第6話「少年疾走」


「アルグワーツの屋敷に、ですか?」


「えぇ、そうです」


マダム主催のアルフィ公開説教ショウが閉幕したのち、優愛はアルフィやマダムに連れられ、再びアルグワーツの屋敷に足を踏み入れた。

そこで夕食をご馳走になり––謎の肉と野菜多め、意外とイケた––、食後のティータイムの最中、マダムに優愛を屋敷に住まわせてはどうか、という提案をされた。


「それって……私たちと一緒に、ユーアも住むってことですか!?」


「そうですよ、アルフィ。家族が増えるのです」


「わぁ……!」


アルフィはキラキラとした目で優愛をじっと見つめてきた。

そんなアルフィに対して優愛は苦笑をこぼす。

その時、テーブルを勢いよく叩き立ち上がるものがいた。


「なりませんっ! いくらマダムのお言葉といえども納得がいきませんっ! 断固抗議いたしますっ!」


––アーヴィである。思えば彼女は最初から優愛を敵視していた。

アーヴィは怒り心頭、と言った様子で続ける。


「そもそも、先の裁判で彼が転生者だった、と話はつきましたが、なぜアルフィお嬢様の部屋で寝ていたのかという根本的な問題が解決していないではないですかっ!」


『ゔっ』


確かにそうだ、と思い返す優愛と、赤面して俯くアルフィの声が重なる。マダムは落ち着いてティーヴァ––この世界でいう紅茶のようなもの––を啜っていた。ちなみにアーヴェンは今10杯目のティーヴァを自分で入れているところだ。


––そういえばそうだ。なんで僕はあんなとこに……。


そんな中、カップから口を離したマダムが口を開いた。


「それについては問題ありません。アルフィが招いたのでしょう?」


「……え」


「お、おばぁ様っ!?」


「なんですって……!?」


優愛は呆気にとられ、アルフィとアーヴェンは驚愕し、アーヴェンは変わらずティーヴァを飲みながら茶菓子を摘んでいた。


「大方、屋敷を内緒で抜け出したところに棺から抜け出た彼を見つけて匿った、と言ったところでしょう。––全てお見通しですよ?」


「ヒョエッ」


マダムはアルフィに笑いかけると、潰れたカエルのような声を出してアルフィは震え上がった。


「私が森へ行った際、あの棺は既に開いていたというより、扉が破損していました。恐らく、落下した衝撃で壊れ、さらに中からユーアが転げ落ちてしまったのでしょうね」


それをアルフィが拾ったと、とマダムは続けた。

優愛は、法廷で見たあの白い棺を思い出していた。


「……落下? それってあの、白い棺がですか? しかも僕が転げ落ちたって……」


「神の思し召しにより、あなたを入れ空から飛来したのでしょう。実際、伝説の中にも『棺は空より降る』と、ありましたからね」


そこまで言って、マダムは再びカップに口をつけた。

優愛は、法廷でマダムが言っていた自分と棺の関係を思い出していた。


––色々あって忘れてたけど、棺に入って現れるから、『選ばれし棺の者』なんだ。……だけど棺って、少し悪趣味じゃないか? 神様って何考えてるんだろ。


優愛がそんなことを思っていると、ワナワナと震えるアーヴィがへなりと座り込んだ。

どうやら、対抗できる術をなくしたらしい。


「……ですが、マダム……」


それでも尚、アーヴィは反論を続けた。

優愛から見て、アーヴィはマダムを、さらにその孫であるアルフィを敬愛しているように見えた。そんな人の生活を脅かす異端が現れたとなっては。当然あぁもなるとも思った。


––わかるなぁ。僕も、愛美の部屋で寝てる不審者とかいたら、愛美がなんと言おうと絶対許さないだろうし。


しかし、流石にずっと誤解されたままでは息苦しいと思い、優愛はアーヴィの目を真っ直ぐ見て口を開いた。


「アーヴィさん。僕を信じられない気持ちはわかります。僕も愛美……妹が同じ状況になった時、あなたと同じようなことを言うと思う」


だけど、と優愛は続けた。

アーヴィが、優愛の目を真っ直ぐ貫く。


「僕はアルフィに命を助けられました。彼女への恩は、忘れません。絶対、アルフィを傷つけたり、貶めるようなことはしません」


「……ユーア」


アルフィが、声を漏らした。

優愛は、アルフィが泣きながら自分の身を案じてくれた時のことを思い出した。

出会って一日も経っていない、出会い方も最悪だったというのに、彼女はその深い優しさで優愛の命を救ってくれた。

今更ながら、優愛はアルフィに心の中で感謝していた。故に、アーヴィに宣言する。––しかし。


「アルフィは、僕が絶対に幸せにします。––だから、彼女と一緒に住む権利を、僕にください!」


––それがどう言う意味を持つのかも知らず。優愛は高らかに宣言した。


まぁ、と感心するマダム。口からお菓子をこぼすアーヴェン。絶句するアーヴィ。

沈黙する食卓。優愛はきょとんとしていた。

そして––。


「だ、だ、だ、だからっ! 私には、許嫁がいるんですってばーっ!」


––顔を真っ赤に染めた、アルフィの叫びが屋敷全体に響き渡った。


###################


あれから、およそ4週間。

現在優愛はこの世界の情報を集める傍、アルグワーツの森で働いたり、ドワーフの兵士たちから戦闘訓練を受ける日々を送っていた。

モンスターと呼ばれる生物がうろちょろしていたり見たこともない植物が生い茂っていて、最初は混乱していた優愛だったが、ドワーフの人々ど交流を深めるにつれ、徐々に慣れていった。

時に、川で漁をして。


『これはなんですかーっ!?』


『マグラゴンじゃねぇか、しかもでっけぇ! やるな坊主!』


時に森で伐採をしてたらアルフィが暴走し。


『らんらんら〜ん♪ みんられあしょびましょ〜♪』


『なんでアルフィがマコーシュルーツ飲んでるのっておああぁぁっ!?』


時に食堂で料理を出して森の住人の舌を唸らせて。


『このチキドンは手強いぜ……さぁどうする勇者さ––』


『あ、良い感じに捌いて焼いて、あとソース作ってみました。どうぞ』


『(こいつ……もう俺を超えやがった……!?)』


––そして。今日は戦闘訓練。


「くっそぉ……! まだ、やれるぅっ!」


「そんなんじゃダメだっ! もっと振れ!」


優愛の自殺を止めてくれた三人の兵士の一人、黒髪に彫りの深い顔が特徴のクロパッツ––槍を落とした人––による剣の訓練。


「はあぁぁぁっ! うぐっ!?」


「わきが甘いなァ! もっと締めろォ!」


同じく兵士の一人、オールバックにした銀髪を輝かせて槍を振るう眉の太いハンサム・ギンパッツが指導する槍の訓練。


「そんな……っ! 確かに、防いだのにっ!」


「はっはっは! 覚えておけユーア。盾が堅いなら割れば良いのだ!」


そして、煌めく金髪が自慢の顎が割れた大男、キンパッツによる徒手空拳の訓練。

3人はそれぞれ立派な太いツノを持っており、森の兵士の中でもトップクラスの実力者らしい。

彼らとの体験が、優愛の勇者としての力量を徐々に高めていった。

そうして––今日も夜が更けていった。


#################


「……今日もダメ、か」


星が照らす夜。優愛は自室にいたが、眠れないでいた。

––優愛の不眠症は、今に始まったことではない。

優愛は、寝ている間に両親が死んだ時から眠ることがトラウマになっていたのだ。

いつも、愛美が自身の布団に温もりを求めて入ってきていたことに安心していたのを今更思い出した優愛は、恐怖と静寂が作り出す寒さに震えていた。


––眠ってる時間が無駄だ。


やがてむくりと起き出し、優愛は部屋を出る。

向かった先は、屋敷内の書斎であった。

眠ることができないため朝が来るまで歴史の本でも見ながら時間を潰すためでもあったし、睡魔という名の恐怖から少しでも遠ざかりたいからでもあった。

異世界に来てから、ここで朝を待つのが習慣になっていたもの


––この世界のことを、もっとよく知らないと。早く、解決しないと。


優愛の中に、焦燥感が生まれていた。

異世界に慣れた、とは言っても、元いた世界とはほぼほぼ別物。簡単には慣れず、むしろ新しい知識が増える度に心細さが増していった。

そして何より、愛美のことが気がかりであった。


––愛美は、ご飯を食べているだろうか。学校に行っているだろうか。悲しんでないだろうか。


愛美のことを考える度、辛くなる。

胸が苦しい。愛美に会いたい。あまりの寂しさに、涙がこぼれそうになった。


––まさか、僕の後を追って……。


そこまで考えて。優愛は自分の頭を殴った。

最悪の事態を否定したかったのもあるし、愛美が死ぬと言うこと自体を考えた自分への戒めでもあった。

そうやって、何にも手がつかなくなったその時。

––書斎の扉が、弱々しく開く。


「……どうかした? アルフィ」


「あ、いえ……優愛の後ろ姿が見えたので、どうしたのかなと」


扉を開けたのは、アルフィであった。

寝巻き姿らしく、藍色のバスローブのようなものを着用していた。


「……なんでもないよ。ホラ、アルフィも明日結婚式なんでしょ? 早めに寝て準備しないと––」


そこまで言って、優愛は気づいた。

アルフィは、ひどく悲しそうな顔をしていた。まるで、明日が来るのを拒むように。


「……ユーア」


アルフィが、無理やり笑って言葉を紡ぐ。


「一緒に星を、見ませんか」


############


––また、迷惑をかけてしまった。


アルフィと優愛は、屋敷の裏の森の木の上で、二人並んで星を見上げていた。

アルフィ自身、なぜ優愛を誘ったのかわからなかった。

ただ––優愛の顔を見たかった。優愛の声が聞きたかった。それだけだったのかも、しれない。

この4週間で、彼との距離は随分埋まった。

仕事の合間に一緒に遊んだり、内緒でおやつを作ってもらったり、一緒にアーヴィに怒られたり、向こうの世界のことを教えてもらったり。––まるで、歳の近い兄ができたようだった。


「……私の結婚相手、知って、ますよね」


「……うん」


神妙な顔をして、優愛が応えた。


「アルフィは、さ」


「はい」


「本当に、嫌じゃないの?」


「……はい」 


「……そっか」


––ヴェイル・ルードュ。種族はドワーフ で、資産家にして頭の切れるアルフィの3つ上の青年。アルグワーツとは違う、別のドワーフ一族の長だった。

彼と出会ったきっかけは、なんてことはない。

彼は、半年前に突然この森にやってきた。

アーヴィの威嚇にもどこ吹く風といった具合で、マダムに交渉した。


『アルグワーツの麗人よ。あなたの娘は美しい。が、まだまだ世間知らずで貴家の次期当主を襲名するには実力が足りないでしょう? ––そこで提案がある』


一呼吸おいて、彼は言った。


『私にあの娘を、譲っていただきたい』


『––っ』


『なっ!?』


『……えっ』


顔を顰めるマダムとアーヴェン、驚くアーヴィ。そして、ただただ困惑するだけだった、アルフィ。

4人を無視して、ヴェイルは続けた。


『私はすでにルードュの民を手懐けた。そして、財力もある。ルードュは今や恵みに溢れ、民は皆幸福を享受している。今、私の気が変わらないうちにその娘との婚姻を認めれば、アルグワーツの民にも恒久の平和を約束しよう』


あまりにも、傲慢な男だった。アーヴィが激怒するも、アーヴェンが止めた。

マダムは、苦虫を噛み潰したように聞いていた。

––アルグワーツは、最初に誕生したドワーフ一族であったが、徐々に衰退してきていた。マダムに子孫がいなかった、と言うのもあるだろうが、1番の原因は、次期当主の座がアルフィになったことだろう。

アルフィはドワーフの中でも非力で、背も低い。しかも親は雑魚モンスターに喰われた研究者ときた。そんな出来損ないを身内贔屓で当主にしようとするマダムを見限り、多くのドワーフが森を去った。

アルグワーツに、最早道はなかった。この話がなくなれば、今後存続が危うくなるだろう。

しかし……マダムは、アルフィの方へ振り向いた。


『……アルフィ』


『は、はい』


『……貴方は、どうしたいのですか?』


『……え?』


選択は、アルフィに委ねられた。

アルフィは迷った。


––私の答えで、おばぁ様たちの……未来が、変わる。


マダムの後ろ、下卑た笑顔でヴェイルがアルフィの身体を舐めるように観察していた。

身体が、嫌悪感で震えた。婚約なんて、したくなかった。

だが、今自分が断れば、アルグワーツは、本当に終わってしまうかもしれない。

大切な人々が、不幸になるかもしれない。––だから。


『ヴェイル、様……。どうか、よろしくお願い、いたします』


––アルフィは、花嫁になることを誓った。誓ってしまった。

儀礼の準備や何やらで先延ばしにされていたが、ついに明日、アルフィはヴェイルのモノとなる。

目の前で、優愛がアルフィをじっと見ている。


「……僕には、アルフィがその人と結婚して、幸せになれるとは思えない。ねぇ、アルフィ––」


本当は、どうしたいの、と優愛は続けた。

その言葉を聞いて、我慢ができなくなった。

重たい空気の中、静かにアルフィは言葉を紡いだ。


「本当は、結婚なんて、いや、なんです。まだ、沢山知らないことを調べて、教えてもらって。––もっともっと、やりたいことが、沢山あるんです」


アルフィの言葉は、止まらなかった。


「でも……でも良いんです! これでみんな、幸せになれるんですから。これで……良いんです」


優愛は、無言だった。

アルフィはここまで言って、優愛がなんと言うのか怖くなった。

この話をしてしまったせいで、彼に拒絶されるんじゃないか。幻滅されるんじゃないか。気付けば、優愛に嫌われることが、何よりも恐ろしく感じられ、俯いてしまった。

やがて、優愛が口を開いた。


「––すごいなぁ、アルフィは」


「……え?」


アルフィは、顔をあげた。

優愛は、穏やかに微笑んでアルフィの目を見つめていた。


「誰かのために。大切な人のために。自分で言ったことを曲げずにここまできた。中々できないよ、そんなこと」


「……わた、しは……私はっ! 凄くなんか、ないですよ。だって、ただ怖かっただけなんですよ、私! 誰かが不幸になるのが嫌で、それで」


「だから、君はすごいんだ。どれだけ不安でも、怖くても。誰かのことを考えて一心に行動した。君は、本当に強い人だよ、アルフィ」


そう言って。優愛はアルフィの頭に右手を乗せた。


「今まで、お疲れ様。よく頑張ったね、アルフィ」


「––っ」


暖かかった。まるで、マダムが。––いや、死んだ両親が、アルフィを撫でてくれているようだった。

もう、耐えられなかった。心を閉じ込めていた箱にヒビが入り、中から感情があふれ、一気に壊れてしまった。


「う、う、ううぅあぁっ!」


アルフィは、泣いた。子供のように。赤子のように。

優愛は、そんなアルフィを優しく抱き寄せ、背中をトントンと静かに叩いた。

アルフィも、そんな優愛に甘えていた。心地が良くて、ずっと抱かれていたいとさえ思った。

どのくらい、そうしていただろうか。いつしか視界に光が差し込んだ。

朝が、来ようとしていた。

絶望の朝。

未来の分け目となる朝。

––アルフィの運命が決まる朝。

アルフィは、優愛から静かに離れ、まだ泣き止まない内に言葉を紡いだ。


「……今日の、昼頃にヴェイル様が屋敷にいらっしゃいます。式は、日が落ちてからです」


「……うん」


「……さよなら、ユーア」


一言だけ残して、アルフィは木から降り、足早に屋敷へ戻った。


––追いかけてきて、くれないかな。


そんな、淡い希望を抱きながら。


##########


怒りまかせに木を殴りつける。

随分鍛えられたからだろうか、優愛の一撃で木が折れてしまった。

が、今の優愛にとって、そんなことは些末なことであった。

優愛にとって、アルフィは妹のような存在だった。

人懐っこくて。かわいらしくて。やんちゃで。そして、とても優しい女の子。

いつしか、愛美の姿を重ね合わせて、心細い異世界生活での心の支えになっていた。


––でも、それじゃダメなんだ。


『妹の代わり』……優愛は、アルフィをそう意識して以来、彼女を少しでも遠ざけようとした。

愛美の兄は自分しかいないのに、自分が妹の代わりを求めているなど、おこがましいにも程がある、という想いからだったが、そんなことは露知らずと言ったようにアルフィは優愛とのコミュニケーションをやめようとはしなかった。

アルフィが、自分のことをどう思っているのかはわからない。

もしかしたらただの珍生物と思っているかもしれない。

なんとも思っていないかもしれない。


––だけど、あんな顔して泣いていた。


心がえぐられた。あまりにも辛かった。

アルフィは今、誰かの幸福のために自分を犠牲にした、美しい死体になろうとしている。


「……アルフィ……!」


いつかの夜を、思い出す。

愛美との思い出を語り、寂しくなった。そんな自分を、アルフィは何も言わずに抱きしめてくれた。

とても、暖かかった。凍りついた心が、溶けていくようだった。

思えばアルフィには、命を、心を随分と助けられてきた。––だから。


「僕は……君を必ず」


––幸せにしてみせる。

そう決意した優愛は、何処かへ向けて走り去っていった。


############


あまりにも寒いの


あまりにも暗いの


あまりにも辛いの


あまりにも、苦しいの


あまりにも、寂しいの!


あぁ、寂しい!


誰か、私の声を聞いて! 私を見て! 私に気付いて!


ねぇ…












お前


––次回、黒き勇者の転生英雄譚


第7話『変身』

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