第5話「転生者•後編」
「……使命? 使命って、なんです?」
「無論、この世界を救うという使命です。伝説の、通りならば」
優愛は耳を疑った。
自身が今ここにいるのは、この世界を救うためだとマダムに告げられたからだ。
もう、優愛は限界を迎えていた。混沌の渦の中で思考が振り回され、理性の鎖が今にでも引きちぎれてしまいそうだった。そして––。
「使命を、果たしてくれますか? 若き勇者よ」
––何かが、砕けちる音がした。
「……は、はは」
「? 何か––」
「あっははははは! はは、は、はははは!」
優愛は笑った。笑うしかなった。
あまりに突飛で、非現実的で、今生きているこの時間が絵空事のように感じられた。
なのに、自身の中の焦燥感と激しく鳴り続ける心臓が、いやでもこれが現実だと思い知らせた。
そして、次第に優愛の中で怒りが湧いてきた。あまりに理不尽で、自分勝手な現実を貫く剣を欲していた。
「ユ、ユーア……?」
アルフィは、困惑した様子で優愛の名を呼んだ。
「っ! 貴方、マダムの御言葉を笑うとは––」
「よしなさい、アーヴィ。––どうかされましたか、若き勇者よ」
「……どうかされたか、だって?」
剣先は、穏やかに優愛に微笑むマダムへと向けられた。
「当たり前じゃないかっ! あんたにわかるか、僕の気持ちが! いきなりこんな場所に連れてこられて! 自分がまるで化け物みたいに扱われて! しかも……勇者? 僕が勇者? なんで……なんで僕が戦わなくちゃいけないんだよっ!」
「……」
あくまで静観し続けるマダムに対し、より強い怒りを覚える優愛は続ける。
自身の中で叫び続ける獣に身を任せて。
「僕は……僕は帰らなきゃいけないんだっ! 愛美が待ってるんだ、泣いてたんだっ! 僕に手を伸ばしていた! あんなに辛そうな顔して、泣いてたんだよっ!」
優愛は、最愛の妹が最後に自分に見せた顔を思い出した。
「愛美はまだ小さいんだ、まだ10歳なんだっ! 今僕が、あの子のそばにいなかったら……誰があの子を守るんだっ! 誰があの子を、幸せにするんだよっ!」
そこまで言って、優愛は息を切らした。
酸素が足りない。あまりにも息苦しく、肺が張り裂けそうだった。
身体が熱い。まるで、自分以外の誰かが身体の中で暴れまわっているような。
優愛は周りを見渡し始める。
––鋭利な槍を持った、兵士と目があった。
「––っ!」
「うぉっ!?」
優愛は、槍を持つ兵士に向け一直線に走り、そのままタックルを喰らわせた。
いくら筋力自慢のドワーフでも不意打ちには対応できなかったらしく、優愛の攻撃を喰らって槍を手放してしまった。
「き、キミ! 何を––」
「––っ! おやめなさい!」
「ふんっ!」
優愛は槍を掴むと、困惑する兵士と制止するマダムを無視して、自身の腹に槍を突き刺した。
「––っ」
声にならない悲鳴が出た。あまりにも鋭い痛みに涙が出た。
腹を滴り、足元に血がポタポタと落ちていく。生暖かく、命を運ぶ赤い血が。
それが溢れていくほどに、優愛は自身の命が削られていくのを感じていた。
民衆から悲鳴が上がる。アルフィが息を呑み、アーヴィが愕然として、マダムが目を見開いた。
––まだ、死ねないのか!
優愛は震える手で腹から槍を引き抜き、再び刺す。
「兵士たちっ!」
それでも、死ねなかった。マダムが兵士たちに呼びかけ、呆気に取られていた兵士たちが正気を取り戻したように、急いで優愛を取り押さえたからだ。
「離せっ! 離して……くれよっ!」
「落ち着くんだっ! 今回復するからっ!」
「そうだ、大人しくしていろ!」
––なんで。なんで死なせてくれないんだよっ! 死ねば、また愛美に会えるのにっ!
優愛は涙を流す。それが激痛から来るものなのか、悔しさから来るものなのか。
自分でも、わからなかった。
###############
流石の知的探究心の奴隷であるアルフィも、彼が異世界人と知って、それを追求することはできなかった。
今、アルフィは震えていた。優愛の心の叫びに、現状への怒りに。
そして––どうしてか、彼が自分の腹を貫いたことに。
「……ユーア」
弱々しく、彼の名前を口にする。
あまりに痛々しいその姿に、アルフィはいつかの自分を重ねていた。
––まるで、父さんと母さんを失った、私みたい。
アルフィは、アルグワーツ家の本当の娘ではない。
10年前のことだ。
子宝に恵まれなかったマダムが、研究者であった両親が喰われたことで孤独になったドワーフの少女を引き取った。それが、今のアルフィだ。
当時のアルフィは毎日泣き続け、隙あらば自身の命を断とうとし、その度にマダムやアーヴィに止められていた。
今の優愛は、その時の自分とよく似ていた。
アルフィは、大切な家族と突然離れ離れになってしまう寂しさ、悲しみを痛いほどに理解できた。
現在、優愛は兵士たちによって取り押さえられ、うつ伏せにされて首を振って激しく抵抗していた。
やがて––優愛の動きが止まる。
落ち着いたのか、と思ったが、ある可能性がアルフィの頭をよぎった。
そして、それは的中する。優愛の顎が、一瞬モゴモゴと動いた。
––アルフィは、走り出した。
#########
「だめっ!」
「っ!?」
優愛は舌を噛み切って死のうとするも、突然現れたアルフィに顎を掴まれて失敗に終わった。
優愛は、自分の顔を両手で抑え、涙を流すアルフィを睨みつけた。
アルフィはその修羅の如き形相に一瞬怖気付いたようだが、はっきりとした顔で優愛を見つめ返した。
「絶対死なせませんっ! そんなこと、させませんからっ!」
アルフィは、涙に塗れた顔で優愛にそう言った。
絶対に折れない。そんな、確かな決意を感じされる目をしていた。
––頼む、死なせてよ!
アルフィを、そんな思いをのせて見つめるも、アルフィは涙を気にせず先の表情のままじっと優愛の目を見つめるだけであった。
「……残念ですが、恐らく今再び死を迎えても、元いた世界には帰れませんよ」
「……え?」
「もし転移できたとして、そこが元いた世界だとは限りませんからね。ひょっとすると、今とはまた別の世界に呼ばれてしまう可能性もあります」
優愛はマダムの言葉を聞いて、一瞬何を言っているのかわからないと言った顔を浮かべるが、徐々に理解して嗚咽を漏らした。
アルフィは兵士たちに目配せをして優愛を解放させ、自身もまたゆっくりと、優愛の顔から手を離した。
「……ユーア」
涙を流しながら、アルフィは優愛の名前を呼ぶ。
優愛は、嗚咽を漏らしながらも、ぽつぽつと言葉を発した。
「……じゃあ、どうやったら僕は、また愛美に会えるんですか……」
「……先ほども言ったように、この世界を救ってくだされば、或いは」
「或いはって……結局それも、憶測にすぎないじゃないですか。僕のことを、都合の良い駒にして、最期まで使い潰す気でもあるんですか?」
「––貴様っ!」
優愛の言葉に激昂したアーヴィが優愛に襲い掛かろうとするも、アーヴェンがその細腕を掴む。
アーヴィはアーヴェンを睨みつけ目で抗議するが、アーヴェンはそれを首を横に振って窘めた。
「ありがとう、アーヴェン。そして、アーヴィも。––若き勇者、いえ、ユーア。私の中でそのような黒い感情が僅かでもあったことは事実です。ですが、それだけでない」
マダムは、周りを見渡す。その目には民衆たちが写っていた。
「この世界には、貴方の世界と同じように、友情を育み、愛を紡ぎ、幸福を享受する者がいて、そして、その幸福を奪おうとする者がこれから現れる。私は少しでも、人々を守りたいのです。––どうか、力を貸していただきたい」
マダムは膝をつき、優愛に右手を差し出した。
マダムは、相変わらず慈悲深く、優しい笑顔をしていた。
その笑顔を、そしてその目を見て。優愛は、先程のマダムの言葉を、ゆっくりと思い返し、そして、自身の過去を振り返った。
優愛の両親は、優愛が10歳の時に、優愛が眠っている間に亡くなった。
家族旅行の帰りだった。優愛が寝ていた時に、衝突事故が起こったらしい。
優愛が目覚めた時、そこは病院のベッドの上だった。
混乱する優愛の元に医師が現れ、両親が死んだことを告げられた。
最初は悲しみに半狂乱になっていた優愛だったが、その後の医師の言葉、そして、彼に連れられ見せられたものを見て、悲しむ暇はなくなった。
––母が最後の力を振り絞り、女の子を産んだ。
両親が遺した命の結晶、それが、妹の愛美だった。
そして、誓った。この子を絶対に幸せにすると。絶対に不幸にしないと。悲しい思いをさせないと。
マダムは言った。人々の幸せを守る、と。それは、自身の決意と通づるものがあった。
優愛は、自分の力で立ち上がった。
マダムも、その様子を見て静かに立つ。
「……あなたが僕をどう使うのかは、わかりません。だけど」
真っ直ぐと、マダムの目を見上げた。
「大切な人の幸福を守りたい、というのなら……僕も協力します。いや、させてください!」
––この世界で使命を果たし、必ず愛美の元へ帰る。
そんな決意を固め、優愛はマダムに協力を申し出た。
その目に燃えるのは怒りではなく、貪欲なまでの愛だった。
「……そう、それなら、良かった」
マダムは、柔らかい笑みを優愛に向けた。
優愛は後ろにいた兵士と、アルフィに向き直る。
「アルフィ。それに、みなさん。取り乱してしまって、すみませんでした。それと……これから、少しでも協力してくださると、嬉しいです」
気まずく、照れの入ったその言葉に、兵士は微笑んで。
「勿論さ。剣でも槍でも教えてやるよ、勇者さん!」
「ただし、俺たちのしごきはきついぜェ?」
「覚悟するんだな! はっはっは!」
と、気の良い返事をしてくれた。
優愛はつられて微笑むが、アルフィが俯いて黙っているのに気付いた。
「……アルフィ?」
「どうかしましたか?」
「アルフィお嬢様?」
「……?」
マダムが、アーヴィが、アーヴェンが。つられてアルフィの様子を伺う。
民衆たちや兵士たちも、アルフィの様子を見守っていた。
そして––。
「……で……す」
「へ?」
「すっごいです! やっぱり本物の勇者様なんですねっ!」
––え、今更?
アルフィは、優愛に向けて好奇心の光をキラキラとぶつけてきた。
先程までの暴力的な––物理的に––知的探究心をもろに喰らった優愛は、思わず後ずさった。
「いや、えっと––」
「ほんとにほんとにほんっとーにっ! 勇者様なんですねっ! うわぁ〜すっごいなぁ〜っ! 魔法を使わないってことは、何か特別な力を使ったりするんでしょうか!? どんな風に戦うんですか!? それとも何か––」
「アルフィ?」
その声に、優愛に付き纏っていたアルフィがピタリと止まる。
マダムはやけにいい笑顔で、アルフィをじっと見ていた。
「説教」
「ひっ!? ひぃえ〜んっ!」
アーヴィが呆れて。アーヴェンが微笑んで。
アルグワーツ家次期当主の、現当主による公開説教が行われてみんなが笑っていた。
優愛はそんな様子を見て微笑み、––すぐに笑みを消して。
固く、決意を抱いて右手を握り、烙印のように拳を胸に押し付けた
白い棺の中、足元の部分に置かれた黒いケースが、脈動するように光っていることに気づかずに。
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