐことのできない、世界でただ一人ひとつだけの人生ものがたりは書き手にしか手掛けられない――「俺は絶対に認めへんぞ……!」、と。雷志はようやく足を止めた。

 終始走り続けてきたのだ。人間である以上体力にも限界がある。


「はぁ……はぁ……どこや、ここ……」


 丘の上、一本の木がひっそりと立っていて、後は何もない。

 見渡す限り広大な草原が彼の視界を埋め尽くす。遠くには城郭都市らしきものが見える。

 日本にはまずない光景なのは、言うまでもない。海外……イギリス辺りなどに行けば見られるかもしれないが、それも不可能である。西洋には古城があっても、本物のドラゴンまでは存在していない。

 大きな影が地上に差したから、雷志は反射的に空へと顔を上げた。

 せいぜいが大きな鳥だ、と思っていただけにドラゴンを目にした時の雷志の反応は実に|単純(シンプル)である――「ドドド、ドラゴン⁉」、と。目を丸くして、蒼穹を悠々と泳ぐ空の支配者を見送った。


「……ははは。そりゃ異世界やもんな、ドラゴンぐらいいて当然やなぁ……」


 幸いにも、ドラゴンは眼下に雷志がいたにも関わらず襲うことはなかった。

 見えていなかったのか、あるいは本当に敵意がなかったのか、今となっては確認しようもないし、雷志もわざわざ本人に確認を取りに来たいなどとは考えていない。

 ドラゴンの姿が視界より完全に消失したと同時に、雷志は木に背を預けるようにして力なく座り込んだ。

 身体に蓄積された疲労を解消してやるためはもちろんだが、未だ処理が追い付いていない思考を休めるためでもある。


(俺は……俺や。ライシ・ヴォルトなんていう名前やない。祓御雷志……それが俺なんや!)

 それは、自己暗示のように映るだろう。


 彼ら……ライシ・ヴォルトとして自分を認識している側からすれば痛々しく、その目には映るかもしれない。

 だからとて、素直に受け入れられる真似だけは、雷志は許せない。

 まだ、あのメイドが口にした言葉のすべてを信じたわけではない。

 嘘を吐いているかもしれない――「いや、それはないか……」、と。雷志は即座に自ら立てた可能性を却下する。

 あのメイドが嘘を吐いていない、その根拠が雷志にはあった。

 物的証拠はない、強いて言うなれば状況証拠という何とも曖昧あいまいでいまいち信憑性に欠けてしまう。

 だが、確固たる証拠として断言できる要素を雷志は持っている。

 信頼に値する、と彼に思わせたのはメイドの目であった。

 人の目をよくよく観察すれば、その人間がどういった相手なのか大体を知ることができる。雷志はその能力が優れている。

 俗に言う慧眼であり、観察および洞察力は自他共に優れていると認めている。

 彼女は、嘘を吐いていない。この事実を認めるならば、雷志はあまりにも非情すぎる現実を受け入れなければならない。

 これまで紡いできた祓御雷志を捨てて、ライシ・ヴォルトとして一からやり直さなくてはならない。


「……できるわけないやん、そんなん」

「ライシ様……!」


 項垂れていた雷志に、優しく声を掛ける者がいた。

 あのメイドである。息を切らし頬に汗を伝わせていている。

 彼を心から心配している挙措に、雷志をは顔を見合せようともしない。

 もはやどうでもよかった。聞かされる言葉が大方予想できるだけに、雷志は彼女とのコミュニケーションを拒んでいた。


「俺に何の用やねん……もう、放っておいてくれや」

「そうはいきません。私にとってライシ様は、私が心からお慕いしている……仕えるべきただ一人の主なのですから」

「お前は……あの家のメイドやろ。俺は単なるその……いや、なんでもない。忘れて」

「いいえ――記憶を改竄されてしまったライシ様には、これから私がするお話は身に覚えのないものでしょう。けれども、私にとってはかけがえのない、大切なライシ様との思い出なんです」


 隣に腰に下ろしたメイド。身体を密着させられてようやく、雷志は顔をばっと上げた。

 突然すぎる行動にどうしてと怪訝な視線を送ろうとすれば、メイドと目が合った。


(綺麗な目ぇしとるなぁ……俺とは大違いやで)


 さながらイエローダイヤモンドのように。一点の穢れもなきその瞳に映る己を見やり、雷志は自嘲気味に小さく笑った。

 せっかくの美しい宝石も、自分という存在で濁らせてしまってはただただ申し訳なさが込みあがってくる。雷志はそこで彼女から視線を外した。

 外そうとした彼を、メイドが強制的に制止させる。

 両頬をがっちりとホールドされて、雷志は身動きが取れない。それ以前に見た目に反して大胆かつ説教句的な行動をしてくるはずがないという先入観を根底から打ち砕かれて、困惑するしかない。


「ななな、なんやねんいきなり……!」

「目を逸らさないでくださいライシ様。私を……私の目をずっと見つめ続けていてください」

「いや、そんなこと言われてもやな……!」

「私の目を見て‼」

「は、はい!」


 メイドからの一喝に、雷志は素直に従った。


「……私はかつて、盗賊を生業としていました」

「……って、えぇぇぇぇぇぇっ⁉ そ、そうなん⁉」


 あまりにも予想外な言葉が飛び出したものだから、これには雷志もたまらず声を荒げてしまう。

 盗賊であるという告白した張本人はと言うと、頬をほんのりと赤らめていた。

 過去の痴態を人前で晒すのだから、それ相応の覚悟は必要となる。

 笑い話であればいざ知らず、思い出したくもない過去であったならば、普通であれば封印しておくものだ。

 メイドは自らその封印を解き放った。

 なんのために――知れたことである。彼女はただもう一度、自らが仕える主に己のことを知ってほしいのだ。


 |雷志(ライシ)とこの少女メイドとの間にどのような物語が紡がれたのか。

 この頃には雷志も傾聴する姿勢を取ってみせていた。同じくメイドも彼が話を聞いてくれると判断したのであろう、拘束から解き放ち自由を与えていた。


「……私は人から物を盗んで生活をしていました。両親は小さい頃に他界して、親戚は厄介者だからと追い出された私にはそうすることでしか生きていけませんでした」

「そら、随分と大変な人生やったな。最初からハードモードやん……」

「そしてある日、私はヴォルト家のお屋敷に盗みに入ったんです。どうぜ名ばかりで大したことがない連中だなと、その時は思っていました。完全な驕りでしたね……」

「んで、ボッコボコの返り討ちにあったと?」


 静かにメイドは首を縦に振った。その後で雷志は感嘆の息を一人もらす。

 具体的にヴォルト家がどのような一家であるかを、現在の雷志では何一つわからない。

 ただ言えることは、よく生かしてもらえただけでなくメイドとしての役職を与えられたものだ、という関心だけが強くあった。

 日本の法律は適用されない。例え相手を殺してしまったとしても、正当防衛として処理されてしまう。メイドが生きている理由を知りたかったところ、タイミングを見計らったかのようにメイドは答えた。


「当然ながら、私は圧倒的な力の前に呆気なく倒れました。殺される――死を恐れていた私を庇ったのがライシ様、あなたなんです」

「お、俺が止めたんかいな⁉」

「えぇ、殺そうとしているご当主様に向かって、殺したって何も解決しない。この人だって本当は盗賊なんかしたくなかったんだ、と……。逃れるために人質に捕られていたにも関わらずにライシ様は私を庇ってくださったんですよ?」

「そ、そうか……」


 熱を帯びた眼差しを浴びさせられても、雷志はどうすることもできなかった。

 何せその当時の記憶がないのだから。彼女にとっては忘れられない大切な思い出であろう、それと真に向き合えない現実が、雷志の心をぎりぎりと締め上げていく。

 雷志ライシ夢現症候群むげんしょうこうぐんなる奇病を患ってしまった。

 単なる風邪であったならば、責があると罵られてもまだ受け入れられる。今回の事例を挙げるならば、雷志にはない――俺には何の関係もない話なのだから、と彼が口にしたところで非は発生しない。奇病という正当な理由がある雷志は、あらゆる罵声から守られよう。


(せやかて、大切な思い出を忘れられとるってのは、聞く側も話す側も嫌な気分にさせるわ……)


 二人が紡いできた記憶は、もう雷志は二度と手にすることはない。夢現症候群むげんしょうこうぐんは単なる記憶障害ではない、人格さえも変えてしまうほどの恐ろしい病気なのだから。


「それから私は、ライシ様の専属メイドとして働くことになりました――ライシ様、今こうしていられるのはすべて、あなたのおかげなんです」

「…………」

「例え記憶が改竄されても、私は生涯をライシ様のために使うと誓いました。ですから、どうか私を頼ってください。ありとあらゆる生涯からこの私が――エルトルージェがお守りいたします」


 メイド――エルトルージェと自らを名乗る彼女の言葉は、なんて心強いのだろう。

 まっすぐな目が、言葉が、深く心に突き刺さる。

 藁にも縋りたい、誰かに助けてもらいたい、そんな気持ちである雷志は、エルトルージェの手を取っていた。

 疚しい気持ちがないのはもちろんのこと、意図してやった行動ではない。彼自身でさえも気付かない内に彼女の手を取っていたのだ。

 それは心から、彼女ならばきっと自分を助けてくれるかもしれない、という気持ちが行動として表れたのである――「……ちょっと、情けないこと言うで?」、と。か細い声を絞り出した彼に、エルトルージェが静かに首を縦に振る。

 雷志の顔に鮮少ではあるものの笑みが浮かべられた。


「俺は……まだすべてを受け入れられてへん。いや、多分一生受け入れられへんと思う。俺はどこまでも俺や、ライシ・ヴォルトなんて名前やない。|祓御雷志(ふつみらいし)……それが俺なんや。周りからお前は病気で、今まで夢の中の出来事やと言われたとしても、俺は今まで築いてきたもんを捨てたくない」


 胸の内を雷志は曝け出した。彼の独白を前にエルトルージェは、何も答えない。

 頷くことさえもしない。どこまでも優しい目で、傾聴し続けている。


「エルトルージェ……やったな。お前には悪いけど、お前が知っとるライシ・ヴォルトはもうこの世にはおらん。演じろ言われてもそれは無理な話ってもんや、やったとしても長続きはせんやろ――それでもお前は、俺についてきてくれるんか?」

「はい。どこまでも、私はあなたのお傍にいます。あなたの支えとなります。今ここに新たに誓います――エルトルージェの命はすべて、ライシ様の物であると」

「……せやったら、一つだけ約束してくれへんか?」

「はい、なんなりとお申し付けくださいライシ様」

「……間違っても、俺のために命を捨てるような真似はしたらアカンで?」

「……やっぱり、私はあなたにお仕えしてよかった――承知しましたライシ様」


 くすりと微笑んだエルトルージェに、雷志も小さく口元を緩めた――「これから忙しいことになりそうやな」、と。雷志は茜色に変わりつつある空に目をやった。

 青一色だったキャンパスを、色鮮やかな赤で染め上げられていく、そんな様が美しい。

 そしてそれは同時に、雷志にあることを思い出させる起爆剤ともなった。


(あの時も、こんな夕焼けが綺麗な日やったなぁ……)


 【夢幻の如き遊戯場】のことが、何故か無性に懐かしく思えて仕方がなかった。

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