第5話:夢現症候群
彼の眼差しは明らかに、メイドに対して蔑視している。それは雷志に対しても然り。
寧ろこちらの方が強かったとも言える。当然ながら雷志は少年との面識がないわけで、何故にあのような態度を取られなければならないのかという不満を渦巻かせていた。
「やぁやぁ、目が覚めたみたいだね。そのまま死んでくれたらよかったのに」
「初対面の人に向かっていきなり喧嘩売るとかしつけのなってないガキやな」
「はぁ? ……これが
「何……?」
「まぁいい。どの道この家の跡を継ぐのは僕なんだ。目が覚めたならもう赤の他人とさえ言い切ってもいい。早く出ていってくれるなら、僕はもう何も言わないさ」
そう言い残して去っていく少年を、雷志は制止する。
彼の言動は目上の人間に対してあまりにも教育がなっていない。それを見過ごせなかったのも理由の一つではあるのだが、本命は別にある。
彼が発した言葉の中に、雷志は違和感を憶えた。
「ちょい待てやクソガキ」
「……なんかな? 僕はお前みたいな無能な人間を相手にするほど暇じゃないんだけど?」
「えぇから質問に応えろや。お前は、俺のなんなんや? それにさっき言った
「いちいち癪に障る喋り方をするね……まったく、どんな粗悪で粗暴な夢を見ていたのやら。仮にもヴォルト家の血筋であるというのに、これ以上醜態を晒すような真似はしないでほしいものだよ――兄さん」
「……は?」
「もう僕は行くよ。詳しい話なら、そこに突っ立っている兄さんと同じ役立たずなメイドに聞けばいいさ」
鼻で一笑に伏すと共に、最後まで蔑視を向けたまま立ち去っていく。
彼の背中を見えなくなるまで見送った雷志は、メイドの少女へと詰め寄った。
「い、今のはいったいどういうことなんや⁉ あいつ俺のこと兄ちゃんって……俺にはあんな弟おらへんで!」
「お、落ち着いてくださいライシ様!」
「それや……俺はお前に一度も名乗っとらへん。せやのにお前は俺の名前をなんでか知っとる。ここはどこなんや、お前らは誰なんや‼」
「今からご説明をします! ですからまずはお気を確かに持ってくださいライシ様!」
悲願するような少女の声に、雷志ははっと我に返った。メイドの両肩を強く掴んでいると気付き、慌てて離す。
「す、すまん……」
「いいえ、ライシ様は何も悪くありません」
「せやけど、今のは俺が悪かった。ホンマ、許してくれ……」
「ラ、ライシ様どうか顔を上げてください!」
慌てて止めに入ったメイドだったが、雷志は深々と頭を下げたままでまるで応じようとしない。
悪いことをしたのであれば誠心誠意をもって相手に謝罪をする――社会人である前に人としての常識をただ全うしているだけに過ぎない。
メイドと出会ってから現在に至るまでにおいて、人間関係を整理すれば彼女との間柄が主従関係である、と行きつくのは至極当然だった。
経緯はともあれ、このメイドは自分よりも格下な存在だ、だから何をしたって構わないし何をさせたって罪に問われることないのだ、などとは――「あのクソガキやったらこないなこと言いそうやな」、と。雷志は心中にて苦笑いを浮かべた。
ともあれ、悪いのはこちらであるのだから、雷志は例えメイドからなんと言われようとも自分の非をなかったことにしたくなかった。
「わ、私ならもう大丈夫ですから!」
そこまで言われてようやく、雷志は顔を上げた。
「……もう、本当にライシ様は変わりませんね。身分や血筋も関係なく、すべての方に分け隔てなく接してくださるのだから……」
「身分とかあんまし興味ないわ。自分が一から築き上げてきたんやったらともかく、親が敷いたレールの上走っとるだけやのにいばりちらすとか……ダサいだけやでホンマ」
「……ふふっ」
「な、なんや……?」
「いえ、すいません。
「ちょ、ちょっと待て。せやさっきも記憶がどうこう言っとったけど、改竄とかその、
ここぞとばかりに甦る疑問を、改めてメイドへと尋ねた。
一呼吸の間が置かれた後、神妙な面持ちでメイドが語り始める。
「今からちょうど一か月ほど前、ライシ様はある奇病に罹ってしまわれました。それが
「それに、俺は罹ってたって言うんか? そんなアホな、だってここは俺にとって……!」
「この奇病には続きがあります。目を覚めるタイミングには個人差があります。ですが目を覚めたその人間は、それまでの記憶を改竄されてしまうんです」
「か、改竄……?」
「曰く、
「う、嘘やろ……」
メイドの話を聞かされた雷志の顔は、見る見る内に青ざめていく。
一つの可能性が雷志の脳裏には浮かんでいた。
まだ結論が彼女の口より言われていないのだから、この仮説が杞憂に終わる可能性だってある。今決断を下すにはいくらなんでも早計ではないか。
そう自らに言い聞かせてているというのに、雷志は既に己が下した判断を否定しなかった。
否定できなかった、という方が正しい。どれだけ気のせいだ、と思い込もうとしても、そうすればするほどに返って不安と焦燥感に雷志は苦しめられた。
(頼む……頼む……俺の勘違いやってくれ)
生唾をごくり、と飲み込んで雷志はメイドからの言葉を待った。
その心境は穏やかではない――「人から答えを聞くんがしんどいのって初めてやわ……」、と。、もそりと口にした彼に、メイドがきょとんと小首をひねった。
ややあって、ついにメイドの口より結論が下される。それは死刑宣告をする裁判官のように重く、鋭く、無慈悲であるかのように雷志は感じた。
「……ライシ様にとって、ここは異世界でもなんでもありません。こここそが現実、ライシ・ヴォルトという人間が生きてきた本当の世界なんです」
「そ、そんなわけあってたまるか! じゃあなんや、俺が今まで過ごしてきたのも……いや、俺を生んで育ててくれた親も全部俺の夢の中の話やったってことか⁉」
「そのとおりです!」
「ッ⁉」
「ライシ様がどのような人生を過ごしてきたかは定かではありません。ですがそれは夢、存在しない全部幻なんです」
「う、嘘や……嘘やそんなん!」
「あっ! お待ちになってくださいライシ様!」
メイドの制止を振り切って、雷志はその場から走り去った。
もちろん彼に行く当てなどあるはずもなし、ただとにかくどこか遠くへ行きたい。
その一心で雷志は走り続けた。
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